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苦しみを希望に変えて――横田慎太郎さんの人生と“奇跡のバックホーム”
ビジョナリー編集部 2025/11/20
2019年9月26日、阪神タイガースの横田慎太郎さんが最後の公式戦で見せた「奇跡のバックホーム」が、本年映画化し、公開されることが話題となっています。
2023年に惜しまれながら28歳の若さでこの世を去った横田慎太郎さん。本稿では横田さんの闘病での苦悩やそこから得た考え、私たちに残したメッセージなどを振り返っていきます。
甲子園への憧れ
プロ野球選手だった父に憧れ、小学校3年生からソフトボールを始めた横田さん。中学の野球部では全国大会にも出場し、プロ野球選手になりたいという気持ちをさらに高めました。
高校で進学した鹿児島実業高等学校では、想像を超える厳しい練習もしながら、1年生から4番打者を任され、3年生では投手としても活躍しました。鹿児島県大会では2年連続で決勝で敗れ甲子園出場はできませんでしたが、その力はプロ野球のスカウトの目にもとまり、将来を期待されていました。
一軍での活躍を目指す中での病気の発覚
2013年に阪神からドラフト2位で指名され、プロ野球選手としての道を歩み始めた横田さん。「栄光の架橋」を登場曲に選び、甲子園に出場できたらこの曲でバッターボックスに立ちたいという夢を抱き、日々汗を流しました。
恵まれた体格、野球に対する真摯な姿勢、そしてファンやチームメイトに愛された人柄。順調にも見えたその時、21歳で突然、脳腫瘍が発覚します。
「なぜ自分が――?」
そう感じる間もなく、過酷な闘病生活が始まりました。抗がん剤治療や手術の末に一命を取り留めたものの、肉体は衰え、視力も思うように戻らずボールが二重に見えてしまう。それでも、横田さんは復帰を目指してリハビリと練習に全力を尽くしました。
「人より遅れているのだから、同じ練習量じゃダメだ。」
病気を経験したからこそ、横田さんは誰よりも努力しました。身体が思うように動かなくても、周囲に弱音を吐かない。できることを探し続け、仲間を声で鼓舞し続けました。当時二軍監督だった矢野燿大氏から「横田はいい声をしているな」と称賛されるほど、ベンチからグラウンドまで、全力でチームを支え続けたのです。
練習が終わった後、ふと孤独や不安が押し寄せることもありました。しかし、いつも心の支えになったのは、ファンからの温かい声援や、仲間からの励ましでした。
「奇跡のバックホーム」が生まれるまで
2019年、完全復活を誓って迎えたシーズン。しかし、視力の回復は思うように進みません。ボールが二重に見え、距離感もつかめない。そんな状態でも、横田さんは自分を追い込み続けました。しかし、ある日担当スカウトの田中秀太さんから「苦しかったら、もうやめてもいいんだぞ」と声をかけられ、初めて「苦しいです」と涙を流します。その瞬間、長い間背負ってきた重荷がすっと下りたといいます。
引退を決意した横田さん。その最後の試合が、プロ野球ファンのみならず多くの人々の心に深く刻まれることとなりました。引退試合でセンターを守った横田さん。まだ視界がぼやける中、飛んできたボールを掴み、本塁へノーバウンド送球。走者を刺したこのプレーは、「奇跡のバックホーム」として語り継がれています。
「最後にまさかこんな素晴らしいことが起こるとは…。必死に練習している姿を神様は見ていると思いました。」
涙ながらに語った言葉は、人々の胸を強く打ちました。
タイガースに入団してよかった――感謝の心で歩む第2の人生
引退後、阪神球団からはアカデミーコーチのオファーもありました。しかし、横田さんは考え抜いた末に辞退します。「自分の身体が万全でない状態で、子どもたちに野球を教えることはできない。」それが彼の誠実な信念でした。
では、次に自分にできることは何か。横田さんは闘病体験を伝える講演活動に力を注ぎます。「病気で苦しむ人たちの力になりたい。支えてくれた人々への恩返しがしたい」そう語り、全国を回ってメッセージを送りました。
「病気になって、よかったこともあるんです。」
大好きな野球を奪われた悔しさはもちろんありました。しかし、病気を経験したことで、それまで知らなかった世界や人の優しさ、絆の大切さを知ることができた。横田さんは、得たものの大きさに感謝していたのです。
家族・仲間・ファンに支えられた「本当の強さ」
横田さんの家族の存在も、彼の生き方に大きな影響を与えました。自分で「治療をやめてやりたいことがある」と決断したとき、母は「慎太郎の人生だから、慎太郎が決めなさい」と静かに背中を押しました。父は「おまえが決めたことだから」と、最後まで息子を信じ抜きました。
チームメイトや指導者、ファンも、常に横田さんのことを気にかけ続けました。2023年、タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たした際にも、優勝の輪の中で「背番号24」のユニフォームが空高く舞いました。同期入団の岩崎優投手が登場曲に「栄光の架橋」を選び、ファンと共に大合唱となった瞬間、横田さんの魂は確かにそこにありました。
やり尽くした者に次の扉が開く
引退試合の後、母と一緒に新幹線で「栄光の架橋」を聴いた横田さん。母は涙ながらに「やり尽くしたのであれば、必ず次の扉が開く」と語りました。その言葉通り、横田慎太郎さんの人生は、プロ野球選手としてだけでなく、人としての強さ、優しさ、前向きな生き方を多くの人に伝える新たな道へと続いていきました。
「苦しいことはいっぱいあったが、リハビリ中までずっと下を見てやっても意味がないので、ずっとずっと強い気持ちで励んでいました。」
横田慎太郎さんが残したこの言葉は、私たちがどんな困難に直面した時も、前を向いて歩む勇気を与えてくれます。彼は、苦しみや悔しささえも自分の成長や使命に変えることで、人生を豊かに生き切りました。
まとめ
横田慎太郎さんの「奇跡のバックホーム」は、ひたむきに努力し、支えてくれる人々への感謝を忘れず、最後まで自分の使命を追い求めた横田さんの生き様そのものです。
目の前の困難にも意味を見出し、周囲の温かさに感謝し、いま自分にできることを全力でやり抜き、やり尽くす。それが、人生を豊かにし、次の扉を開くカギなのです。


