「ソニーはトイレの中で人事発令する」という冗談のような辞令で、私はイギリスへ行くことになりました。トリニトロンというカラーテレビを、イギリス市場に導入する販売担当としての赴任です。

しかし、渡英したのは1月の冷え込みが厳しい時期でした。当時のイギリスの冬は今よりも寒く、何より天気が毎日悪いのです。朝の9時になってようやく明るくなり、午後3時半頃にはもう暗くなり始める。その陰鬱な気候には驚かされました。逆に夏は最高で、北緯52度のイギリスは白夜に近く、朝の3時半から夜の11時頃まで明るい。会社が終わってからでもワンラウンドのゴルフができてしまうほどです。イギリスの気候の悪い面と良い面、その両極端を経験しました。

そんなイギリスで、私はある決定的な失敗をしました。セールスミーティングで、社員に向けてアメリカン・イングリッシュでまくし立ててしまったのです。「3,000台のカラーテレビを売るぞ！ 分かったか、ユー・ガット・イット？」といった具合です。ところが、会議室はシーンと静まり返り、誰も反応してくれません。「聞こえたか？」と尋ねても、静寂が続きました。

すると、一人の長老のようなセールスマネジャーが手を挙げ、「サー、もしあなたが、この国でそんな調子でカラーテレビが売れると思っているなら、見せてみてください」と言ったのです。その時私は事態を悟り、「俺はなんとバカなのか」と、痛感しました。彼らはアメリカ人とは全然違う。もっと礼儀正しく、きちんとした英語で話し、態度も正さなければならないと、深く反省しました。

そこから私は、猛烈にブリティッシュ・イングリッシュとブリティッシュ・アティチュード（態度）を勉強しました。その教科書に選んだのは、当時オリジナルキャストのレックス・ハリソンとジュリー・アンドリュースが出演していた、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の舞台です。私はあらかじめ本を買って台詞をすべて覚え、舞台を5回ほど観に行きました。物語の中で、主人公イライザを上流階級の貴婦人へと生まれ変わらせるため、ヒギンズ教授は、彼女のロンドン下町のアクセントを、完璧なブリティッシュ・イングリッシュへ矯正してゆきます。

そうした物語を観ながら、私は「Look at her, the prisoner of the gutter...」といった台詞をすべて暗記し、その発音と品格を身体に染み込ませていきました。これを5回ほど繰り返した結果、半年後には完璧なブリティッシュ・イングリッシュで話せるようになり、振る舞いや態度も変化していったように思います。その結果、現地のスタッフは私を受け入れてくれるようになったのです。

その後、約10年間イギリスに滞在しました。トリニトロンの売上は急激に上昇したものの、当時はイギリス経済が脆弱で、ポンドが毎年どんどん下がるという不景気の真っ只中でした。ポンドが下がると、輸入コストを賄うために現地での売値を上げざるを得ません。そうすると、ソニーのテレビは業界で最も高いカラーテレビになってしまう。13インチのテレビが、地場のメーカーの18インチと同じくらいの値段になり、とても価格競争では勝てません。

そこで私たちは、宣伝とブランドイメージに徹底的にこだわりました。「サンデー・タイムズ」紙のような広告枠の高い媒体にカラーの別刷り広告を打ち、ハロッズのような高級デパートの一番良い場所に売り場を構えるなど、あらゆる工夫を凝らしました。

要するに、価格は高いけれどクオリティも高い、イメージも高いという、「High Quality（ハイクオリティ）、High Price（ハイプライス）、High Image（ハイイメージ）」という3つのHighで攻める戦略をとったのです。このコンセプトは、盛田昭夫会長と大賀典雄社長から学びました。

このアプローチは功を奏しました。「安かろう悪かろう」は他のメーカーに任せ、ソニーはベンツやBMWと同じように、別格のハイイメージでブランディングを確立しました。この経験こそが、その後の私のキャリアにおけるブランディング戦略の基礎となったのです。