
多くのチャレンジをした結果、心身に異常を来した留...
9/12(金)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/14
ある時、藝大の友人に「絵を見に行こう」と誘われ、「絵は下手だから」と断ったことがあります。すると彼は言いました。「いやいや、絵なんて見まくれば、必ず良さが分かる時が来るんだよ」
その言葉に何かを感じた私は、翌日から都内の美術館や画廊を巡り始めました。次第に、原美術館のようなモダンアートを扱う場所に惹かれ、西村画廊で紹介される作家たちの作品にも夢中になりました。そんな日々を繰り返すうち、ある日、大学の生協で開かれていた絵画のミニカードの展示会で、一枚の作品に雷に打たれたような衝撃を受けたのです。「これは良いと感じるわ! 俺!」と、自分の心がはっきりと反応したのが分かりました。
それはクルト・シュヴィッタースという芸術家のコラージュ作品でした。この出来事を境に、不思議とピカソの絵画を見ても、自分にとっての良し悪しが判別できるようになったのです。確かな視座(ビジョン)を得られたという手応えがありました。
この経験は、現在の教育活動に直接つながっています。「絵の鑑賞は苦手」といった、浅い自己像とコンプレックスで可能性を閉ざしてしまっている人は、実はとても多いのではないでしょうか。音楽も、絵画も、歴史も、そして算数も、すべて同じです。多くの人が、自分で勝手に線引きしたせいで、その先の面白さに気づけずにいます。しかし、本当はその一線を乗り越えさえすれば、世界は全部面白いもので満ち溢れている。教育者として、私は自らの体験を通してそう断言できます。
「〇〇が嫌い」という感情も、突き詰めれば自分でそう決めているだけだと気づきました。私の場合は、ニンジン、玉ねぎ、そして水泳。考えてみれば、他の人が同じ口や体でそれを楽しめているのに、自分にできないわけがない。どこかで「嫌い」と決めつけているだけなのです。そう理解してからは、ニンジンも玉ねぎもごく普通に食べられるようになりました。
水泳に至っては、小学生の時に汚い池のような場所で泳がされ、「お前の平泳ぎは後ろに進んでいる」とからかわれたことで、すっかり嫌いになってしまいました。しかしこれも、「他の人ができているのなら自分にもできるはずだ」と思い直し、一人で区民プールに通い始めたのです。そこで私は発見しました。水泳は力任せに「かく」のではなく、「けのび(蹴伸び)」の姿勢の時にこそ進むのだ、と。小学生が「けのび」を繰り返し練習する意味が、腑に落ちた瞬間でした。この気づきを得てから、私のタイムは一気に縮まりました。
勢いに乗った私は、掲示板で見つけた「文京区社会人水泳大会」に出場することにしました。結果は、なんと銀メダルと銅メダルを獲得。しかし、これには愉快なオチがあります。銀メダルを獲得したレースの出場者は4人。一人はオリンピック候補選手、そして私。残る2人は、失礼ながらほとんど溺れているようなご高齢の男性2人でした。当然この2人には勝つわけです。オリンピック候補選手の男性は、体感として、私が飛び込んだ時には、すでに対岸に到着しているぐらいの速さでした。当然の結果というわけです。
こんな顚末ではありますが、この経験もまた、「やれば何だってできる」という大きな自信になりました。人間の思い込みやコンプレックスは、いわば「心のマジック」です。自分で作り出した壁に過ぎません。意識を変え、行動すれば、必ず乗り越えられる。このことを自らの体験で証明したからこそ、私は今、若者たちに自信を持って伝えられるのです。
そして、私の人生観を決定づけたのが、後に「哲学時代」と呼ぶことになる、ある濃密な1年間でした。現在は「西郡(にしごおり)学習道場」を共に運営する西郡文啓と2人で、「1年間、哲学的に生きよう」と決めました。「都会の仙人」を気取り、白金台のアパートで固定電話の線も引き抜いて、牛乳配達の収入だけを頼りに生活したのです。
学校にも一切行かず、ひたすら思索に耽る毎日です。「明日は“生きるべきか死ぬべきか”を議論しよう」と決め、午前中はそれぞれが考えを深め、午後に「俺はこう思う」「いや、俺はこうだ」と互いの意見を日が暮れるまでぶつけ合いました。「働くとは何か」「結婚はすべきか」。あらゆる根源的なテーマについて考え抜き、その時に書き殴ったメモは、束になって押し入れに眠っています。
その末に、いくつかの結論に達しました。「生きることは、やはり楽しい」「人生に唯一の正解はなく、自分の心が震えるものを選択すればいい」。そして、「怒りや悲しみは、決して悪い感情ではない。心が激しく動いている証拠であり、それこそが生きている証なのだ」と。
「働くべきか」という問いにも、明確な答えが出ました。仮に大金持ちになり、南の島で悠々自適の暮らしを送ったとして、3、4日もすれば飽きてしまうだろう。それよりも、目の前の人が、自分の言葉や行動によって喜び、感謝し、感動してくれることほど面白いものはない、という結論に至ったのです。
こうして「やはり働こう」と決意しました。私にはやりたいことが沢山ありましたが、中でも音楽、映画、お笑い、そして教育。この4つならば一生飽きずに情熱を注ぎ続けられると、この1年間で確信しました。当初の希望順位は音楽が一番、教育が二番でしたが、結果的にその順位は逆転しました。もちろん、今でもバンド活動は続けています。