
フランクリン・ルーズベルトから学ぶ逆境の乗り越え...
9/17(水)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/17
ビジネスの世界では、「決断力」「リーダーシップ」「イノベーション」が求められると言われます。しかし、現実には迷いや葛藤、孤独といった影がつきまとうものです。そんな時、ジョン・F・ケネディという存在に目を向けると、私たちが何を大切にし、どんな姿勢で困難に立ち向かっていくべきか、多くのヒントが見えてきます。
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。彼は1917年5月、ボストン郊外の裕福な家庭に生まれました。父ジョゼフはアイルランド系移民の三代目で、金融や映画産業で巨万の富を築き、外交官としても名を馳せた人物。母ローズはボストン市長の娘。ケネディ家は、アメリカン・ドリームを地で行く家系でした。
しかし、ケネディ少年は決して「順風満帆」な幼少期を送ったわけではありません。9人兄弟の次男、体が弱く、たびたび病に倒れ、入退院を繰り返す日々。兄や父の背中を追いながらも、「自分に何ができるのか」と胸の内で問い続けていたのです。
人は、どんなに恵まれた環境にいても、自分の弱さや不安から逃れることはできません。ケネディもまた「自分は何者か」という葛藤の中で、挑戦を続けていったのです。
ケネディの人生を語るとき、必ず登場するのが「戦場での決断力」です。
日本が真珠湾を攻撃し、アメリカが第二次世界大戦に突入した1941年。ケネディは迷わず海軍に志願し、ソロモン諸島沖で魚雷艇PT-109の艇長を務めました。
ある夜、敵の駆逐艦と衝突し、艇は真っ二つ。暗闇と波間で、重傷の部下を背負い、何時間も泳ぎ抜いて生還。ケネディは仲間の命を救い“英雄”と称えられます。しかし本人は「自分がやるしかなかっただけ」と、淡々と語りました。
このエピソードには、ケネディのリーダー像が凝縮されています。状況がどれだけ絶望的であっても、冷静に判断し、自ら責任を取る。そして決して“勝利者”として自分を誇らない謙虚さ――。
ビジネスで壁にぶつかったとき、「誰かがやってくれるだろう」と他人任せにしてはいないでしょうか。ケネディの行動から、“自分で動く勇気”と“チームを守る覚悟”の大切さが伝わってきます。
戦後、通信社の記者を経て、ケネディは1946年、マサチューセッツ州から下院議員に当選します。当時はまだ、彼を知る人はごくわずか。しかし、父譲りの行動力と人懐っこい笑顔で、着実に存在感を高めていきます。
上院議員、ピュリッツァー賞作家(『勇気ある人々』)、そしてジャクリーンという最良の伴侶を得て、彼の人生はますます輝きを増しました。華やかな表舞台の裏で、戦争で痛めた背骨の手術や慢性的な健康不安に悩み続けていたのです。
1960年、大統領選挙。ケネディは民主党の候補として「ニュー・フロンティア」を掲げ、共和党のニクソンと対決します。選挙戦の山場は、史上初のテレビ討論。緊張の中、ケネディは誠実な語り口と自信に満ちた表情で視聴者を魅了し、わずか11万票差で勝利を手にします。
ケネディ政権が始まった1961年、世界は東西冷戦の真っただ中。ソ連がスプートニクを打ち上げ、「アメリカの時代は終わった」とまで囁かれていました。
そんな中、キューバにソ連の核ミサイル基地が建設されているという情報がもたらされます。もし放置すれば、ワシントンやニューヨークが標的になりかねない。米国中に緊張が走り、軍部や議会からは「先制攻撃を!」と強硬論が噴出しました。
しかし、ケネディは一つひとつの選択肢を徹底的に吟味します。軍事顧問、外交官、家族――すべての声に耳を傾け、最終的に“海上封鎖”というリスクを伴う決断を下します。もしソ連船が封鎖線を突破すれば、核戦争の引き金となる――世界は息を呑みました。
このときケネディは、相手のフルシチョフ首相と直接ホットラインで交渉し、互いに譲歩。「忍耐強く、平和への道を探ろう」と国民に語りかけました。
ビジネスの現場でも、時に“強行突破”が求められる場面があります。しかし、相手の立場や未来のリスクを冷静に計算し、最善の落としどころを探る姿勢――これこそが、リーダーに必要な“戦略的思考”であると、ケネディは教えてくれます。
ケネディ政権は、国内でも「貧困や差別の解消」「教育・都市問題の改善」といった“ニュー・フロンティア政策”を推進します。特に、人種差別が根強かった南部では、黒人の公民権運動が高まり、社会は大きく揺れ動いていました。
最初、ケネディは冷静な観察者でした。しかし、抗議デモや暴力事件が相次ぐ中、次第に「黒人の権利を守る」姿勢を明確にしていきます。1963年8月、20万人を超えるワシントン大行進。ケネディは議会に公民権法案を提出し、歴史の歯車を大きく動かしました。
現状維持に甘んじていては、何も始まらない。「勇気をもって一歩を踏み出す」――このメッセージは、今のビジネスパーソンにも刺さるはずです。
1963年11月、テキサス州ダラス。ケネディ大統領は遊説中、凶弾に倒れます。享年46、在任わずか1000日余りでした。
アメリカは悲しみに沈み、世界中が「時代の終わり」を感じました。成果をあげきれなかった政策、私生活でのスキャンダルもありました。
しかし、それでもケネディが今なお語り継がれるのはなぜでしょうか。
彼が私たちに遺した最大のメッセージは、「挑戦し続けることの価値」です。
「国家が何をしてくれるかではなく、自分が国家のために何ができるかを問え」
と訴えた就任演説の一節。これは、どんな時代にも色あせることがありません。
また、核戦争の危機を前にしても、「敵意は永遠には続かない。時と状況は、関係を驚くべき形で変える」と語ったアメリカン大学の“平和の戦略演説”。そこには、短期的な勝利や自己満足に留まらず、長期的な視点で未来を見据える戦略眼が光っていました。
ビジネスの現場においても、日々の仕事や人間関係に「正解」はありません。迷い、恐れ、失敗――それでも立ち止まらず、未知の領域に挑戦し続ける。その姿勢こそが、組織や社会を前へ進める原動力になります。
ケネディは、華やかな成功だけでなく、「傷つき、悩み、失敗する」人間らしさを隠さずに歩んできました。だからこそ、彼の言葉や行動は、今も多くの人々の心に響き続けているのです。
もし、あなたが今、「自分に何ができるのか」と悩んでいるなら、ケネディの物語を思い出してみてください。未知のフロンティアに挑む勇気と、周囲を巻き込むリーダーシップ。そして、どんな困難な状況でも、冷静に、誠実に、理想を追い求める姿勢。
あなた自身もまた、新しい物語の主人公となって歩み始めることができるはずです。