
高濱流「壁の乗り越え方」
9/13(土)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/28
私という人間を形作ったものの一つに、音楽があります。それは人生の大きな軸と言っても過言ではありません。24歳で「旅する自由人」などでなく「ちゃんと就職する」ことを決意した時、私は「音楽、映画、お笑い、教育」の4つを候補に挙げました。「これが仕事だったら絶対に楽しいだろう」と心から思える分野です。その中でも第一志望は、曲作りやバンド活動に長年打ち込んできた音楽でした。
その原点は、音楽好きだった母にあります。故郷の熊本県人吉市はのどかな田舎町でしたが、我が家では幼い頃から当たり前のようにクラシック音楽が流れていました。今思えば、あれは母なりの教育方針だったのかもしれません。毎晩モーツァルトやシューベルトのレコードを聴きながら眠りにつくのが日常で、特に私はモーツァルト派でした。
そして、中学入学を控えた小学6年の春休み、私の人生を揺るがす出会いがありました。ビートルズです。初めてその音楽に触れた時の衝撃は、今でも忘れられません。当時、英語の「え」の字も知らなかったにもかかわらず、私は夢中になりました。持ち前の集中力を発揮し、ビートルズの楽曲30曲ほどを、聴こえるままにカタカナで書き起こし、すべて歌えるようになるまで練習したのです。「レリビー、レリビー」と口ずさむ日々でした。
耳から音楽を吸収するこの体験のおかげで、英語はその後ずっと得意科目になりました。後になって知ったことですが、歌を丸ごと暗記してから文法を学ぶと、「あの歌詞はこういう意味だったのか」と、知識と体験が結びついて定着しやすくなるそうです。例えば、『Let It Be』の「When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me, speaking words of wisdom…」という一節のingが分詞構文だと後から学ぶことで、理論がすんなりと頭に入ってくる。趣味で始めた丸暗記が、結果的に非常に効果的な学習法となっていたのです。
ビートルズに夢中になった後、中学3年生の頃にはチューリップが登場しました。地元、人吉市の市民会館で開かれたコンサートに、私は夢見心地で足を運びました。色とりどりの照明が目まぐるしく回るステージは、今でこそ当たり前の光景ですが、当時の私にはキラキラと輝く別世界に見え、「うわーっ」と声を上げたことを覚えています。
幸いなことに、私は生徒会長を務めており、行事で市民会館をたびたび利用していたため、裏口の場所も知っていました。私はこっそりと楽屋へ忍び込んだのです。するとそこには、財津和夫さんがたった一人でギターのチューニングをしていました。あまりの感激に言葉を失いそうになる私に対し、財津さんは少しも驚いた様子を見せません。「すみません、地元の中学生ですけど、入ってきちゃいました」と正直に伝えると、快くサインをしてくださいました。まさに夢のようなひとときでした。生徒会長という役得で、その後もコンサートで訪れた武田鉄矢さんや泉谷しげるさんなど、憧れのアーティストたちに会う機会にも恵まれました。田舎の少年にとって、彼らは都会からやってきた大スターそのものでした。
こうした憧れも原動力となり、中学で結成したバンド活動には一層熱が入りました。「3年生を送る会」で演奏した際にはファンまででき、今でも大切な思い出となっています。
音楽は、その後もずっと私の心の支えであり続けました。そして二十歳、三浪目の年に、私の価値観を揺るがす「激震」が訪れます。それまでの浪人生活とは違い、この一年は自分を厳しく律し、勉強だけに打ち込む「禁欲時代」でした。(少しの脇道はありましたが)そんな追い詰めていた時期だったからこそ、感受性も高まっていたのでしょう。
ある日、東中野のレコード店で、ジョン・レノンのソロアルバムのカセットテープを手に取りました。当時レコードプレーヤーを持っていなかった私にとって、カセットは唯一の選択肢でした。その音源を聴いた瞬間、電撃が走ったかのように心が震えました。『ジョンの魂』『マインド・ゲームス』『心の壁、愛の橋』の3枚です。一日中勉強に打ち込み、疲れ果てた夜に少しのお酒を飲みながら、この3枚のアルバムを繰り返し聴く。その時間は、何物にも代えがたい救いでした。歌詞は英語のはずなのに、ジョンの魂の叫びが、そのすべてが、私の心に直接流れ込んでくるようでした。
すると、不思議なことに、目を閉じているのに色鮮やかな映像が目の前に広がるのです。「これは、すごい」。心の底からそう思いました。この体験を通して、私は芸術に触れることの本当の意味を理解した気がします。本物の「高み」を知ることで感性が磨かれ、つまらない物事には心が動かなくなる。自分の中に確固たる価値基準が生まれるのです。時には少し生意気になり、「これは心が動かない音楽だ」などと切り捨ててしまうこともありましたが、それ以上に大きな収穫がありました。「自分の人生は、本当に心が震えることだけに時間を使いたい」。そう強く決意させてくれた、その基準となったのが、まさしくジョン・レノンのソロアルバム3枚だったのです。
以来、この3枚のアルバムは私の「原点」となりました。20代、30代、そして60代になった今でも、何かに行き詰まったり、自分を見失いそうになったりすると、必ずこの音楽に立ち返ります。そうすると、「そうだ、自分はここから始まったんだ」と、あの二十歳の頃のみずみずしい感覚が蘇ってくるのです。中学時代のバンド活動から始まり、ジョン・レノンによって確固たるものとなった音楽という存在。それは紛れもなく、今の私を支える大切な軸の一つなのです。