
安定市場にあえて挑むD2Cの新発想、Cycle....
6/5(木)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/05/27
在日外国人が増加の一途を辿る中、日本語の試験には合格していても、実際の現場では日本語で会話ができない外国人材が多いのが実情である。
そうした課題を受け、株式会社TCJグローバル(旧東京中央日本語学院)は 「日本語を話せる外国人材」の育成 に向け、大きな一歩を踏み出した。
深刻化する日本の労働人口不足を補うため、多くの企業が外国人材の採用に動いている。特定技能制度が導入されて6年が経ったいま、「日本語の試験にさえ合格すればいい」という誤った思い込みが広がっているのも事実だ。
しかし、日本で働く外国人に本当に必要なスキルは 「実際の現場でコミュニケーションできる日本語力」 である。試験には合格したものの、企業の採用面接でうまく話せない、現場でのやりとりに苦労するといったケースは決して少なくない。特に介護や外食業など、人と接する現場ではコミュニケーション能力が強く求められる。
では、一体なぜこうした状況が起きているのだろうか?
外国語能力を表す国際基準であるCEFRでは、外国語の習得状況を6段階(習熟度が低い順からA1, A2, B1, B2, C1, C2)で示す。A2レベルが特定技能人材が日本で働くための基準となっている。ただ、試験でこのレベルをクリアできても、「話せる力がA2」かは別だ。現実は、多くの外国人材が試験対策で得た日本語力を、実際のコミュニケーションで発揮できずにいる。
ここに真正面から挑むのが、TCJの「グローバルキャリア事業」である。そのコンセプトは、「現地教育の段階から、話せる学生を育成する」こと。 つまり、 「日本に来てから教育」では遅い、外国人材が母国にいる段階で「話せる」力をつけよう という発想だ。現地における日本語教育の質そのものを引き上げる。それが始まりだった。
現地での授業風景は、現地出身の日本語教師と学習者がおり、現地の言語(母語)中心で進むのが普通だった。さらに使われる教材も、現地で入手しやすいものが中心だ。日本で主流となっている「日本語だけで日本語を教える」というスタイルは、現地教師にとっては馴染みにくいものだった。
そこでTCJグローバルがまず着手したのは「現地仕様のカリキュラムの構築」である。 文法説明は現地の言語でシンプルに行い、それ以外のやり取りは極力日本語を使用。現地教師にも学習者にも負担にならないよう、学習者に日本語のフレーズが自然と身につく授業設計にした。
しかし、変更はスムーズではなかった。
一番の難関が、「教科書を“教える”」という教育方法からの転換だ。
従来は「教科書に載った内容をそのまま教える」のが当たり前だった。しかし、その常識を覆し、 「教科書をあくまで学習の“道具”として使う」教育へ変える には、現地教師と真摯な対話を何度も繰り返すことが必要だったという。
教材に合わせて教育内容を決めるというやり方から、学習目的に合った教材を選ぶ。教師の「当たり前」を尊重しつつ、教科書はあくまで道具だということ。焦らず、着実に。それが教育プログラム開発の信条だった。教師の「慣れ」を尊重しつつ、徐々に新しい方法に馴染んでもらう。焦らず、着実に。それを重視した。
カリキュラムを変えただけでは、教育は変わらない。現地教師の多くが限られた教材を使いながら教え、「会話練習」と称して、教科書の会話文を読み上げる練習をすることも少なくなかったためだ。
そこでTCJが打ち出したのが、現地教師の指導力を高める「研修プログラム」だった。場面設定に基づく実践的な対話練習を授業の柱に据えるよう指導し、模擬授業と丁寧なフィードバックを繰り返す取り組みを始めた。少しずつ教師の「教える力」を育てていったのだ。
続けていく中で、現地教師からも、「こんな指導法があったとは」と驚きの声があがるようになった。 「話す」ことを軸に据えた授業 を続けることで、徐々に口頭試験に強い学生が生まれ始め、ようやく教育変革に明るい兆しが見えた。
次に設定した目標は、教師向け研修のさらなるブラッシュアップだ。
目指しているのは、単なる試験突破ではなく、あくまでも話せる力を持つ 「安定した口頭能力A2レベルへの到達」 だ。さらにB1レベルとされる「特定技能2号や就労者・生活者として必要な水準」に押し上げていくことだ。
「話せること」は、単純にコミュニケーションが取れるということにとどまらない。それは、日本に定着し、日本で活躍できることに直結する。生活や仕事を円滑に進めるための生命線なのだ。
TCJグローバルキャリア事業が目指しているのはシンプルだ。それは、 『教育』という力で現地と日本を結び、日本にとっても外国人材にとっても幸福な未来を拓く ことだ。
職場で活躍する「話せる外国人材」は、こうして着実に育ちつつある。