
野外体験の魅力――子どもたちがいちばん伸びる場所
9/13(土)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/23
私たちは現場で、時にお母さんの過干渉にブレーキをかけることがあります。たとえば、サマースクールなどの宿泊体験で、「子どもが寝間着として持っていた服ではない服で寝ていた。ちゃんと寝間着を着させてほしい」などクレームが入ることがあります。特に男の子の一人っ子の場合、お母さんは我が子を溺愛するあまり、何でも先回りして手を出してしまいがちです。そんな時は、「お母さん、私たちの目標は、この子が自分でできるようになることです」と、私たちの信念を優しく、しかし媚びることなく伝えます。
母親というものは、本能的に「我が子を守る」生き物です。「もし何かあったら」と心配する気持ちは痛いほど分かります。しかし、子どもの自立のためには、時に心を鬼にして見守ることも必要なのです。親がすべて手伝ってしまうと、子どもは言われるまで動かないのが当たり前になり、「お母さん、やってよ」と、やがて親を家来のように使うまでになってしまいます。
このようなご家庭に最も効果的な処方箋は、思い切って「外に出す」ことです。1か月の宿泊体験のようなイベントに参加させ、「外の飯を食わせる」のが一番手っ取り早い。親子という密な関係性は、家庭内だけで変えようとしてもなかなか難しいものです。「手出ししすぎですね」と講演会で聞いて納得しても、家に帰ればつい「早くしなさい」と言ってしまうのが母親というものだからです。
そして、この母親の過干渉や不安の根底には、現代の夫婦が直面する、根深い問題が横たわっています。
悪気はないのに、なぜか噛み合わない。気づけば冷え切った関係になっていた――。今、多くのご家庭で、父親と母親の間に「性差の壁」が立ちはだかっています。現代の夫は、家庭内で立場が弱くなりがちです。妻と喧嘩になっても、たとえ論理で言い負かせたとしても、感情的な側面で「あなたのその言い方が気に食わない」と百倍返しにあってしまう。
このすれ違いは、なぜ起こるのでしょうか。それは、多くの男性が「仕事も子育ても、自分はちゃんとやっているつもり」でいる一方で、母になった女性が抱える心の機微や不安を、全く「認知」できていないからです。想像すらできていない。だから、妻に対して「なぜそんなにイライラしているんだ」「いつも同じことばかり言う」と、火に油を注ぐ言葉をかけてしまい、関係を悪化させるということを繰り返してしまうのです。
この壁の存在に、私自身も気づくまでに長い時間がかかりました。講演活動を始めた当初は、本を読んで得た理屈で子育てを分かった気になっていました。しかし、感想文にはいつもこう書かれていました。「男性でここまで母親の気持ちを分かってくれる人は初めて。私の本音とは、ずれているけどね。」「母親への理解度は『他の男性よりはだいぶマシ』といった程度」と。
現場で母親たちと対話を重ね、学びを得る。講演会でのお母さんたち「そうそう!」という頷きがある部分をメモし、「今のは当たったんだな」と理解して、次の講演会に反映させる。それらを繰り返すことで、どんどん母親の気持ちに寄り添う講演になっていったと思っています。
近年は、講演会を聞いた父親の反応もなかなかのものです。「妻が申し込んでいやいや参加しましたが、今日初めてすれ違いの本質が分かりました」といったお父さんの感想が、すごく増えています。先日も500人くらい集まった父親限定講演会で、終了後に見送りに出たところ、コンサルや商社などのお父さんたちが20人くらい並んでくれて、一人ひとり「ありがとうございました。今日、妻と仲良くする方法が分かりました」などと言って帰っていきました。
この壁を理解するヒントは、ファミリーレストランなどで開かれる「女子会」にあります。彼女たちの会話を少し聞いてみれば分かりますが、そこには煎じ詰めたい明確なテーマも、問題解決のための議論もありません。それぞれが自分の身に起きた出来事を話し、「ひどいでしょ?」「ひどいー!」と、ただひたすら共感し合う。何よりも大切なのは、的確なリアクションです。これこそが、多くの女性がコミュニケーションに求める本質であり、誰かに「分かってもらいたい」という切実な心の叫びなのです。
歴史を遡れば、ほんの数十年前まで、子育ては共同体で行われていました。例えば昭和30年代の農村では、何家族もの女性たちが集まって田植えをしながら、泣いているのが誰の子であれ、近くにいる母親がおっぱいをあげるという光景が当たり前でした。女性たちは「群れ」となって、みんなでみんなの子を育てていたのです。
しかし現代は、「個」を重んじるあまり、母親は孤立しています。「私と私の子ども」という小さな単位で、誰にも教わることなく、たった一人で奮闘せざるを得ません。すごく追い込まれています。近年「イクメン」という言葉も普及しましたが、現場で見ていると、残念ながら、多くの場合は保育園の送り迎えや日曜日の料理をして「やった気持ち」になっているだけです。分担していくという方向としては正しいのですが、母親が本当に求めている精神的な部分での共感やサポートには至っていないのが現状です。
たまにうまくいっているなと思う夫婦は、男性側に女きょうだいなどがいて、女性の本質に慣れているというパターン。イライラしている妻に対しても平気で「あれ、どうしたのー?」と、気軽に声をかけられる感じです。女性に対して清らかで可愛らしいだけのイメージを抱いていると、結婚後に現実とのギャップに苦しむことになります。幻想を捨てて、正しい女性像を持つことです。
妻(子どもの母親)は、我が子を守るためなら獰猛になるし、イライラもする。夫は、それが当たり前の姿だと理解し、「美しいな、生き物として最高に輝いているな」と、その母親の奮闘を丸ごと応援してあげたくなる気持ちを持つこと。それが何よりも大切なのです。
今も私は、男女共々の気持ちを受け止め、分析し、「これが問題の根源ではないか」と思ったら、講演会で問いかけ、その反応を確かめる、当たっているなと思ったらスタンダードにしていく、という作業を繰り返しています。この“対話”の根底にあるのは、困っているお父さん・お母さんたちの役に立ちたい、というその一心です。