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2026

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    医学と密教から導き出した「大欲得清浄」の経営哲学。数々の苦難を乗り越え、次世代へ受け継ぐ“利他”の心

    医学と密教から導き出した「大欲得清浄」の経営哲学。数々の苦難を乗り越え、次世代へ受け継ぐ“利他”の心

     医師として研究に没頭していた日々から一転、経営トップとして独自の道を切り拓いてきた新日本科学の永田良一会長。医学部の勉強で培った知力で経営管理を独学し、個人の利益を顧みず社会課題に挑み続けてきた。多額の負債を背負いながらも私財を投じ進めたグリーンピア指宿の再生やがん陽子線治療センターの設立、さらにはブータン王国支援によるブータン国家功労勲章一等金メダル授与に至るまで、その行動の根底には密教で学んだ「大欲得清浄」という哲学がある。数多の苦難を「刺さった矢は盾になる」と耐え抜き、社員教育にも並々ならぬ情熱を注ぐ同氏に、利他の経営思想と次の100年を見据えた未来へのビジョンを伺った。

    研究一筋の医師から経営者へ。原動力はポジティブな好奇心と「世界一のピラミッドを作る」志

    子供の頃から家業を手伝い、医学部受験勉強をしながらお仕事を継がれたそうですね。日々、どのような生活だったのでしょうか。

     子供の頃から家業を手伝うのが当たり前の環境でした。小学校4年生の時には動物室の洗浄をしたり、毎月届く飼料袋をコンテナから倉庫に運んだりしていました。この飼料袋は10キロの重さで、中学生になると4袋を持てるようになり、背筋力は270キロもありました。同級生の誰よりも腕相撲が強かったですね。自然と筋トレになっていたんです。中学生から空手をずっと続けていて、31歳で昭霊流師範の免状を受け、今も後輩の学生に教えています。

     1983年に医学部を卒業しドクターになり、そこから仕事をしながら大学院博士課程で1991年1月に社長に就任するまでは研究ひと筋の生活でした。しかし、社長になった途端に研究をきっぱりとやめ、経営一本に絞りました。 当時はMBAなどもなかったので、経営はすべて独学です。医学部では、自分の身長ほどに積み上げた本に加えてその10倍ほどの資料を6年間で勉強します。この経験をもとに労務管理や税務会計、知財に関する専門書を学習するのは一瞬でした。昼夜、曜日の感覚がなくなるほど全速力で走っていました。

    相当なハードワークだったと思いますが、そのモチベーションは何だったのでしょうか。

     家業を引き継いだ責任感と、ポジティブな好奇心です。よく知られる例えですが、ピラミッドを作る石切り屋には「鞭で打たれて強制的に運ぶ人」「お金をもらえるからやる人」、そして 「世界一のピラミッドを作るのだと、そこに面白みを見出す人」 がいます。私はこの3番目の考え方が得意なのです。過酷な環境の中にもポジティブに考えて面白みを見出し、自らの意志で行動して楽しむ。そう捉えた方が、人間ははるかに楽に、そして大きなパワーを出して生きられます。

    仏教は哲学である。高野山大学で学んだ「大欲得清浄」の神髄

    そのポジティブな思考や哲学は、どのように培われたのでしょうか。

     30歳の頃、父の友人である高野山真言宗の住職からたくさんの本をいただいたのがきっかけです。自分の家は神道なので、最初は「仏教=人が亡くなった時にお経を読むもの」くらいにしか思っていなかったのですが、本を開いてみて「仏教は究極の哲学だ」と気づき、強い好奇心が湧きました。

     それらの密教の本を片っ端から読み、最初は理解したつもりになっていたのですが、住職とお話しするうちに本の知識だけでは全く分かっていないことに気づかされました。そこで、高野山大学大学院に入り、密教学を真剣に勉強したのです。空海の十住心論の思想と考えに基づいた経営を目指す私の修士論文のテーマは、「密教に根ざした企業経営者の経営倫理形成」でした。

     住職からはよく「大欲を持て」と言われていました。欲を捨て、足るを知るのが仏教だと思っていたので、初めは全く意味が分かりませんでしたが、10年ほど経ってようやく理解できました。真言宗の中核となる般若理趣経に「大欲得清浄(たいよくとくせいせい)、大安楽富饒(たいあんらくふうじょう)」という記載があります。清らかで浄化された大きな欲を獲得すると真に安らかで豊かな人生になる という意味です。

     人間は我執、自分のことしか考えないものです。しかし、そこから視野を広げ、目の前の人、家族や地域社会、そして日本、世界、さらには未来の子孫の欲を満たしてあげようと考える。他者の欲を満たすことを自分の欲とする、これこそが「大欲得清浄」の本質です。

    債務88億円の個人保証と理不尽な反対運動。「刺さった矢は抜かない」精神で培った圧倒的忍耐力

    その「大欲得清浄」の教えは、実際の経営やご決断にどのように生かされているのでしょうか。

     2004年、45歳の頃、厚生年金基金の施設「グリーンピア指宿」を再生して欲しいというミッションが舞い込んできました。投資総額108億円をかけて最先端のがん治療施設をつくるプロジェクトでした。上場したばかりの会社では許されず、私個人で88億円の借金を背負って引き受けました。 周囲からは「なぜそんな馬鹿なことをするんだ」と言われました。しかし、これこそがまさに「大欲得清浄」の実践だったのです。

     この施設「メディポリス国際陽子線治療センター」は、2011年1月に治療を開始、すでに8,000人のがん患者さんの治療を行いました。この間、私個人の持ち株会社が受け取る配当金を主体に50億円の借金を返済しました。自分のために豪邸を建てたり、高級車を買ったりするよりも、はるかに価値のあるお金の使い方だと思っています。

     25歳の時に夢見たアメリカ進出は40歳で実現し、順調に拡大して行きました。しかし、50歳の時にリーマンショック、その2年後、2010年に書類不備を理由にFDAから改善指示を受け、業績が悪化、累積赤字160百万ドルとなりました。黒字化するまでの8年間、まさに真っ暗なトンネルの中を匍匐(ほふく)前進するような日々でした。しかし、トップが暗い顔をすれば社員はついてきません。だから私は常に明るく振る舞い、前向きな姿勢でいました。

    患者さんのためにつくる駅からの道路建設に対して反対運動に遭われたと伺いました。

     アクセスを良くするために新たに道路を工事しようとした時に激しい反対運動が起きました。理不尽な批判や矢をたくさん撃たれましたが、その時に学んだのは 「刺さった矢は抜かない」 ということです。撃ち返せばまた矢が飛んできます。しかし、刺さった矢を抜かずに血を流しても我慢していれば、それがいずれ盾となり、相手はもう撃たなくなります。

     私はひたすら耐え、一つひとつクレームに対して真摯に説明を続けました。今では反対していた人も含めて皆がその道路を通っています。この経験でも、私の中に忍耐力が培われました。

    薩摩の「郷中教育」が原点。ブータン支援から社員教育まで貫く利他の精神

    ブータン支援や社内教育など、得た知識や恵みを周囲に還元していく姿勢が印象的です。

     私の根底には、薩摩に古くから伝わる「郷中(ごじゅう)教育」の精神があります。先輩が後輩の面倒を見るという文化です。私も若い頃に多くの先輩にお世話になりましたから、若い人たちをサポートするのは当然のことだと感じています。

     この「困っている人を放っておけない」という気風は、海外での活動にも繋がっています。ブータン支援に関わったのは、名誉領事を引き受けたご縁からですが、当時、乳児死亡率がかなり高く、栄養状態の改善が必要でした。乳牛を増やして乳製品を普及させるために現地畜産局の役人を日本で育成し、ヨーグルトやチーズを現地で生産するために工場も作りました。また、山岳地帯の松茸に着目し、収穫から保管、日本への輸出までの仕組みを指導しました。今ではブータン松茸は日本の高級ホテルでも使われる一大産業に成長しています。

    社内での教育にも並々ならぬ熱意を注がれていますね。

     年間60日ほどは社員研修に費やしています。14年前に永田塾をつくり、私が直接、若手にビジネススキルを教えています。大切にしているのは、洞察力や先見力といった「5つの力」と、「即実行」「誠心誠意」などの「行動指針5箇条」です。

     研修では一方的に教えるのではなく、ディベートを通じて作戦、戦術、戦略レベルで「手段と目的が入れ替わっていないか」など、視座を高めて自ら本質を気づかせる ようにしています。例えば「アイドリングタイムの活用」という身近なテーマから議論をスタートし、それが残業削減という戦術になり、最終的には社員一人ひとりの「ウェルビーイングライフ」という戦略的目的に繋がっていくことを論理的に導き出させます。

    社会に「生かされる」会社。次世代に託す100年企業の未来像

    創業から長い歴史を歩んできた貴社ですが、今後の未来像や次世代への継承についてどのようにお考えですか。

     会社というのは、 社会に必要とされない限り消えゆく「生かされているもの」 です。社会に役立つ存在であり続けて初めて、存続が許されます。

     これまでは私が牽引してグローバル企業へと成長させてきましたが、さらに発展させていくのは次の経営陣のミッションです。私に残された時間は、彼らに私の持っているものを継承していくことです。「老兵は去りゆくのみ」と言いますが、上が去るからこそ若い芽が伸びるのです。

     経営とは、突拍子もない戦略をひねり出すことではなく、日々の愚直な営みと、一人ひとりの社員との対話 です。だからこそ、全社で1対1の面談を徹底しています。人と人との関係性構築の基本は、直接会って何度も話をすること。そうした日々の営みを積み重ね、社会に必要とされる仕事を世界中で展開していく。それこそが、新日本科学が目指すべき未来だと思っています。

    #新日本科学#永田良一#リーダーシップ#密教#郷中教育#社会貢献#人材育成#地域再生#グローバル経営

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