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2026

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    「学校は退屈だった」——廊下に立たされた少年がつかんだ、自ら考え抜く自由

    「学校は退屈だった」——廊下に立たされた少年がつかんだ、自ら考え抜く自由

     私は小学校から中学校にかけて、よく廊下に立たされているような子供でした。先生と喧嘩をして、通信簿も受け取らずに帰宅したことさえあります。結局、母が私の代わりに学校へもらいに行くのですが、それでも母は私を一度も叱りませんでした。母が自分のことを信じてくれているのが分かったからこそ、子供ながらに「これではいかん、自分自身でしっかりしなくては」と、逆に自制心が芽生えたのを覚えています。

     なぜそんなに先生と衝突したのか。一言で言えば、学校の授業が「退屈」だったからです。

     私は算数や数学が得意で、新学年が始まる前の春休みの間に、その年に習う内容をすべて自分で勉強してしまっていました。ですから、学校へ行ってもやることがない。教科書に書いてあることを何度も繰り返す先生の話を聞くのが苦痛で、適当に内職をしたりキョロキョロしたりしていると、すぐに叱られました。

     先生が教壇で問題を出し、私が問題を言い終わるかどうかのタイミングで「はい!」と手を挙げると、「他の生徒が考える間がないじゃないか」と怒られる。かといって、黙って座っていても、最後にあてられて正解を答えると「なんでできるのに手を挙げないんだ」と叱られる。当時の私には、それがひどく理不尽に感じられました。こうした数字への強さは、暗算が非常に早かった父の血を継いでいたのだと思います。

     小学6年生の誕生日、私は「理想と目的に向かって常に前進」という言葉を書きました。これは今でも私を支える座右の銘となっています。

     12歳の私が掲げたこの言葉は、70歳を過ぎた今の私の経営姿勢と全く変わっていません。自分で目的を定め、そこへ向かって主体的に動く。その歩みは、この小学校の退屈な教室の中から、すでに始まっていました。

     高校に入っても、私の数学への情熱は増すばかりでした。1年生のうちに3年生までの数学をすべて終えてしまった私に、当時の数学の先生が「お前はこれでもやっておけ」と差し出してくれたのが、岩波書店の『定本 解析概論』(高木貞治著)でした。

     大学レベルの数学が詰まったその本は、私にとって最高に面白い「遊び」でした。解けば解くほど論理の深淵に触れられる感覚があり、2年、3年とひたすらその本に没頭しました。

     私の性格を物語るのが、高校3年生の時のエピソードです。

     「東大に行く」と言った私に、そんな生徒をもったことがない当時の先生は「無理だ」と言いました。それなら腕試しをしてやろうと思い、独断で「東京の駿台予備校に行く」と決め、荷物をまとめました。あまりに無鉄砲な様子を心配したのか、放任主義だった父が珍しく東京までついてきたほどです。私は「電車に乗れば着くはずだ」くらいにしか考えていませんでしたが、その恐れを知らないエネルギーが、私の原動力でした。

     後に聞いた話ですが、私が受験に挑んでいた頃、母は近所のお地蔵様にお百度参りをしてくれていたそうです。何も言わず、ただ信じて自由にさせてくれた母の静かな覚悟を、改めて知りました。

     何事も自分で決め、自分の責任でやる。その自由を尊重してくれた両親の支えがあったからこそ、私は東京大学理科一類への合格をつかみ取り、エンジニアとしての第一歩を踏み出すことができたのです。

    #東レ#東レ会長#現場主義#答えはすべて現場にある#企業共創#素材で社会を変える#日覺塾

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