お母さんたちが育ててくれた「花まる学習会」新人社...
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#17幼児教育体験と引きこもり問題から生まれた塾構想
高濱 正伸 2025/08/17
パニック障害から私を救ってくれた子どもたちとの時間を通じて、「間違いなく、教育という道が私を呼んでいる」という確信が深まっていきました。そもそも私は、学生時代に哲学と向き合った末に「感動できる仕事」をしたいという答えに辿り着いており、その選択肢の一つに教育がありました。
もちろん、他の道に惹かれたこともあります。音楽への夢は今も捨てていませんし、70歳でヒット曲が出ても面白いなと思っています。のちのたけし軍団を募集し始めたビートたけしさんの事務所に問い合わせまではしたのですが、電話口に出た方の態度に若気の至りで腹を立ててやめました。台湾の著名な映画監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)氏が日本で助監督を募集した際には、「この人しかいない!」と応募しましたが、残念ながら選ばれることはありませんでした。
様々な道に迷いながらも、私を救ってくれたのは、やはり子どもたちでした。教育の道に進むのなら全学年を教えてみたいと思い、まず飛び込んだのが幼稚園児の「お泊まり保育」のアルバイトでした。
サマーランドやマザー牧場などで、園児たちと一緒にお泊まりするのです。私は「やる気まんまん」からとった「まんまん」というミドルネームで、遊び担当のお兄さんとして子どもたちと向き合いました。体を鍛えていたこともあり、体力には自信がありましたし、人を笑わせることにはずっと情熱を注いできたので、私の冗談は子どもたちに大ウケしました。「まんまん、まんまん!」と、驚くほど懐かれ、その可愛らしさに心を奪われました。予備校で、予習に追われながら必死で教えるのとは全く違う、純粋な喜びがそこにはありました。
その中で、忘れられない思い出があります。サマーランドの初めてのお兄さん役としてお昼ご飯の時、ある子が「まんまんは、ご飯ないの?」と心配そうに尋ねるので、私が冗談で「うん、お兄さんはご飯食べられないんだよ」と答えたのです。すると、子どもたちは相談し始めて、「私のリンゴあげる」「ちくわをどうぞ」と、自分のご飯を私に分け与えようとしてくれるのです。「なんてやさしい子たちだろう」と胸が熱くなりました。
私は夢中で働き、子どもたちと過ごす時間に没頭しました。小さな子どもたちと野外で遊ぶことの、なんと幸せなことか。「これを本業にできたなら、絶対に一生飽きることはないだろう」。そう強く感じたのです。しかし、やりがいだけでは生計を立てられません。ビジネスとして成立させるロジックが必要だと考え、自身の塾の構想は一旦、心の内に留めておきました。
そんな折、私の周りで不穏な話を耳にするようになります。同級生の中に、社会に出られず「引きこもり」になっている若者がいるという噂や、防衛医大に進んだ知人が自ら命を絶ってしまったという悲しい知らせでした。世の中には、不幸せな人間が大勢いるのではないか。そう感じ始めた矢先、ある中堅予備校で衝撃的な光景を目の当たりにします。そこに集まっていたのは、人と目を合わせることすらできない、「引きこもり予備軍」のような若者たちばかりでした。
たまたま同じアパートに住んでいた精神科医にその話をすると、彼は淡々とこう言いました。「そうだよ。この国は働けない大人を量産しているんだよ。医者はみんな知っているけれど、一般の人は知らないのかな。不登校から始まり、親にぶらさがったまま年を重ねていく人が、何十万人というレベルでいるはずだよ」
私は「いや、それは大げさでしょ?」と返しましたが、調べてみると、それは紛れもない事実でした。社会的引きこもり問題が浮上していて、結構な数が存在していると。当時のあるフリースクールも見学に行きましたが、そこは自立を支援する場所ではなく、ただ子どもを甘やかし、漫画を読ませているだけの施設でした。公立の小学校や中学校では学校に来ない子も普通に卒業させてしまう。それでも校長の給料は変わらない。「これでは駄目だ。誰も責任を取っていない」。私は強い憤りを感じました。
誰も本気でこの問題に取り組んでいないのなら、私がやるしかない。そう決意し、独学で勉強を重ね、現場での経験と照らし合わせる中で、一つの結論に達しました。それは、「人間の基礎は、幼児期に決まる」ということでした。
人間の能力には、習得に適した「臨界期」があります。特に、認知的な能力以上に、意欲や本質を掴もうとする力や、やり切る力など非認知の能力の基礎は幼児期にその多くが形成されます。声変わりなどの第二次性徴期を迎える小学校高学年以降も能力は伸びますが、CPUとも言える根本的な部分は、もっと幼い頃の環境に大きく左右されると考えたのです。
表面的な学習だけでは不十分で、その子の親や家庭にまで踏み込んで変えていかなければ、根本的な解決にはならない。「でも、誰もこれをやっていない」――課題がはっきりと見えた瞬間でした。この深刻な社会問題を専門に扱う塾を、自分の手で立ち上げよう。そう決意したのが「花まる学習会」の最初の構想です。


