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2025

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    松下幸之助、稲盛和夫、大谷翔平も学んでいた。多くの著名人が哲人・中村天風に注目する理由

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    大谷翔平選手がメジャーリーグへ行く前に愛読していた一冊の文庫本『運命を拓く―天風瞑想録』。著者は、昭和の哲人・中村天風です。松下幸之助をはじめ、京セラの稲盛和夫氏、ニデックの永守重信氏、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄氏など、多くの財界人が座右の書として天風の本を挙げています。中村天風とは、どんな人物だったのか、そして、その教えとは――天風の人生を振り返りつつ、紹介していきましょう。

    中村天風の生涯と悟り

    青年期と諜報員としての活動

    1876年、東京の王子村(現在の北区)に生まれた中村三郎(後の中村天風)。青年期は、行動力に富んでいました。恵まれた頭脳と身体能力をもっていた三郎は、幼い頃から剣や書、絵画など幅広い分野で才能を見せました。ただ、非常に気性が荒く、喧嘩三昧の日々でもありました。そして中学校のとき、暴力事件に巻き込まれ中退することとなり、福岡の右翼政治結社・玄洋社へと入りました。

    天風は日清戦争開戦前に、陸軍中佐のカバン持ちとして、満州や遼東半島の偵察・調査に随行。日露戦争の時代には、軍事探偵としてハルピン方面で活動し、危険な場面にも幾度も直面しました。「人斬り天風」と呼ばれたその諜報活動は過酷で、ロシア兵に捕らえられ死刑を宣告されながらも、九死に一生を得る経験をします。

    当時、参謀本部から派遣された軍事探偵113名のうち、生きて帰還したのはわずか9名。この時期に培われたであろう、極限状態での判断力や精神的な強さが、のちの天風の思想形成に影響を与えたと言われています。

    病との闘い

    輝かしい活躍の最中、天風は、当時不治の病と言われていた奔馬性肺結核を患います。朝鮮総督府の高等通訳官となって、間もなくのことでした。それは、当時の医学では回復困難なものでした。心身ともに衰弱していった天風は、「戦地では死をも恐れぬ自分が、病によって何故こんなにも弱い心になったのか」とのちに語っています。

    真理を求めた旅とカリアッパ師との出会い

    なんとか生き延びる道を探すため、天風は単身、アメリカへと渡りました。オリソン・スウェット・マーデン博士に学び、コロンビア大学では免疫系と自律神経系統について知識を深め、大学を首席で卒業するも、病を治す術は見つかりません。さらなる哲学者、有名識者を尋ね、ヨーロッパへ渡りました。そこで、リンドラー博士やハンス・ドリーシュ博士といった当時の知識人たちに学びますが、そこにも天風の求める答えはありませんでした。

    失意のうちに、「せめて母のもとで死のう」と帰国の途についた天風でしたが、エジプトのカイロで、インドのヨガ指導者・カリアッパ師と出会います。これが、大きな転機でした。師は、「お前は助かる、私についてきなさい」と告げ、天風はヒマラヤの麓ゴルケ村で、2年と数か月にわたり、ヨガ哲学の過酷な修行を重ねたのです。

    そこで彼が得たのは、「自分は宇宙霊と一体である」という境地でした。自己と宇宙、生命全体とのつながりを感知し、自分の内なる可能性を悟る体験。天風自身この体験を、「心が宇宙の根源者の無限の力を自分の生命へ受け入れるパイプ」 と語っています。このとき、彼の生命観が大きく変わりました。それまで「なぜ自分がこのような病に冒されるのか」と嘆いていた心が消え、今ここに生かされていることへの感謝が湧いたのです。そして、気づけば結核は治っており、独自の悟りを得て日本へと帰国しました。西洋と東洋の双方の知を探求した末に辿り着いたこの境地が、天風哲学の基礎となっていきます。

    帰国後、実業界での活動を経て「統一哲医学会」創設へ

    帰国後も天風の行動力は変わらず、第二辛亥革命への参加などを経て、帰国後は実業界へと入り、東京実業貯蓄銀行の頭取や大日本製粉(現・日清製粉)の重役を務めるなど、事業家としても手腕を発揮しました。 しかし、物質的な成功だけでは満たされず、戦後恐慌に苦しむ人々を見て、自らの体験と悟りを社会に役立てることを決意します。1919年、43歳で突然財産を整理し、「統一哲医学会」(のちの天風会)を創設。上野公園で辻説法に立つことから始めました。この活動はやがて、原敬をはじめとする政財界の人々にも影響を与えていきます。

    天風哲学の核心:「絶対積極」と「心身統一法」

    中村天風の哲学は、精神論にとどまらず、日々の生活でさまざまな課題に直面したときにも、心身を安定させ、潜在的な力を引き出すため考え方を提示しています。 その中心に、「絶対積極」 という心の在り方と、それを支える 「心身統一法」 という実践法があります。

    絶対積極:「怒らず、恐れず、悲しまず」――柔軟な精神状態を保つ

    「人生は、心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が人生の一切を良くも、悪くもする」。 これは、『どんな困難も、心の状態によってその捉え方が変わる』ということを示しています。特にビジネスにおいて、予期しない困難や人間関係の問題など、心が動揺することは少なくありません。そこで天風が提案するのが、「絶対積極」の精神です。 これは、単に楽観的であるということではなく、現実に起こる出来事を、ありのままに受け止めた上で、自らの意志で心の持ち方を「積極的」な方向へ調整する、心の技術です。その考え方とは、「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず」。否定的な感情に振り回されるのではなく、それを客観的に捉え、冷静かつ建設的に対処する、ということです。

    例えば、ある仕事が失敗したとします。そのとき、怒りや失望にとらわれるのではなく、その経験を学びの機会と捉え、次に活かすことを考えます。「なぜこの結果になったのだろう?」「この経験から何を学び、次にどう応用できるか?」と、前向きな問いに転換するのです。

    さらに天風は、「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと」 と述べています。言葉とは、人間の潜在意識に影響を与え、それが現実の捉え方や行動につながるということです。ビジネス現場でも、リーダーの言葉はチームの雰囲気に、個人の言葉は自身のパフォーマンスに大きく影響します。心がネガティブだからネガティブな言葉が出るのではなく、ネガティブな言葉を発するから、心もネガティブになっていく、ということです。「言葉」を意識的に使うことは、絶対積極を実践する上での第一歩です。

    心身統一法:心と体の調和を目指す技法

    「心と体は分かちがたく結びついており、一体として捉えるべきである(心身一如)」。 この考えに基づき、心身の調和を図り、力を発揮するための方法論が「心身統一法」です。これは、現代でいうウェルビーイングやマインドフルネスに通じる、自己管理の実践法といえます。具体的な手法を見ていきましょう。

    • 観念要素の更改法・各種暗示法
      「夜寝る前の連想暗示法」「鏡に向かい、なりたい自分の精神状態を命令する命令暗示法」「断定暗示法」などがあります。これらは、潜在意識に積極的な観念(例:「私はできる」「私は健康だ」)を浸透させ、自己イメージを肯定的にし、目標達成に向けた行動を促します。

    • 神経反射の調節法(クンバハカ)
      外部からの精神的・肉体的ショックによる自律神経の乱れを抑え、精神の安定を保つための技法です。具体的な方法として、「感情や感覚の刺激を感じたら、肛門を締める、腹部に力を込める、肩の力を抜く」という3つの動作を行います。ストレスへ耐性が高まり、様々な状況下で冷静な判断を維持しやすくなります。

    • 呼吸操練
      空気からエネルギーを取り込み、新陳代謝を促し、自律神経を整えることを目指す呼吸法です。集中力の維持、疲労の軽減、精神的な安定に役立つとされています。

    • 統一式運動法
      18種類の運動によって構成されており、各動作はいずれも精神を強くし信念を確立するような哲学的意味があります。運動神経と筋肉を鍛え、内臓器官を強化します。

    • 養動法
      座る体勢、立つ体勢、横たわる体勢で体を動かし、心と体を調和させます。神経の興奮を静め、気持ちを安定させ、内臓の働きを高め、運動不足を補います。

    • 安定打坐法(天風式坐禅法)
      ブザーの音などを利用し、心を落ち着かせ、雑念を払うことを目的とした瞑想法です。日常の雑念やストレスから離れ、心をリフレッシュさせます。その結果、直感力や集中力が高まり、新しいアイデアが生まれやすくなる効果も期待できるとされています。

    • 精神能力開発訓練
      「無念無想」の状態から人間の潜在的な能力を現実化させる訓練です。感性が磨かれ、日常生活や仕事においてはインスピレーションやアイデアが湧くようになります。また、人の気持ちを敏感に感じ取れるようになり、人間関係がスムーズになります。

    時代を超える影響力:天風に影響を受けた人々

    中村天風の哲学は、時代や分野を超え、指導者や様々な分野で活躍した人々に影響を与えてきました。

    各界の指導者たちへの影響

    • 松下幸之助(パナソニック〔旧・松下電器〕創業者)
      「経営の神様」とも呼ばれる松下幸之助は、「素直な心」や「積極的思考」といった天風の教えを自身の経営理念に取り入れ、パナソニックの発展に活かしたとされています。松下氏の「人間というものは気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません」という言葉は、天風の「人生は心一つの置きどころ」という考え方と共通するものがあります。

    • 稲盛和夫(京セラ・KDDI創業者、日本航空名誉会長)
      日本を代表する経営者の一人である稲盛和夫氏は、中村天風の著書『研心抄』を愛読していたことで知られています。天風が説いた「強く、正しく、清く、尊き心」や、「潜在意識にまで透徹するほどの強い願望」を持つことの重要性は、稲盛氏の経営哲学である「京セラフィロソフィ」や「アメーバ経営」の考え方の根底にあると言われています。

    • 宇野千代(作家)
      作家の宇野千代は、代表作『おはん』を完成させた後、創作活動が滞る時期がありました。その時、中村天風と出会い、「積極の心」「人間は何事も自分の考えた通りになる。自分の自分に与えた暗示の通りになる」という教えに触れたことで、再び創作への意欲を取り戻したというエピソードがあります。

    • 東郷平八郎(元帥海軍大将)
      日露戦争で活躍した東郷平八郎も、中村天風の講演を聞き、その教えに関心を持ったとされています。軍を指導する立場にあった人物が、精神的な導きを天風に求めたという事実は、その教えが持つ影響力の範囲を示していると言えるでしょう。
       

    この他にも、彫刻家の北村西望、大相撲の双葉山、プロ野球監督の広岡達朗など、政治、経済、文化、スポーツといった多様な分野で活躍した人々が、中村天風の教えを人生や専門分野で実践し、成果を上げてきたとされています。このように様々な分野の人々が価値を見出したのは、成功するために必要な「人間としてのあり方」や「心の力」の重要性であったのかもしれません。

    今日から始められる「天風哲学」

    天風哲学は奥深いものですが、その実践は日常生活の中で無理なく始められるものもあります。以下に、現代人が取り入れやすい習慣を紹介します。

    実践法具体的な方法・ポイント
    積極的言葉遣い意識して肯定的・感謝の言葉を選びます。「疲れた」を「よく頑張った」に、「問題だ」を「課題だ」に言い換えるなど、消極的な言葉を避けるようにします。
    クンバハカ緊張時やストレスを感じた瞬間に、肛門を締め、下腹部に力を込め、肩の力を抜きます。これを数秒間保持します。
    短い安定打坐(瞑想)毎朝5分程度、静かに座り、呼吸を整え、心を「無」の状態に近づけるよう試みます。ブザー音などを活用しても良いです。
    観念要素の更改法(暗示法)就寝前や起床時、鏡の前などで「私はできる」「私は健康だ」「私は目標を達成する」といった肯定的な言葉を、感情を込めて断定的口調で繰り返します。

    自分の内に眠る可能性を信じてみよう

    中村天風は、一人の思想家としてだけでなく、困難な状況から立ち上がり、人間の可能性を示した人物の象徴として捉えることもできます。 「人間は本来、無限の力を持っている」 。天風のこの言葉は、ただ説いたものではなく、自らの経験を経たものです。軍事探偵の過酷な体験、病との闘い、真理を求めての探求、そして悟り。天風の生き方は、困難が大きければ大きいほど、そこから得られる気づきや希望もまた大きくなり得ることを示唆しています。 そして、自分の中に眠る可能性を信じることで、自らの手で一度きりの人生を、主体的に歩んでいくことができると教えてくれています。

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