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2025

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    今に活きるクリエイティブな「遊び方」

    #13今に活きるクリエイティブな「遊び方」

    原石からダイヤへ

    高校時代に付き合っていた彼女は非常に大人びていて、まるで20歳くらい年上の女性に見守られているような感覚でした。なぜそこまで私の気持ちが分かるのか不思議に思うほど、達観した人でした。私が女性に対して無神経な発言をすると、「あなたは本当に女の人が分かっていないよね」とたしなめられることがよくありました。

    「男の人はそう考えるのは分かるけれど、女の人の気持ちは違うよ」と呆れたように言われたものです。私が少し見栄を張って「九州女学院の子は可愛いよ」などと知ったかぶりをすれば、「付き合ったこと、あったっけ?」と、さらりとかわされてしまう。そんなやり取りの連続でした。

    しかし、この経験が後に私の大きな武器となりました。現在の私の仕事は、多くの母親、つまり女性たちを相手にするものです。その中で、女性の心の機微を理解できるということが、他にはない強みになったのです。世の男性がしばしば直面する困難の一つではないでしょうか。例えば、優秀な成績を収めてきた男性が、職場で女性の心をつかめずに悩んでいる。「理屈ばかり言う人」と女性の部下から思われてしまう。「答え」や「正解」にこだわっていて、ちょっとした「共感」や「思いやり」で「感情のイエス」をもらうことの価値が分からずにいるのです。

    彼女は、「女の子は、こういうことを大切に思っている」という話や、「私のおばさんが、とにかくいろいろなことを教えてくれたんだ」という話をしてくれました。これは、「思春期の子どもにとっては、親よりも“斜めの関係”にいる師匠のような存在が重要だ」という典型的な事例として記憶に残っています。

    大学時代の経験も、今の私に多くの影響を与えています。21歳で入学した私は、まるで箍(たが)が外れたように遊びに没頭しました。当時住んでいたのは、「高田馬場クリエイティブクラブ」という私が名付けたマンションの一室で、そこは東京藝術大学の学生をはじめ、面白い仲間が集う場所でした。

    そこに集うのは、「昨日とは違う、何か面白いことを仕掛けずにはいられない」というエネルギーに満ちた面々でした。テレビを見て受動的に楽しむことに安住するのは「最悪」だという共通認識がありました。そもそも部屋にテレビはありませんでしたが。常に「誰もやったことのない、面白いことをやろう」という気概に満ちていたのです。新しく仲間が増えると、歓迎の儀式としてその人を輪の中心に座らせる。その人は(何をするのかな?)と疑問に思うじゃないですか。すると周りの皆が、その人の似顔絵を描き始める。 そしてその絵を「ようこそ」と渡すのです。今思えばずいぶん変わった集団です。

    ある時は「写真は面白い」と意気投合し、真夜中に車を飛ばして川崎の工場地帯へ撮影に出かける。またある時は「明日は絵を描こう」と言ったら、「今までにない写生って何かないかな?」という話になり、「誰かが音楽を奏でながら絵を描くのはどうだ」というアイデアが飛び出しました。そして、藝大生の仲間が三味線を弾くその前で、皆で富士山の絵を描く。私たちの「遊び」は、いつもそんな調子でした。

    当時は本気で格好いいと思っていましたが、今振り返れば「だから何だ」と言われかねない、若気の至りです。しかし、「絶対に面白いことをやろう」という強い意志や、誰もやっていないことを常に模索する姿勢はユニークだったと思います。やはり後に起業家として必要とされる思考の素地を築いてくれたのだと感じています。

    「誰も思いついていない」という思考を日々鍛える。ただやったことがないだけでは不十分で、そこに自分たちなりの「格好良さ」、つまり「自分の心が震えるかどうか」という基準を満たさなければなりませんでした。常に自らの内なる声に耳を澄まし、「これは本当に面白いか?」と問い続ける。その姿勢は、間違いなく現在の仕事に直結しています。

    特に私に大きな影響を与えたのが、入学してから24歳までの経験です。映画、演劇、落語、競輪、競馬と、あらゆる「遊び」を、仲間たちと徹底的にやり尽くしました。

    例えば競馬にのめり込んだ時期は、来る日も来る日も競馬場に通っていました。中央競馬が開催される土日はもちろん、平日も地方競馬があるので、やろうと思えば毎日でも勝負ができます。私はスケッチブックに全騎手の名前や成績、馬のデータをびっしりと書き込み、それを持ち歩いて勝ち馬を当てることに集中していました。やがて、全レースに手を出すのは得策ではないと気づき、確信の持てるレースだけに絞って勝負するようになると、いつしか競馬場で「あっ、また来てるよ、“博士”が来てるよ」と噂されるようになりました。私が選んだレースの馬券を買いに窓口へ向かうと、「あ、“博士”が動いたよ」と言って、みんなが私の後をついてきました。私が何の馬券を買うかを見ているのです。

    今にして思えば、この熱中ぶりは、一つのことをやり遂げるビジネスの基本姿勢、すなわち私の「凝り性」な部分が、対象が何であれ発揮されていたのだと思います。一見すると、それは無駄な時間に思えるかもしれません。しかし、中途半端ではなく「やりきった」という感覚があるから、悔いもありません。何より、心から面白かったのです。

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