
何より楽しく、面白く、最高なのはやはり「教育」!
9/13(土)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/25
野外体験が子どもたちにもたらすものは、思考力や自然への感受性だけではありません。もう一つ、私たちが何よりも大切にしているものがあります。それは、子どもたちの「人間関係の力」を育むことです。
私たちのサマースクールでは、友達同士の申し込みはできない設定です。全員が見ず知らずの他人としてスタートします。そして、学年の違う子どもたちで8人ほどの班を作り、3泊4日、寝食を共にします。朝起きて布団をたたみ、ご飯を食べ、川で遊び、キャンプファイヤーを囲む。この濃密な時間の中で、いったい何が起こるのでしょうか。
子どもだけの集団で、好きなことをやっていいという環境になると、必ずトラブルが起こり、そして仲直りが生まれます。所属している班で過ごしていると、子どもたちはいつしか一つの「ファミリー」のようになります。年上の子がごく自然に下の子の面倒を見ます。家庭では一番上の子が、一番年下になる経験をして、甘えることもできますし、一人っ子が、サマースクールで初めて「お兄さん」や「弟」の役割を体験することもできるのです。
これは、かつて地域の路地裏に存在した「ガキ大将システム」そのものです。小さい頃は年上にかわいがってもらい、自分が5、6年生になったら、今度はみんなを引っ張っていく。そうした経験の中で、自然とリーダーシップが育まれていきました。しかし、現代社会ではそうした環境は失われています。固定化された同級生との関係の中では序列が生まれ、「モテる子」と「モテない子」が固定化されてしまいがちです。
そんな現代だからこそ、異学年が交わる「シャッフルされた環境」が、子どもに大きな成長をもたらすと、私は信じています。成長事例は数多くあるのですが、今回は、そのことを証明してくれた、ある内気な男の子の話をさせてください。
小学1年生の頃から、「真面目でいい子なのですが、友達ができないのです」とお母さんが悩んでいたA君という子がいました。彼は図鑑が大好きで知識も豊富でしたが、その真面目さゆえに、周りの子からは「あいつは、くそ真面目すぎるんだよ」と、敬遠されていました。
例えば、友達が「近道だから」と家と家の間の細い通路を抜けようとすると、彼は後ろから「入っちゃいけないんだよ!」と言っている。何も間違ってはいないのですが、子どもの成長には、時にちょっとした冒険や「遊び」の部分も必要です。彼の真面目すぎる姿勢が、かえって周りを遠ざけてしまっていたのです。それだけでは人はついてこない。人間の魅力とは、本当に難しいものです。
そんな彼は、高学年になってもなかなか輪に入れず、いつもみんなから少し離れた場所に立っているような子でした。
ところが、そんな彼に大きな転機が訪れます。毎年サマースクールに参加し続けた彼は、6年生の時、班のトップリーダーを任されていました。ある星空観察の夜のことです。私が懐中電灯で空を指しながら「あれがデネブで、あれがベガ、あっちがアルタイルで、夏の大三角だよ」と説明していると、一人の子が尋ねました。「先生、あそこの先生の後ろにある明るい星は何?」。
「あれは……」私は少し答えに詰まってしまいました。すると、すぐそばにいたA君が、静かに、しかしはっきりとした声で言ったのです。「先生、あれはアルクトゥルスですよ。ほら、北斗七星の尻尾がここですから」と。
彼の的確な説明に、子どもたちから「おおーっ!」とどよめきが起こりました。私は「ここだ!」と思い、すかさず声を張り上げました。「みんな聞いたか! 高濱先生も分からなかった星を、A君が教えてくれたぞ! A君に拍手!」。
ほんの些細な出来事でした。しかし、この瞬間が、彼の人生を大きく動かしたのです。翌日から、A君のあだ名は「博士」になりました。「博士、この花は何?」「博士、この石は?」。今まで遠巻きに見ていた子たちが、彼の元へ次々と質問に来るようになったのです。体育の得意な子が人気者になるように、彼は「知識」という魅力で、初めて子どもたちの世界で認められ、尊敬を集めました。いわゆる「モテた」瞬間です。
やはり人は、魅力で勝負するしかありません。それが素敵、となって、周りの女の子が「あの人だよ、あの人」と言い始めるわけです。A君は自信に満ちた表情に変わっていきました。帰宅するなり、彼は母親にこう言ったそうです。「もっと図鑑を買って! 星のことを、もっともっと勉強したい!」
その年の9月、彼は「中学受験をしたい」と言い出しました。正直、学力的に見れば完全に無謀な挑戦でした。しかし、私は「勉強が大好きになったなんて、素晴らしいじゃないか。頑張ってみなさい」と彼の背中を押しました。
彼の心には、もう火がついていました。「やらされている」勉強とは全く違う、内側から燃え盛る炎の力で、彼は毎晩自習室に最後まで残り、猛烈に勉強しました。もちろん成績はすぐには伸びませんでしたが、その曲線は12月の後半から急上昇を描き始め、2月1日、見事に志望校の合格を勝ち取ったのです。
彼のすごさは、それだけではありません。受験を終えた多くの子どもたちが遊びに繰り出す中、彼は「自習室に来ていいですか?」と、合格後も一人で勉強を続けていました。その1ヶ月半の差は大きく、4月に進学した中高一貫校で、彼は学年5番の成績を収めるまでになっていました。
私が何を言いたいか。それは、いつも同じクラスの同じ人たちといった固定化された人間関係の中では、ドラマは起きにくいということです。しかし、環境をシャッフルし、異学年の中で過ごせば、誰にでも活躍できる場があり、輝けるチャンスが生まれます。実際に、小学校低学年の時にはうだつが上がらなかったけれど、高学年で一斉に開花しました、という子がたくさんいます。
多くの子どもたちは、意外と小さな自己像しか持っていません。しかし、本当は誰もが、とてつもない可能性を秘めているのです。その可能性の扉を開けることこそ、私たち大人の役割なのだと、強く信じています。