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2025

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    私だけが解けた問題――場面緘黙の“鎧”が崩れ落ちた瞬間

    #03私だけが解けた問題――場面緘黙の“鎧”が崩れ落ちた瞬間

    原石からダイヤへ

    小学3年生の時、私に転機が訪れました。中務先生という方が担任になったのです。その先生は、まるで聖母マリアのようで、子どもたちの目には本当にキラキラと輝いて見えました。いつもにこやかで、「あなたたちのことが大好きよ」という気持ちが全身から伝わってくるような方でした。当然、クラスのみんながこの先生のことを大好きになりました。

    当時、私は相変わらず学校でうまく話すことができずにいました。先生がどこまで意図されていたのかはわかりませんが、ある時、その状況を変える出来事が起こります。1学期のはじめ、算数のテストのおまけに、「マス目の中に長方形はいくつありますか?」という思考力を問う問題が出ました。小さいものから、2マス分、3マス分と数え、次は2×3マスといったように、注意深く数え上げる必要があります。

    私はこういう問題が大好きで、夢中になって解きました。「ここは、みんな見逃すかもしれないな」などと考えながら、すべての長方形を数え上げて答案を提出しました。

    テストが返却される日、中務先生は「最後の問題の解説をするから、まだ答案をしまわないでね」と前置きをして、こう言いました。
    「最後のマス目の問題、みんな難しかったみたいねー」
    先生はそう言って黒板に解説を書き始め、そして、ふとこちらを向いて付け加えたのです。
    「あっ、そうだ。高濱くんだけ、できていたね」

    その瞬間、私がまとっていた場面緘黙の「鎧(よろい)」に、ピシッとひびの入る音がしました。

    先生はさらに続けます。
    「あ、そうそう。職員室で聞いたら、学年全体でこの問題が解けたのは、高濱くんだけだったみたいだよ」

    この一言で、私の鎧はガラガラと音を立てて崩れ落ちました。そして、長い沈黙を破って私の口から飛び出したのは、「俺、パズル得意だから」という一言でした。

    これが、私にとって人生で最初の「リボーン体験」です。社会とつながる自分として、初めて成立できた瞬間でした。この日を境に、私はよく話すようになり、クラスメイトからは「博士」というあだ名で呼ばれるようになりました。「高濱くんに聞けばわかる」と言われると、一生懸命調べては少し知ったかぶりをしながら教える。こうして私は勉強ができる人間として、周囲に認められるようになったのです。

    そもそも、なぜ私がそのパズルのような問題が得意だったのか。それには理由があります。私の親戚には、大学教授や有名な絵画修復師など、様々な分野で活躍する人がいました。いとこたちも皆、地元の進学校に通う優秀な人ばかり。それでいて遊び上手な彼らの家は、私にとって居心地の良い場所でした。

    そんな彼らが「頭の体操」として楽しんでいたのが、パズル問題だったのです。「これ解ける?」と私にも問題を振ってくれ、時には年上のいとこたちが解けない問題を、私だけ解けることもありました。その時の誇らしい気持ち、頭を使うことの楽しさが、私に大きな刺激を与えてくれました。「こういう問題は面白いな」と感じた、あの楽しい時間が私の原点です。そのおかげで、中務先生が出してくれた問題も、自信を持って解くことができたのです。

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