
子育てで母親・父親が直面する「性差の壁」
9/13(土)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/22
なぜ、花まる学習会では保護者の方との対話をこれほど大切にしているのか。私たち教育者は、日々の現場で、ある法則に気づかざるを得ません。それは、共働きの家庭か専業主婦家庭なのか、といったことには全く関係なく、子どもの成長は「お母さんの安心感や笑顔」という関数に、非常に強く影響されるということです。2、3年も現場にいれば、必ず気づくことです。これは、後に慶應義塾大学の中室牧子教授から、エビデンスもあることは教えていただきました。
母親の心が曇っていると、子どもの心も曇ります。子どもがいるご家庭で夫婦関係がよくないことの問題のひとつは、それにより母親が心を曇らせ、結果として子どもに影響が及ぶからです。人間同士ですから、うまくいかないこともあるでしょう。しかし、結論から言えば、母親が笑顔で安心していることこそ、子どもが健やかに育つための最大の環境要因なのです。それさえあれば、子どもは種が芽吹くように、自らの力で伸びていきます。
私がその事実に衝撃と共に気づいたのは、埼玉県のある街で「花まる学習会」を始めた頃でした。そこには、鬼気迫るような表情のお母さんたちが、本当にたくさんいらっしゃったのです。私にはにっこり笑うのに、我が子には「こら、ちゃんとやれよオラ!!」と怒鳴りつける。その姿を見て、「お母さん、一体どうしたんだろう…?」と愕然としました。
子どもにそっと話を聞いてみると、「あんなのはまだ良い方だよ。家ではもっとひどいから」と言うのです。ここは一体どんな街なのだろうかと、大変な衝撃を受けました。最初は、教育環境として厳しい場所から始めた方が教室の進化のためには良いと聞き、この地から始めようとしましたが、その後、教育熱心とされる街へ行っても、神奈川や千葉、東京のどこへ行っても、イライラしているお母さんたちが多いことに気づき、さらに驚きました。
私の母親像は、家に帰ると「おかえり」と嬉しそうに笑ってくれる人でした。それは我が家だけでなく、近所の友だちの母親もみんなニコニコしていて、私にとって笑顔こそが「お母さん」の象徴でした。そのイメージのまま「花まる」を始めたものですから、目の前の現実とのギャップに、このままではいけないと強く感じたのです。
現場で子どもたちと向き合ううちに、スクスクと成長した子の母親は、決まって笑顔でいることに気づきました。理由を尋ねると、「良いママ友ができて、お茶会をするたびにほっとするんです」というように、お母さん自身が何らかの安心材料を見つけた時に、子どもはぐんと伸びることも分かってきました。 これは、すべての教育者が経験的に気づくことだと思います。この「お母さん」という関数を良い方向に動かさない限り、どんなに優れた教材を使おうと、週に一度素敵な教室で学ぼうと、残りの6日半を不安定な母親と過ごしていては、子どもの力は伸びていかないだろう――。そう確信し、私はお母さんたちに向けた講演会を始めました。
もっとも、最初の頃は本で読んだような借り物の言葉を並べて、分かったふりをしていただけでした。今振り返れば、何も分かっていなかったのです。 講演会の感想文には、よくこう書かれていました。「あなたは、見どころはあると感じるが、母親が分かっていない」「応援するけれど、まだまだ女が分かっていない」何人もの方から同じように指摘され、当時の私は「教えてやっているのに、何を言うんだ」とさえ思っていました。勉強はできるけれど人の気持ちが分からない、理系男子が陥りがちな最も避けるべき過ちでした。
転機が訪れたのは、講演会を始めて5、6年が経ち、ちょうど1万枚ほどの感想文が手元に溜まった頃です。「1万時間の法則」ではないですが、「もしかしたら、私こそが、お母さんたちのことを全然分かっていないのではないか」と、ようやく気づくことができたのです。
そこから、いただいた感想文一枚一枚に、改めて丁寧に目を通しました。すると、そこには現在の私の講演会の主要なテーマが、すべて書き記されていました。「夫は、恋人の時は良かったのに、今はちっとも気持ちが伝わらずイライラする」「夫は、理屈で言いくるめようとしてくるし、答えを出そうとしてくるが、そういうことじゃない」。あるいはママ友との関係で「自慢話ばかりで疲れる」といった悩みや、姑への不満など、様々な母親が不安定になる要素が、そこにはありました。
これらの切実な声を丁寧に拾い集め、講演会の内容を再編集しました。すると、お母さんたちが熱狂的に応援してくださるようになったのです。おそらく、女性同士では分かり合える悩みや感情を、きちんと理解しようとする「男性」が、ほとんどいなかったという点が大きかったのだと思います。
「こんなに母親の気持ちを分かってくれるなんて」という評価は、今も活動の支えとなっています。もちろん、時代は移り変わり、お母さんたちの興味や感性も変化します。その時々の空気感を捉え、話の内容は少しずつアップデートしていますが、根幹にあるメッセージは全く変わっていません。
しばらくは私しかいなかったと思うので、それでブームになり、テレビが取材に来たのだと思います。あの頃の「花まる学習会」は、母親たちの熱い想いのおかげで広がり、ほとんど広告チラシを出したこともありませんでした。保護者が「こちらに来てください。何人集めればいいですか?」と、次から次へと輪を広げ、人材が足りないと言えば「探してきます」と、人や場所まで探してくださったのです。
途中から、講演会を聞いたお父さんたちからは「母親を擁護しすぎている。男も大変だ」という感想もありましたが、今では両親のどちらが聴いても納得してもらえるようになりました。私たちの使命は、子どもたちの力を健やかに伸ばすことです。そのためには、「親」という関数を抜きにしては語れない。子どものすぐそばにいる親、特にお母さんが曇っていては、どんなサービスを提供しても絶対に無理だということです。これが、私たちの活動の原点です。
ですから、花まる学習会では、子どもに勉強を教えることと同時に、保護者の方への対応に力を注いでいます。教室長は、担当する子が100人いれば、100人のお母さん一人ひとりの状況や不安を把握し、面談などを通して「いつでも頼ってください」という対話の窓口になっています。
子育て中、特に子どもが小さい時期は、不安が温泉のように次から次へと湧き出てくるものです。一つ解決しても、「でも」と、また次の不安が顔を出す。男性社員は、相談に対してつい「こうすればいいですよ」と“回答”してしまいがちですが、それは違います。まず「それは大変ですね」と共感すること。簡単そうでもなかなかできないので、こういったことへの研修を徹底し、お母さんの心に寄り添う姿勢を大切にしています。
今も昔も、私たちが学び続ける源泉は、講演会の感想文や日々の面談の中にあります。そこにあるキーワードやテーマを丁寧に抽出し、日報に書く。社員全員で共有し、進化を続けてきました。これからも、保護者の方々との対話を何よりも大切にしながら、子どもたちの成長を支えていきたいと考えています。