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123年の歴史を紡ぐ「モノ好き集団」の哲学――エトワール海渡社長が語る、日本のモノづくりと「日常×気分が上がる」価値
ビジョナリー編集部 2025/12/19
1902(明治35)年の創業以来、ファッションから雑貨、食品まで幅広いカテゴリーを取り扱う総合卸商社として日本の暮らしに彩りを提供し続けてきた株式会社エトワール海渡。123年の長きにわたり、幾多の時代の変化を乗り越え、今なお業界の第一線を走り続ける同社の神髄とは何か。代表取締役社長・早川謹之助氏に、創業から受け継がれる精神と、未来へのビジョンを伺った。
創業の原点 ― 「ささやかな幸せ」を流通させ、人と共に発展するエコシステム
貴社の創業者はどのような想いで事業を始めたのでしょうか。
私たちの創業は1902年、まだ和装が日常だった時代に遡ります。創業者は、帯留めやかんざしといった、今でいうファッションアクセサリーの製造卸から商いを始めました。私はその事業の始まりに「日々の暮らしのささやかな幸せを、装粧品を通じて世の中に広く流通させたい」という思いがあったのだと解釈しています。
創業時の精神を今に伝えるものとして、「海渡商店店則」という規則が残されています。そこには、14歳で入店した社員が8年間の勤務を経て22歳で独立することを前提とした、今でいうインキュベーションのような仕組みが記されていました。会社は独立を奨励し、業績に応じて積立金を上乗せして創業資金とし、独立後も有利な掛率で商品を仕入れられるように支援していました。自社だけが大きくなるのではなく、社員の起業を支え、共に発展していくエコシステムを構築しようとしていたのです。この精神は、私たちの事業の根幹をなすものだと考えています。

女性活躍と人材育成のDNA ― 危機を乗り越えた「ファミリー」としての企業文化
長い歴史の中で、特に大きな転換点となった出来事を教えてください。
事業が大きく飛躍した背景には女性社員の力があります。私の祖母にあたる先代の二美子は、戦争で夫を亡くし、小さな子どもを連れて実家であるエトワール海渡に戻り、その後家業を支え続けました。その姿を間近で見ていた二代目は、まだ男女雇用機会均等法もない時代から「女性が寿退社で社会から離れるのはもったいない」と考え、能力ある女性社員が働き続けられるよう保育園を設立しました。私も実はその保育園で育っています。
また、社員は10代で地方から集団就職で上京してくるものが多かったのですが、そうした社員たちのために、充実した寮を完備し、茶道や華道、絵画などを教える「エトワール学園」も作りました。文化的な教養を身につけることで、お客様としっかり対話できる人材に育てようとしたのです。会社全体が、社員の人生に寄り添う一つの大きな家族のようでした。
この「ファミリー」としての繋がりは、社員だけにとどまりません。私たちの強みは、お取引先との付き合いが非常に長いことです。中には3世代にわたってお付き合いのあるサプライヤーさんもいらっしゃいます。関東大震災や戦争で店はすべて焼失しましたが、その際にサプライヤーさんから「支払いは後でいいから、商品を早く持っていきなさい」と言っていただきました。そのおかげで、私たちは戦後1ヶ月という驚異的なスピードで事業を再開することができました。二度の壊滅的な危機を乗り越えられたのは、長年にわたり培ってきたゆるぎない信頼関係があったからに他なりません。新しいお取引先と出会う時も、目先の利益ではなく、いかに長くお付き合いを続けられるかを最も重視しています。
私たちの強みは「日常×気分が上がる」価値の提供
貴社だからこそ成し得たことや強みは何でしょうか。
エトワール海渡ならではの強みは何か。それを突き詰めていくと、「日常×気分が上がる」という価値を提供し続けてきたことに行き着きます。これは、20年ほど前に「ハーバード・ビジネス・レビュー」で提唱された「新贅沢財」(new luxury goods)という概念に近いかもしれません。かつての贅沢品は他人に見せるための非日常的なものであったのに対し、これからはシャンプーやボディソープのように自分で、日常的に使うものの中に少しだけ心が高揚するような付加価値が求められるようになる、という考え方です。
私たちは創業以来、まさにこの領域の商品を扱ってきました。「なくてもいいけど、あったら嬉しいもの」。ファッションから生活雑貨、食品に至るまで、あらゆるカテゴリーを横断してこの価値観に合うものを揃える。その結果、私たちはこの分野における一種のカテゴリーキラーになったのだと分析しています。
この価値観を社員全員で共有するために、3年前の創業120周年の際には、社員から「自分の気分が上がる瞬間の写真」を募集しました。商品はもちろん、キャンプの風景やペットの写真など、多様な「気分が上がる」瞬間が集まり、私たちのアイデンティティを再確認する機会となりました。私たちは、商品を扱うだけでなく、その背景にある熱量を伝える 「モノ好き集団」 なのです。

コロナ禍で加速したDXと、これから目指す「体感価値」の最大化
貴社は、今まさに会社の転換期とお聞きしたのですが、どういった流れで転換期となったのでしょうか。また、どのようなイノベーションを会社にもたらしたいとお考えでしょうか。
近年の大きな転換点は、やはりコロナ禍でした。全国からお客様が来店できなくなり、私たちはデジタル化を前倒しで進めるしかありませんでした。店舗に在庫を持たないショールーム型に切り替え、お客様には商品をスキャンしてECサイトで購入いただく形へと移行しました。B to Bの業態では非常に画期的な取り組みだったと思います。
もちろん、移行は簡単ではありませんでした。特にご高齢のお客様に対しては、電話で使い方をひとつひとつ説明し、時には私たちが注文を代行入力するなど、2年がかりで丁寧に伴走しました。この経験は、お客様が商品を注文し、店員が商品をお持ちする「対面販売」が主流だった時代に、二代目が業界に先駆けてセルフサービスを導入し、お客様から「客に商品を取らせるとは何事か」と大変な反発を受けたことと重なります。サービスの変更には必ず困難が伴いますが、お客様に寄り添い、共に乗り越えていく姿勢が大切なのです。
デジタル化が整った今、私たちが次に見据えているのは、改めてリアルな場での「体感」の価値を強化することです。ネット上にはレビューなど他者評価の情報が溢れていますが、私たちはそれだけでなく、自分がどう感じるかという「体感価値」 を大切にしたい。デジタルでもお客様と繋がるチャネルが確立された今だからこそ、リアルの良さを最大限に活かしていきたいと考えています。近年、小売店はただモノを売るだけの場所ではなく、その地域の人々が集うコミュニティハブの機能を持ちつつあります。商品の選び方、見せ方、伝え方、空間のつくり方、演出の仕方などのヒントをショールームで提案することによって、お客様のミセづくりを後押しし、全国各地で多くの方の日常に「気分上げ」をもたらす売場の形成を図ります。
風土に根ざすモノづくりを支え、商いの“場”から小売と地域をつなぐ
早川社長が7代目として、受け継いできた「変えてはいけないもの」をどのように考えていますか。
私たちが守り、未来へ繋いでいきたいもの。それは、日本の風土に根ざすモノづくりを支え、商いの“場”から小売と地域をつなぐことです。エトワール海渡は、リアルとデジタル、作り手と売り手、地域と地域が交わる中間流通のハブとして、ローカルサクセスを重視しています。作り手、売り手がそれぞれの地域に深く根差していることが、日常生活の充実ひいては文化の充実につながるという思いからです。
わが社のバイヤーには、積極的に全国各地の生産地を訪れるよう促しています。その土地の風土や文化、作り手の生活に触れることで、商品の背景にあるストーリーを実感として理解する。その体感がなければ、本当に「良いものだ」と熱量を持ってお客様に伝えることはできないからです。これを伝えないと、モノづくりは価格だけの競争に陥ってしまいます。私たちは、誇りをもってモノづくりをする作り手、その価値を伝える橋渡し役としての卸、日々の気分上げを支える小売店とが共に成長できるエコシステムを創出し続けたいと思っています。
常に好奇心を持ち仕事と人生を豊かに
これからの人材に求めたいマインド、早川社長が求める人物像を教えてください。
私自身は、元々この会社を継ぐ予定はなく、美大でデジタルデザインを学んでいました。デザインとは、単なる自己表現(アート)ではなく、クライアントの課題を観察し、解決策を提示する「問題解決手段」です。その考え方は、会社の理念や価値観を整理し、再構築していく上で非常に役立ちました。
これからの社員に期待したいのは、「老壮青」という言葉に表される精神です。老年でも壮年でも青年でも、年齢にかかわらず、常に好奇心を持って学び続ける姿勢です。
私たちは仕事の中で多くの人々との接点を持ちます。その交わりの中で学び、自分自身の人生を豊かにしていってほしい。バイヤーが生産地を訪れるのは、単に仕事のためだけではありません。その土地の人々の暮らしに触れることは、その人の人生のプラスになります。そうして得た実感は、自然と「この人たちや地域のために役に立ちたい」という使命感に繋がっていくはずです。仕事と人生を分けるのではなく、双方の成長のために学び続ける。そうした高い志を持つことで、組織も個人も共に豊かになれると信じています。


