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なぜ片岡仁左衛門は“東西”を越えたのか――名跡と革新の50年
ビジョナリー編集部 2026/02/19
歌舞伎の伝統と革新。その両極を行き来しながら、半世紀以上にわたり舞台の最前線に立ち続けてきた十五代目片岡仁左衛門(かたおか にざえもん)。名門「片岡家」に生まれ、幼少期から芸の世界に身を置いた彼の歩みは、名跡の重みと常に向き合う時間でもありました。順風満帆に見えるその経歴の裏側には、幾度もの葛藤と選択がありました。
本稿では、仁左衛門が歩んできた人生と、その芸に込められた情熱、そして現代歌舞伎の未来に託す思いを辿ります。
歌舞伎界に新風を吹き込んだ青春
片岡仁左衛門を襲名する以前、彼は本名の片岡孝夫(かたおか たかお)で舞台に立ち続けていました。長身に爽やかさと色気をまとい、21歳のときには『女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)』の河内屋与兵衛(かわちや よへえ)を初役で演じて熱狂的な喝采を浴びたことは、今なお語り継がれています。この役は若い俳優が演じることは珍しく、舞台に新鮮な緊張感とリアリティをもたらしました。
しかし、彼の道のりは順風満帆だったわけではありません。関西歌舞伎が公演機会の減少に直面し、厳しい時代を迎えるなかで、生活の不安さえ感じる日々。16、7歳の頃には役者を辞め、映画の世界に活路を求めようと真剣に悩んだこともありました。しかし、同世代の若手が小さなホールで必死に勉強会を重ねている姿を目撃し、「片岡の家に生まれた者が逃げてよいのか」と自問自答。最終的に「芝居で生きる」と腹をくくりました。
新たな客層を開拓した「孝玉コンビ」の躍進
1960年代後半から1970年代にかけて、彼の名声は東京にも広がっていきます。坂東玉三郎との「孝玉コンビ」は、歌舞伎の世界に新風を巻き起こしました。『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』の妖艶な絡みや、『於染久松色読販(おそめひさまつ うきなの よみうり)』での躍動感は、「これまで歌舞伎に興味がなかった若い女性や主婦層」を劇場に呼び込むきっかけとなりました。その熱気あふれる舞台は、従来の観客だけでなく、まったく新しい層をも魅了したのです。
当時、アングラ演劇や前衛的な舞台が注目を集め、若者の関心は歌舞伎から離れつつありました。しかし、若き孝夫と玉三郎の共演で鶴屋南北作品を観ようという機運が高まり、古典の世界に新たな感性が吹き込まれます。その舞台は従来の観客層にとどまらず、新しい世代を劇場へと呼び戻しました。
名跡襲名と人間国宝――数々の苦難を越えて
1993年、49歳のとき、孝夫は大葉性肺炎に罹患し、生死の境をさまよう状態に陥りました。この時期、父・十三代目仁左衛門と松竹会長から「十五代目仁左衛門」の名跡を継ぐ話が持ち上がっていました。しかし、三男である自分がその名を継ぐことに本当にふさわしいのか――深い葛藤を抱えていたといいます。命が助かるなら、それは名跡を継ぐ資格があるということだ。生と死の狭間で、彼は自らにそう問い続けました。
奇跡的に命を取り留め、悩みを振り切った彼は、翌年、歌舞伎座の舞台で復帰。父は倒れ、同じ舞台に立つことは叶いませんでしたが、父から贈られた三味線と手紙は、何よりも大きな励みとなったそうです。
1998年、歌舞伎座で十五代目片岡仁左衛門を襲名。関西の名跡であるにもかかわらず、江戸の芝居『助六』をあえて演じたのは、「東西の垣根を越え、日本の役者でありたい」という強い思いからでした。伝統の継承にとどまらず、自身の持ち味を生かし、新たな仁左衛門像を築き上げる覚悟の表れでもありました。
受け継がれる芸の精神と、後進へのメッセージ
2015年、重要無形文化財「歌舞伎立役」保持者として人間国宝に認定されます。立役とは、歌舞伎において男性の役柄を担う重要な存在です。長年にわたり古典の本質を掘り下げつつ、新たな魅力を引き出してきた功績が認められました。会見で仁左衛門は「重要無形文化財に認定していただけることをありがたく思うと同時に、責任を感じております」と語り、「諸先輩から受け継いだものを後輩に伝えて、歌舞伎がますます栄えるよう努力したい」と、感謝と決意をにじませました。
彼が大切にしているのは、「型」をなぞるだけではなく、「なぜその型が生まれたのか」を掘り下げる姿勢です。役の心情を深く理解し、観客がまるで舞台の時代に入り込んでいるような臨場感を生み出すこと。それが仁左衛門の目指す芸の本質です。
若手への指導にも熱心で、「基本をしっかり身につけてから、さまざまな挑戦をしてほしい」と語ります。「毎日が新しい発見でなければならない。これでよし、というのは我々の仕事にはない」と、自らも日々修業を重ねています。
そして2025年、片岡仁左衛門は文化勲章を受章しました。受賞の連絡を受けたとき、驚きながら仏壇に向かって父や兄弟たちに報告したそうです。「自分が好きでやってきたことで評価していただき、本当に幸せ」と笑顔を見せつつ、「文化勲章の“質”を落とさないよう、これからも精進したい」と気を引き締めていました。
終わりなき道の先へ――伝統の未来を担う者として
「歌舞伎の本道を守りつつ、常に新しい可能性を探り続ける」
そのような真摯な姿勢こそが、片岡仁左衛門の人生を形作っています。伝統の枠を守るだけでなく、自らの体験と信念で“今”に息づく芸を生み出し、次世代へと受け継いでいく。
「舞台に立って、お客様が喜んでくださる瞬間こそが役者冥利」
その一言に、彼の人生と芸にかける情熱、そして人間国宝としての覚悟が凝縮されているように思います。これからも、片岡仁左衛門は歌舞伎という伝統の中で「新しい何か」を探し続けていくことでしょう。その歩みから、私たちが学べることは決して少なくありません。


