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2025

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    柳井氏は何を成し遂げたのか──「ユニクロ」を世界ブランドに導いた男の軌跡と信念

    柳井氏は何を成し遂げたのか──「ユニクロ」を世界ブランドに導いた男の軌跡と信念

    「ユニクロ」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。手頃な価格、シンプルで高品質なデザイン、そして世界中どこでも見かける赤いロゴ。いまやグローバルブランドとして名を馳せるユニクロですが、その礎を築いたのがファーストリテイリング会長兼社長・柳井正氏です。

    では、柳井氏は何を成し遂げ、どのような道を歩んできたのでしょうか? そして、彼の原動力となっている考え方とは?

    本記事では、柳井氏の生い立ちから現在の功績、そして彼が大切にしてきた経営哲学まで、わかりやすくお伝えします。

    「無気力な学生」から世界的経営者へ──柳井正氏の生い立ち

    「成功者」と聞くと、子どもの頃から抜群のリーダーシップや野心を持っていた人物を想像しがちです。しかし、柳井氏の少年時代は意外なものでした。

    山口県宇部市で生まれた柳井氏は、地方都市の商店街で育ちました。両親は紳士服店や建設業など、複数の事業を手掛けていましたが、幼少期の柳井氏は内向的で大人しい性格であり、家業の商売にも特に興味を持っていなかったそうです。

    進学校を経て早稲田大学政治経済学部に進学したものの、大学時代は授業をサボりがちで、パチンコや麻雀に明け暮れる無気力学生だったといいます。また、「どうすれば働かずに生きていけるか」を本気で考えていた時期もあったそうです。

    大学卒業後は父親の勧めで当時のジャスコ(現イオン)に入社しましたが、約半年で退職し、「会社勤めが合わなかった」と率直に語っています。その後、再び宇部市に戻り、父の経営する小郡商事で働き始めました。

    このような「どこにでもいそうな若者」だった柳井氏が、なぜ世界のトップ経営者に成長できたのでしょうか?

    逆境からの出発──「ユニクロ」誕生の裏側

    実家の小郡商事は、もともと紳士服店として地域に根差していました。柳井氏が本格的に経営に携わるようになったのは20代後半のことです。最初は現場の非効率さや様々な課題に直面し、従業員との衝突も絶えませんでした。仕入れから販売、経理や人事まで、店のすべての業務を自分一人でこなす日々が続きましたが、その中で初めて「商売の面白さ」や「行動すれば結果が返ってくる手応え」を実感したといいます。

    そして1984年には、従来の紳士服店から一転し、誰でも手に取りやすいカジュアルウェア専門店「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」(のちのユニクロ)を広島市にオープンしました。当時の日本にはなかったSPA(製造小売一体型)のビジネスモデルを導入したのもこの時で、これはアメリカのGAPや香港のジョルダーノの事例から学び取ったものでした。

    1990年代後半には「フリース」が大ヒットし、ユニクロは一気に全国区のブランドへと成長します。その後も「ヒートテック」など生活者目線の機能性商品を次々と開発し、幅広い世代に支持されるブランドへと発展していきました。

    世界を舞台に──ユニクロのグローバル展開

    では、ユニクロはなぜ世界的なブランドに成長できたのでしょうか? 柳井氏自身が「10回挑戦して9回失敗する」と語るように、恐れずに実行や実践を重視する姿勢が原動力となっています。2001年に初めて海外進出したロンドンでは、当初大規模な撤退を経験しましたが、その失敗から学び、戦略を修正し続けました。

    また、中国進出の際には現地ニーズに合わせたものの品質低下で苦戦しましたが、日本品質のユニクロをそのまま持ち込むことで、現在の成功へとつなげています。2024年8月期には売上が3兆円を突破し、店舗数は世界25カ国・約3,600店舗にまで拡大しました。海外売上が国内を上回り、「世界のユニクロ」としての地位を確立しています。

    さらに、「LifeWear(究極の普段着)」というコンセプトを掲げ、単なるファストファッションからの脱却を図りました。機能性・品質・価格のバランスによって他社との差別化を進め、グローバルでの認知度を高めてきたことも、ユニクロが世界的ブランドへと成長できた理由の一つです。

    柳井氏が大切にする「3つの信念」

    柳井氏の経営手法や哲学には、ブレない軸があります。ここでは、特に重要な3つをご紹介します。

    1. 「まずやってみる」──実践主義

    「どんなに良いアイデアでも、実行しなければ意味がない。失敗して初めて学びがある。」

    柳井氏は「やる前から考えても無駄」と語ります。実際に手を動かし、現場でトライ&エラーを繰り返すことが、成長の原動力だと考えています。

    具体例

    海外進出での苦い失敗も、最初の一歩を踏み出さなければ得られなかった経験でした。そこから戦略を修正し、今では海外売上が全体の45%を占めるまでに成長しています。

    2. 「顧客こそが経営の主役」──顧客志向

    「ユニクロで一番発言権があるのは社長ではなく、お客様です。」

    どれだけ会社が大きくなっても、「顧客の声を最優先にする」姿勢を貫いています。顧客の不満やニーズを見逃さず、生活者目線の商品開発やサービス向上に努めてきました。

    具体例

    「LifeWear」ブランドは、誰にでもフィットする普段着を目指し、機能性や快適性に徹底的にこだわっています。

    3. 「高い目標を持ち続ける」──成長志向

    「成長できなければ死んだも同然。企業の使命は成長し続けること。」

    柳井氏は、企業も人も「常に高い目標を掲げ、挑戦し続ける」ことが重要だと繰り返し語っています。現状維持に満足しない姿勢が、ユニクロの飛躍を支えてきました。

    具体例

    過去20年で会社規模を10年ごとに3倍へ拡大。現在は「10兆円企業」を目指し、さらなるグローバル展開に挑んでいます。

    変化を恐れず、イノベーションを続ける

    柳井氏の経営は「変化」を前提としています。

    「どんなに繁栄していても、やがて衰退する。すべてのことは変わる」という原体験が、彼の哲学の根底にあります。既成概念を打破する決断力を持ち、父から受け継いだ紳士服店を思い切ってカジュアルウェアに転換したことも、その一例です。

    また、業績が伸び悩んだ時期には、創業以来の役員を一新し、外部から新たな人材を積極的に登用しました。「服を変え、常識を変え、世界を変える」という言葉は、ファーストリテイリングの社是であると同時に、柳井氏自身の行動指針でもあります。

    彼は、グローバル市場で戦うには、絶えずイノベーションを続け、スピード感を持って変化し続ける必要があると強調しています。

    柳井正の功績──「何を成し遂げたのか」

    最後に、柳井氏が日本、そして世界のビジネス界に残した最大の功績をまとめます。

    1. 地方の小さな紳士服店から、世界的アパレル企業への変貌

    • 地方都市の家業を引き継ぎ、わずか数十年で世界トップクラスの売上・規模を誇る企業へと成長させました。

    2. SPAモデルによるアパレル業界の変革

    • 製造から販売までを一貫して担うSPAモデルを日本に広め、従来の業界構造を大きく変えました。

    3. 「普段着」の価値を世界基準に

    • ユニクロの「LifeWear」は、国や文化を超えて多くの人々の日常に溶け込んでいます。

    4. 変化と挑戦を続ける経営哲学の体現者

    • 失敗を恐れず、顧客の声に耳を傾け、高みを目指し続ける姿勢は、多くの経営者やビジネスパーソンに影響を与えています。

    まとめ──柳井正氏から学べること

    柳井氏の歩みを振り返ると、「特別な人にしかできないこと」ではなく、「地道な努力」「失敗を恐れない挑戦」「顧客を大切にする姿勢」の重要性を再認識させられます。

    もしあなたが新たなビジネスに挑戦したいなら、まずは一歩踏み出すこと。
    そして、現状に満足せず、より高い目標を目指し続けること。

    ユニクロの成功の裏には、そんな普遍的な“成長の本質”が詰まっています。

    これからの時代、変化のスピードはますます加速します。柳井正氏の「変化を恐れず、挑戦し続ける」姿勢から、私たちが学ぶことはまだまだ多いのではないでしょうか。

    #ユニクロ#柳井正#ファーストリテイリング#ビジネス#経営哲学#グローバル企業#アパレル業界#起業家精神#イノベーション

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