『何かを理解したいなら、まず手を動かして実験する...
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大量のワクチンを生み出した「20世紀で最も多くの人命を救った科学者」モーリス・ヒルマン
ビジョナリー編集部 2026/09/14
麻疹、風疹、B型肝炎、水疱瘡——。私たちが幼少期に接種し、現在も感染症の恐怖から守ってくれるワクチンの多くは、実は一人の人物によって開発されたものです。
その人物の名は、モーリス・ヒルマン(1919〜2005年)。生涯で40種類以上のワクチンを生み出し、「20世紀で最も多くの人命を救った科学者」と称されています。世界保健機関(WHO)などの推計では、彼の業績によって現在も年間約800万人もの命が救われ続けているとされています。
この記事では、彼がどのようにして感染症の歴史を変えたのか、その波乱に満ちた生涯や有名なエピソード、そして現代の私たちの生活に与えている影響について詳しく解説します。
不遇な生い立ちから科学の道へ:雑草魂が育んだ信念
モーリスは1919年、アメリカ・モンタナ州の貧しい農家に生まれました。誕生時に双子の姉と母親を同時に失うという過酷な運命から彼の人生は始まります。貧困の中で成長した彼は、鶏の世話を通じて生物への観察眼を養い、学問への深い情熱を持ち続けました。
大学で微生物学の博士号を取得した後は、周囲の反対を押し切って大学にとどまらず製薬企業(メルク社など)での研究の道を選びます。実社会で直接人々の命を救う医薬品を作り出すことこそが自分の使命であると考えたからです。
徹底した現場主義と妥協を許さない姿勢は、その後の数々のワクチン開発へと結実していきます。
奇跡と直感:歴史を変えたエピソード
彼の功績を語るうえで欠かせないのが、卓越した直感と鋭い行動力が発揮された有名なエピソードです。
真夜中に娘から採取されたウイルス(ジェリル・リン株)
1963年の出来事でした。ある夜、5歳の愛娘ジェリル・リンがおたふく風邪を発症します。彼はすぐに娘を起こして喉から粘液(スワブ)を採取し、そのまま研究所へと走りました。
そのサンプルからウイルスを培養し、無毒化(弱毒化)することに成功して誕生したのが、現在も世界中で使用されているおたふく風邪ワクチンです。このウイルス株は娘の名にちなんで「ジェリル・リン株」と命名され、のちに麻疹・おたふく風邪・風疹を一度に予防できる「MMRワクチン」の重要な構成要素となりました。
1957年香港インフルエンザのパンデミック予知
1957年、香港で急増していたインフルエンザのニュースを目にしたヒルマンは、ウイルスが変異して人類が免疫を持たない新型になっている可能性を直感的に察知しました。
彼は独自にサンプルを入手して分析を行い、これが世界的なパンデミックを引き起こすと予言します。軍や製薬会社を説得して異例の速さでワクチンを大量生産させ、結果として数百万人の命が救われました。このときに彼が解明したウイルスの変異メカニズム(抗原変異)は、現在の毎年のインフルエンザ対策の基礎となっています。
現代の私たちの生活に与える影響
彼の功績は、私たちが日々享受している「安心で健康な暮らし」の土台そのものです。
まず、乳幼児死亡率の激減が挙げられます。先述したように、一昔前まで子どもにとって命に関わる脅威であった麻疹や風疹などの感染症に効力のあるMMRワクチンをはじめとする定期接種を考案し、今では発症リスクが飛躍的に抑えられています。
また、「がん予防」の道を拓いたことも大きな功績です。彼が開発したB型肝炎ワクチンは、ウイルス性肝炎だけでなく、それに起因する肝臓がんの予防にも直結するものであり、実質的に「がん予防ワクチン」として何世代もの人々の健康を守り続けています。
さらに、近年のCOVID-19パンデミックへの対応に見られるような「新興感染症に対して迅速にワクチンを開発・製造する技術と流通体制」の基礎プロセスも、ヒルマンが長年の研究と現場指揮の中で築き上げたものです。
終わりに:日常の健康の陰にいる英雄
彼が残した40以上のワクチンによって、今日この瞬間も世界中で数え切れないほどの命が救われています。
感染症の恐怖に怯えることなく過ごせる平和な毎日の裏には、生涯をかけてウイルスと闘い続けた一人の科学者の情熱がありました。予防接種を受ける機会や健康な日常のありがたさを感じたとき、ヒルマンの偉大な足跡に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


