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8/22(金)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/08/22
「武田信玄」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?
勇猛果敢な戦国武将、あるいは「風林火山」の旗印を掲げた最強の騎馬軍団でしょうか。現代のビジネスパーソンにとっても、武田信玄から学ぶべきことは数多くあります。
一方で、信玄の成功には落とし穴も潜んでいました。
今回は、武田信玄の実像と功績、そしてその思考法をビジネスで活かすヒントと注意点を、具体的なエピソードを交えながらご紹介します。
武田信玄は、甲斐国(現在の山梨県)に生まれた、戦国時代を代表する名将の一人です。
父の信虎が弟の信繁に家督を譲ろうとする中で、信玄は重臣達を味方に付け、信虎を今川義元のもとへ追放し、家督を相続します。いわゆるクーデターです。戦国時代でクーデターで家督を奪うこと自体はよくあることでしたが、殺すことなく無血で家督を相続したエピソードは、当時としては異例の政権交代でした。
信玄の武田軍団は、その機動力と組織力で知れ渡り、特に赤備えと呼ばれた精鋭部隊は、敵軍を震え上がらせました。
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し
風林火山の軍旗で有名な言葉が示す通り、状況に応じて柔軟に、かつ大胆に動くことを信条としたのです。
信玄は単なる戦上手だけではなく、領地運営にも力を入れました。
例えば、甲府盆地の治水工事「信玄堤」は、現代にも名を残す大土木事業です。
限られた農地と度重なる水害という地理的なハンディキャップがある中で、信玄は新田開発を実施し、経済を安定させて領民からの信頼も得ました。
信玄は忍びを使って情報収集していたことが有名で、相手のことを徹底的に調べて、負けないと確信して初めて出陣していたと言われています。
信玄の名言に「人は城 人は石垣 人は堀」というものがあります。
人は適した場所に配置してこそ輝くという、信玄が人材を大事にしていたことを表す考え方です。
「疾きこと風の如く」──俊敏な意思決定
「徐かなること林の如く」──忍耐と冷静さ
「侵掠すること火の如く」──チャンス時の果断な行動
「動かざること山の如し」──危機における不動心
信玄の戦術哲学は、現代のビジネスにもそのまま応用できます。
信玄はセルフプロデュース力にも長け、自らを神格化することで家臣団の求心力を高めました。しかし、これはあくまで一代限りで上手くいくやり方でした。
後継者の勝頼は、父のカリスマ性を再現できず、家臣団との軋轢や組織内対立が表面化しました。
「組織はリーダーだけで動くものではなく、次世代へスムーズに継承できる体制が不可欠」という教訓を残しました。
武田軍の赤備えや風林火山の旗印は、敵に恐怖を与える「ブランディング」として大きな効果を発揮し、武田軍が来るだけで逃げてしまうこともありました。
しかし、家臣団が現実の実力とイメージのギャップに気づかず、慢心や油断を生んだことが、滅亡への遠因となったのです。
学び続けること、そしてコツコツと積み重ねることの重要性を説いた言葉です。
→ 日々の小さな努力や自己研鑽が、長期的なキャリアアップにつながります。
苦手なこと・面倒なことを先送りせず、まず取り組む。その心構えが、失敗や挫折を防ぐ最大の武器となります。
→ 先延ばし癖を断ち切るだけで、仕事のパフォーマンスが大きく変わります。
「なぜ、あれほどの名将が天下を取れなかったのか?」
武田信玄の足跡をたどると、「地理的ハンディキャップ」や、「カリスマ型組織の限界」、「イメージと実態のギャップ」など、現代のビジネスにも共通する課題が見えてきます。一方で、
これらは、どの時代でも変わらぬ強い組織の本質です。武田信玄の思考法を学び、あなた自身や組織に取り入れることで、時代に負けない強さを手に入れることができるでしょう。