
不良クラスメイトたちとの合唱コンクール
9/11(木)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/08
中学校ではバレーボール部に入部しました。背が伸びてほしくて始めたのですが、結局、中学3年間で身長はほとんど伸びず、卒業までは列の先頭が私の定位置でした。その一方で、生徒会長を務めるなど、活発な学校生活を送っていました。
しかし、今振り返って、中学時代にやっていて本当に良かったと思うこと、そして今の私の人生に最も大きな影響を与えていると信じているのは、「日記を書き続けたこと」です。
今、中学生に何か一つ伝えられるとしたら、私はこのことを挙げるでしょう。「日記の中にだけは、本当の自分を書きなさい」と。自分を見失わずに、誰が何と言おうと、100人が100人、違う方向に流れようとも、「自分は自分だ」と確信を持って生きてこられたのは、間違いなくこの「日記」という支えがあったからです。
中学1年生の時から、両親にだけは絶対に見つからない場所に隠して、毎日書き綴っていました。「私が死んだら、この日記だけは開かずに棺桶に入れて焼いてくれ」と本気で思うほど、そこには赤裸々で、こっ恥ずかしいことしか書いてありません。
第二次性徴の真っ只中でしたから、異性の体への興味といった、半分はいやらしいこと。そして半分は、好きな音楽のことや、思ってはいても口にしてはいけないような友人への激しい憎しみや人間関係の悩み。そうした混沌とした感情のすべてを、ありのままに書き出す。その行為によって、私は自分自身を見失わずに済んだのだと、強く感じています。
そのようにして日記と向き合い、確立しつつあった「ブレない自分」が試されるような出来事がありました。中学2年生の時、クラス替えで、私は学校中の腕白たちが集まるクラスに入れられてしまったのです。担任の先生からは「高濱、このクラスをまとめてくれ」と頼まれましたが、「冗談ではありません」と答えるしかありませんでした。温泉街という土地柄か、今では考えられませんが、刃物をチラつかせるような生徒もいる、荒れたクラスでした。
その中に、金山君という在日朝鮮人の友人がいました。彼は、周囲からの差別的な視線に反発するようにして、不良行為を繰り返していました。しかし私は、そうした偏見を持つことなく、ごく自然に友人として付き合っていました。
ある日、彼を我が家に遊びに連れて帰った時のことは、今でもよく覚えています。“ザ・ヤンキー”という出で立ちの彼を見て、母が「あの子と付き合って大丈夫なの?」と心配そうな顔をしていました。
時が経ち、同窓会で金山君と再会しました。彼は少年院に入った時期もあったそうですが見事に更生し、自ら事業を興して娘さんを大学に通わせるまでになっていました。少し尖った雰囲気は残っていましたが、彼は私にこう言ってくれたのです。
「高濱君だけは、俺のことを絶対差別せずに遊んでくれたもんね」
彼のその一言は、私の胸に温かく響きました。誰が何と言おうと、自分の信じる道を進む。日記によって育まれたささやかな強さが、本物の友情として実を結んだ、忘れられない思い出です。