経営は「微分・積分」でできている――数学好きの少...
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#10「大企業も商店の集合体」――入社前夜、父が授けた商売の心得
野本弘文 2026/05/10
私が社会に出たのは1971年。その前年には大阪万博が開催され、日本中が高度経済成長の熱気に包まれていた時代です。団塊の世代が次々と世に出ていき、住宅や商業施設の需要は高まる一方でした。
そんな折、私は「多摩田園都市」という大規模な開発プロジェクトに興味を持ちました。地図を書き換えるような仕事がしたい、と心を躍らせ、大学に頼み込んで推薦状をもらいました。ところが、ここで私は大きな勘違いをしていました。宛先は「東急不動産」だったのですが、よくよく調べてみると、多摩田園都市の開発主体は「東京急行電鉄(現・東急株式会社)」だったのです。
慌てて大学に「東京急行電鉄宛ての推薦状を出し直してほしい」と頼みましたが、「二通同時には出せない」と断られてしまいました。途方に暮れかけましたが、諦めきれずに大学の先輩を訪ね、事情を話して社員推薦の労をとっていただき、なんとか受験に漕ぎ着けました。結局、私が就職試験を受けたのはこの一社だけ。今思えば、なんとものんきで、綱渡りな就職活動だったと思います。
最終の役員面接では、五島昇社長(当時)が出てこられました。社長自らが質問することはめったにないと聞いていたのですが、私には「なぜ当社を選んだのか」「親は何の仕事をしているのか」と尋ねられました。後から振り返れば、合格ラインすれすれで、人物を見極めようとされていたのかもしれません。
結果は、無事に内定をいただくことができました。そのことを実家の父に報告すると、無学な父でしたが「五島慶太翁(東急グループの実質的な創立者)」のことは知っており、大変喜んでくれました。近所では「東急観光に行くのか」と勘違いされましたが、ともかく私は上京し、五島慶太翁が作った「慎独寮(新入社員が約1年間共同生活を送る寮)」に入ることになったのです。
大学を卒業し、いよいよ実家を離れるという時、父が私に贈ってくれた言葉があります。「どんなに大きな会社に入ったとしても、それは小さな商店の集合体に過ぎない。だから、少しも恐れることはないよ。その代わり、自分の店だと思って会社を儲けさせなさい」。
今で言う「オーナーシップ」や「当事者意識」を、父はシンプルな言葉で伝えてくれたのだと思います。酒屋の店主としての実感がこもったこのひと言は、その後の私の仕事観をつくりました。
そして父はもう一つ、大事な忠告をくれました。「酒と金と女性には気をつけなさい」と。
九州の田舎から、誘惑の多い東京へ出て行く息子への切実な戒めだったのでしょう。実家は酒屋でしたから、父は酒で身を崩す人や、酒場での揉めごとを嫌というほど見てきました。
実際、店の「角打ち」(現代風に言えば、酒屋のイートイン)には、毎晩のようにグデングデンに酔っ払ったおじさんや、訳ありのお兄さんたちが酒を煽っては夜の街に繰り出していました。そんな大人たちの姿を見ながら、子供心に酒の怖さを刷り込まれていたのかもしれません。
母親からも、小さいころより、「人に損をさせて、自分が得をするようなことはしてはいけない」と、いつも教えられて育ちました。
両親から受け取った「商売の心得」を胸に、私は東急での新しい人生をスタートしました。


