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9/15(月)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/12
2025年のNHKの連続テレビ小説「あんぱん」。“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルにした物語も、いよいよ佳境を迎えています。
その中で、主題歌であるRADWINPSの「賜物」に、『アップテンポな楽曲がドラマの雰囲気に合っていない』といった声が、放送開始後より視聴者から多く寄せられているようです。
しかし、実は歌詞を一つひとつ見ていくと、ドラマの世界観を表現するフレーズが込められているとも言われています。実際のところ、この楽曲にはどのような意味が込められているのでしょうか。
今回は、ドラマのストーリーや、やなせたかしや暢の生涯に紐付けながら、歌詞の意味を考察していきます。
“涙に用なんてないっていうのに やたらと縁がある人生
かさばっていく過去と 視界ゼロの未来
狭間で揺られ立ち眩んでいるけど”
歌の冒頭部分、やなせたかしも暢も経験した、戦争や病気で家族を亡くした厳しい現実を彷彿とさせます。
「涙に用なんてないっていうのに やたらと縁がある人生」からは、悲しいことなど体験したくないけれど訪れてしまう無常さが、「かさばっていく過去と 視界ゼロの未来」からは、辛い体験から希望を見失ってしまう姿が浮かびます。
“「産まれた意味」書き記された 手紙を僕ら破いて
この世界の扉 開けてきたんだ
生まれながらに反逆の旅人”
「産まれた意味を書き記された手紙」というのは、神様がそれぞれに与えた運命や使命のようなものを示唆していると考えられます。その手紙を破って産まれ生きていくことを「反逆の旅人」と表現し、人は与えられたものに従うのではなく、自分で生きていかないといけないからこその人生の過酷さも感じられます。
アンパンマンのマーチにも
「なんのために生まれて なにをして生きるのか」
とあるように、どのように生きて何を成し遂げるのかということが、ドラマでも大切なテーマになっています。
“人生訓と経験談と占星術または統計学による
教則その他、参考文献 溢れ返るこの人間社会で
道理も通る隙間もないような日々だが 今日も超絶G難度人生を
生きていこう いざ”
「人生訓と〜日々だが」の部分で、世の中で正しいとされていることに従わないといけない社会の風潮を感じさせます。戦争や戦後という時代の中で、今以上に「これが正しい」や「こうすべき」という圧力が強く、作中でもやなせ夫婦がそういったものに翻弄されたり苦しむ姿が描写されています。
ですが、「今日も超絶G難度人生を生きていこう」というところから、悲観的なだけでなく、立ち向かっていく姿勢が見えてきます。体操などで技の難易度を示す時に使われる「G難度」。難しいからこそ挑戦のしがいがある、というポジティブなメッセージが読み取れます。辛く厳しい現実に対して前向きに捉えるようになぜなっていくのかが、この後から表現されていきます。
“いつか来たる命の終わりへと 近づいてくはずの明日が
輝いてさえ見えるこの摩訶不思議で 愛しき魔法の鍵を
君が握ってて なぜにどうして? 馬鹿げてるとか 思ったりもするけど
君に託した 神様とやらの采配 万歳”
冒頭で「視界ゼロの未来」と言われて、死に近づくだけだったはずの未来が「輝いてさえ見える」。そこには、やなせたかしにとっても暢にとっても、大切なパートナーの存在があるからです。作中でもお互いに支え合いながら苦難を乗り越えていく姿が印象的です。
産まれる時に神様からの手紙は破ってしまいましたが、それでも生きていく上で、かけがいのないパートナーに引き合わせてくれたことを「神様とやらの采配 万歳」と表現していると考えると、人生は厳しいだけではないと希望も見えてきます。
“この風に乗っかってどこへ行く
生まれたての今日が僕を呼ぶ
「間違いなんかない」って誰かが言う
「そりゃそうだよな」とか「ないわけない」とか堂々巡れば”
「生まれたての今日」というのは、昨日から見た「輝いてさえ見える明日」と考えられます。輝いて見えた未来を迎えてどう生きていくのか。人生はそういうものを自問自答しながら積み重ねていくもののように感じられます。
“悲しいことが 悔しいことが この先にも待っていること
知っているけど それでも君と生きる明日を選ぶよ
まっさらな朝に 「おはよう」”
これまで経験したような辛いことがこれからも起こりうることは分かっていて、実際に作中でも様々な大変なことが起こります。
それでもパートナーがいるからこそ、そのようなことも乗り越えていける希望が表現されており、作品を観る時にも、厳しい出来事にハラハラしながらも、どう乗り越えていくのかが楽しみなところでもあります。
“感情線と運命線と恋愛線たちが対角線で
交錯して弾け飛び火花散り 燃え上がるその炎を燃料に
一か八かよりも確かなものは何かなんて言ってる場合なんか
じゃないじゃんか いざ”
「感情線と〜その炎を燃料に」は、やなせたかしが作詞した「手のひらを太陽に」を示唆していると考えられます。
「手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮」
とあるように、生きていく上で内から感じられる躍動感のようなものを原動力にして、現実にも立ち向かっていく姿が想像できます。
「一か八かよりも確かなもの」というのは、例えば世間で正しいとされていることに従っていくことだと考えられますが、そういうものを振り切って駆け抜けていく人生を彷彿とさせます。
“どんな運命でさえも二度見してゆく 美しき僕たちの無様
絶望でさえ追いつけない 速さで走る君と二人ならば”
「美しき僕たちの無様」。一見矛盾するようですが、漫画家として厳しい道を歩み貧乏な生活も経験することを「無様」と表現しながらも、やなせたかしも暢も、全力で生き抜くからこそ「美しい」のです。
立ち止まってしまえば絶望に飲み込まれてしまうところを、どこまでも前向きに支えてくれる暢がいるからこそ乗り越えられる。また、暢が幼少期に足が速く「韋駄天おのぶ」と言われていたことにもかけていると見ることもできます。
“「できないことなど 何があるだろう?」
返事はないらしい なら何を躊躇う
正しさなんかに できはしないこと この心は知っているんだ
There's no time to surrender”
この部分も様々な解釈をすることができ、面白いところです。
「できないことなど 何があるだろう?」
まずは、やなせたかしが暢に問いかけていると考えることができます。作中においても、やなせたかしが作品作りで悩んだり、なかなか評価を得られなかったりすることが描写されています。「返事はない」というところを想像すると、やなせたかしのことを信じて支えてきた暢がまっすぐに見つめて、背中を後押ししてくれているようにも受け取れます。
また、暢がやなせたかしに問いかけていると読むこともできます。こう考えると「返事はない」というのは、やなせたかしが「そう言われると…」と戸惑いであったり思い直したりする姿が浮かびます。それに対して、暢が「なら何を躊躇う」のかと励ましているようにも感じます。
また、ドラマを見たり、この歌を聞いている人に対して問いかけているとも読めるかもしれません。作品を通して、私たちにも「挑戦してみよう」と言ってくれているようにも感じます。
そして、「正しさなんかに できはしないこと」というのは、作中でも重要な「逆転しない正義」のことだと考えられます。ここでいう正しさとは、いわゆる世間で正しいとされていることです。ですが、この時代は戦争を通して、その正しいとされていること自体、大きく変わった時代でもあります。その中で変わることのない正義を達成するためには、心から信じるものが必要だと訴えていると思われます。
「There's no time to surrender」ーー諦めている暇はありません。
“時が来ればお返しする命 この借り物を我が物顔で僕ら
愛でてみたり 諦めてみだりに思い出無造作に
詰め込んだり 逃げ込んだり
せっかくだから 唯一で無二の詰め合わせにして返すとしよう”
「時が来ればお返しする命」というのは、やなせたかしや暢にとって、身近な人が戦争や病気で亡くなる中、生き延びることができたという人生観を反映しているのかもしれません。
そして「この借り物を〜唯一で無二の詰め合わせにして返すとしよう」という部分は、「逆転しない正義」を求めて駆け抜けた、波乱万丈な二人の人生そのものです。世間で正しいとされていることに妥協しなかったからこそ、「無造作に詰め込んだ」ものかもしれませんが、それ故の魅力が感じられます。
“あわよくばもう 「いらない、あげる」なんて 呆れて 笑われるくらいの
命を生きよう
君と生きよう”
歌の最後の部分です。「いらない、あげる なんて呆れて笑われるくらい」というのは、神様に言われると考えられます。「時が来ればお返しする命」とありましたが、人生を全うし、神様に返す時に、「そこまで挑戦してやり切った人生は正真正銘あなたのもの」であり、「やりすぎだよ」と笑われるくらいの人生を生きたと思うと、とても素敵な表現だと思います。
そのような人生を、パートナーとしてやなせたかしと暢が最後まで生きていこうと締めくくっています。ドラマも最終回が近づくにつれ、どのような最後を迎えるかが楽しみです。
作詞・作曲を手がけたRADWIMPSの野田洋次郎氏は、インタビューで、今まで一番労力をかけた曲であり、その想いを受け止めてくれた「あんぱん」のプロデューサーにも感謝を述べています。時間をかけ何度も作り直しながら、「中途半端に終わるわけにはいかない、やり切るんだ」という覚悟で制作したそうです。
1日2000万人以上の人が朝ドラを観て、その主題歌を聴く中で、中途半端に全員を喜ばせようとすると薄くなってしまうため、まずは自身が圧倒的に良いものを作ろうと思う曲にしながら、その上で根っこにある普遍的で素朴なメロディが好きというところから、色んな世代の視聴者との融合も叶うと信じていたそうです。
「賜物」という言葉には2つの意味があります。
1つ目は「恩恵や祝福として与えられたもの」という意味で、神様からの恵というニュアンスを含んだ縁起の良い言葉です。2つ目は「あることの結果として現れたよいもの、または事柄や成果」という意味で、よく「長年の努力の賜物」というように使います。
様々な困難を乗り越えながら駆け抜けた二人の人生は、まさしく「神様からもらった命を全うしながら」「二人で支え合い唯一無二の作品を生み出した」ものです。
ドラマや主題歌を通して、やなせたかしと暢の人生に想いを馳せるのは、今からでも遅くはありません。