眠りの終わりを迎える日本に、いま必要な変革とは。...
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「見えないものを見る」探求心で世界の海を制す。古野電気社長が語る、ニッチ戦略と荒波を越える経営哲学
ビジョナリー編集部 2026/05/21
世界で初めて魚群探知機の実用化に成功し、船舶用電子機器の分野でグローバルに事業を展開する古野電気株式会社。海運や造船業界特有の激しい景気変動の波にもまれながらも、近年は過去最高益を続けざまに更新するなど驚異的な成長を遂げている。同社のトップに就任して約17年。36歳で全くの異業種から飛び込み、専門書を読み漁ることで独自のマクロ・ミクロ視点を養ってきた代表取締役社長執行役員の古野幸男氏が見つめる、企業の生き残り戦略とは何か。海運不況から大躍進を遂げた背景、大企業との戦い方、創業者から受け継ぐ突破力、そしてAIやデータビジネスを見据えた次なるステージへの挑戦について、語っていただいた。
時代の荒波とマクロ経済。海運不況からV字回復を遂げた背景
社長に就任されてから様々な時代をご経験されてきたと思いますが、現在の事業環境や、今一番やらなければならないと考えられていることについてお聞かせください。
私が社長に就任したのは2007年で、リーマンショックが起きる直前でした。それまでは、2001年の中国のWTO加盟を機に世界的に景気が右肩上がりで、海運業界の要である新造船の受注もピークを迎えていました。しかし、リーマンショックで状況は一変し、造船のキャンセルが相次ぐなど海運不況が長く続くことになりました。その後、2019年末からのコロナ禍でさらに厳しい状況になるかと思われましたが、世界的な金融緩和と巣ごもり需要によって事態は大きく動きました。個人消費や住宅需要が急回復し、世界の工場である中国での生産が一気に再開されたことで海上荷動き量が急増したのです。特にコンテナ船の運賃が高騰し、海運会社は桁違いの収益を上げることになりました。
その結果、海運会社による既存船の電子機器の入れ替えや新造船の発注が増加し、我々のような機器メーカーにも特需が生まれました。これに円安の追い風も重なり、この3〜4年で当社の売上・利益は過去にないほど大幅に改善されました。こうした経験から言えるのは、基本となる事業の核はしっかりと持ちつつも、社会の需要や為替などマクロの経済動向の変化に合わせて柔軟に対応していくこと が何より重要だということです。
36歳での異業種からの入社。独学で培った「マクロとミクロ」の視点
そうした大局的な視点や考え方は、ご自身のこれまでのご経験やご性格からきているのでしょうか。
私の基本的な性格として、興味を持ったことは深く、そして横に広げて知りたいという探求心があります。私は36歳の時、全く畑違いの繊維業界から当社に入社しました。社長の付き人のような形で経営企画室に入ったものの、周りは誰も仕事を教えてくれません。専門的な技術も、会社の歴史も、顧客のこともわからない状態からのスタートでした。
そこで私は、本や雑誌、過去のデータなどをかき集めて独学で学び始めました。例えば日本の漁業について知るために、誰もじっくりとは読まないような分厚い「漁業白書」を読み込んだり、海事にまつわる専門書を扱う書店に通い詰めたりしました。点在する情報を10年、20年というスパンで並べてみると、ひとつの大きな歴史の流れが見えてきます。子どもの頃から新聞を読み、中学生の時に為替の変動や世界の政治・経済の動きに興味を持っていたことも活きました。
事業を行う上では、顧客の細かいニーズを深く掘り下げる「ミクロの視点」と、世界の経済や政治の大きな流れを俯瞰する「マクロの視点」の両方が不可欠 です。狭い専門分野であっても、この両極の視点を持っているかどうかで、変化への対応力は大きく変わってくると考えています。
「見えないものを見る」技術とニッチ市場での泥臭い顧客開拓
魚群探知機に始まり、多様な事業を展開されていますが、ビジネスにおいて見逃してはいけないと考えられているポイントは何でしょうか。
我々のような規模の会社が世界を相手に商売をする場合、自分の得意とするニッチなフィールドに絞り込み、深く掘り下げていくこと が絶対に必要です。それが大企業との差別化に繋がります。「見えないものを見る」というのは、水中の魚を探知する魚群探知機の技術の核心ですが、同時に他社にはないユニークな価値を見つけ出すという企業姿勢にも通じています。
当社は国内の漁師さん向けに魚群探知機を販売するところから始まりました。最初は故障ばかりで怒鳴られながらも、現場に通い詰めて修理を重ね、信頼関係を築きました。するとお客様から「魚探があるなら無線機も欲しい」と言われるようになります。自社に技術がなければ、最初は他社に製造を委託して販売し、やがて自社開発に切り替える。そうやって現場のニーズに応える形で、無線機、自船の位置を知るロラン(電波航法装置)、そして障害物を探知するレーダーへと、少しずつ事業を横展開しながら技術の幅を広げてきたのです。

巨大な参入障壁を突破したM&Aと「ルール転換」という好機
漁業分野から始まり、大手の海運会社や商船の分野にはどのように参入していったのでしょうか。
大手の海運業界への参入は、非常に高い壁がありました。国際的な大型商船は世界中を航行するため、機器には「絶対に壊れないこと」と「世界のどこでも修理できること」が求められます。実績重視の世界であり、大手メーカーがシェアを独占している中で、我々のような後発メーカーが入り込む余地はなかなかありませんでした。
転機となったのは1980年代半ばです。急激な円高不況によって苦境に立たされた大手海運会社に対し、我々は当時業績が好調だったことを活かし、その海運会社の子会社であった機器メーカーを買収しました。このM&Aによって大手への参入経路を確保し、少しずつ自社の機器に切り替えていくことで実績を作っていったのです。
さらに大きな飛躍のきっかけとなったのが、1995年のGMDSS(海上における遭難及び安全に関する世界的な制度)という、国際的な通信・救援システムの大規模なルール転換でした。競合の大手メーカーが、当時急成長していた陸上の携帯電話市場にリソースを集中させる中、船のビジネスしか持たない我々は、この新ルールに適合する機器の開発・品揃えに全力を注ぎました。競合が他分野に目を向けていた隙に新たな国際ルールへの対応をいち早く完了させたことで、外航船の通信システム分野において、当社の独壇場となった わけです。

創業者の型破りな突破力と「フルノ・ブランド」へのこだわり
会社を成長させてきた創業者の方からは、どのような影響を受けられたのでしょうか。
創業者は生粋の技術者であり、アイデアマンでした。ただ、自分たちでゼロから作れないものについては、優秀な技術者をユニークな方法で社内に引き入れたり、外部の知見をうまく活用したりして、事業の壁を突破していく強烈な実行力を持っていました。
特に感銘を受けているのは、海外展開における決断です。1960年代後半、アメリカ市場へ進出する際、最初は現地の有力家電メーカーのブランド名でレーダーをOEM供給していました。しかし、「自分たちが作ったものは、自分たちのブランドで売りたい」という強い思いから、最終的にはOEMを脱却し、「FURUNO」ブランドでの直接販売へと舵を切った のです。当時の日本のメーカーとしては非常に勇気のいる決断でしたが、このこだわりがあったからこそ、グローバル市場において現在の強力なブランド力と販売網を築き上げることができました。
また、世界各国の有力な代理店を買収し、一国一代理店制にして現地のトップに経営を任せたことも、各国の市場に深く根を下ろす大きな要因となりました。

ハード売りからの脱却。データとAIが切り拓く次世代の海事ビジネス
過去の歴史を知ることで未来を見据えるとおっしゃっていましたが、今後の展望や次世代のビジネスモデルについてどのようにお考えですか。
社内においては、社員一人ひとりが意欲を持ち、自由な発想で新しいアイデアをぶつけ合える風土を作りたいと考えています。様々な意見を「分散」させて活発に議論し、いざ決断する時には「集中」してパワーを発揮する。そうした矛盾や葛藤の中にこそ、新しい価値が生まれると信じています。私が入社した当初から徹底的に改善に取り組んできたルール化や品質管理の土台の上に、こうしたチャレンジ精神を乗せていくことが重要です。
事業モデルは、現在大きな転換期を迎えています。これまでの「機器(ハード)の販売」から「ハード+ソフト(サービス・データ)」へのシフトです。ネットワークを活用して船の機器をリモートでモニタリングし、故障の要因を検知したり、世界中のサービス網と連携して最適な修理手配を行ったりする仕組みを、すでに海外の主要顧客向けに展開し始めています。
さらに、新たな試みとしてAIの活用も進めています。例えば、養殖場においてセンサーとAIで魚のサイズを可視化し、最適な餌の量や出荷時期を予測するシステム。あるいは、海流や気象データなどをAIで分析し、燃費が良く安全な最適航路を船に提案するサービスなどです。これからは機器を売るだけでなく、データとネットワークを駆使してお客様に「安全・安心」と「効率化」という新しい価値を提供していく。 それが、私たちが目指す次世代のビジネスの形です。



