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9/15(月)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/12
多くの方が「奴隷解放の父」としてエイブラハム・リンカーンの名前を知っています。しかし、その裏にある波乱万丈の人生や、彼がどのような考えを持ち、どんな失敗と挑戦を経て歴史を動かしたのか——その内面まで深く知る機会は意外と少ないかもしれません。
今回の記事では、リンカーンの生い立ちから数々の困難、そして現代のビジネスマンが彼から何を学べるのかを辿っていきます。もし今、あなたが仕事や人生で壁にぶつかっているなら、リンカーンの物語が新たな視点と勇気を与えてくれることでしょう。
1809年2月12日、ケンタッキー州の丸太小屋。そこに生まれた赤ん坊が、やがてアメリカ合衆国第16代大統領になるとは、誰が想像したでしょうか。
開拓農民の家庭に生まれたリンカーンは、裕福とはほど遠い幼少期を過ごしました。7歳のとき、父親が土地の所有権争いに敗れ、一家は財産をすべて失い、インディアナ州へと移住します。
9歳のときには、最愛の母・ナンシーを病で亡くします。母の死後、父が新たに迎えた継母サラは、実の子のようにリンカーンを可愛がり、彼の読書好きと学びへの意欲をそっと後押ししました。しかし、リンカーンが通える学校はほんのわずか。ほとんどが自学自習でした。
リンカーンは、夜、薪の灯りの下で、手に入るわずかな本を繰り返し読み込みながら勉強をしていたのです。
21歳で家を出たリンカーンは、イリノイ州の小さな町ニューセイラムで雑貨店の店員、測量士、郵便局長など様々な職業を転々とします。しかし、雑貨店の経営は失敗し、多額の借金を背負うはめになりました。
「一度つまずいたくらいで人生は終わらない」 そんな言葉を体現するかのように、彼はひたすら返済に励み、「正直者のエイブ」と呼ばれる誠実な人柄で、町の信頼を得ていきます。
そんなリンカーンが政治に興味を持ったのは、地元のディベート・ソサエティでの経験でした。人前で何かを語ることで人々の心を動かす——この感覚が、のちの大統領としてのリーダーシップの原点となります。
しかし、最初の州議会議員選挙には落選。続いて国会議員選挙でも落選。私生活でも、最愛の恋人アナ・ラトレッジを病で亡くし、うつ状態に陥ったこともありました。それでもリンカーンは、何度も立ち上がるのです。
日中は働き、夜は本を読みながら法律を独学で学び続けたリンカーン。27歳で弁護士資格を取得すると、スプリングフィールドに法律事務所を開設。ビジネスパートナーとともに、誠実な仕事ぶりで地域の評判を高めていきました。
この時期、リンカーンは「真実を語ること」「どんなに小さな依頼人であっても手を抜かないこと」を信条としました。
現在のビジネスの現場でも、「顧客の信頼を得ること」「どんなに小さな仕事も丁寧に積み重ねること」がいかに大切か、リンカーンの姿勢はあらためて教えてくれます。
1854年、奴隷制を巡るカンザス・ネブラスカ法の成立に、リンカーンは大きな危機感を覚えます。
「分かれたる家は立つこと能わず。半ば奴隷、半ば自由の状態でこの国家が永く続くことはできない」
聖書の一節を引用したこの演説は、多くの人々の心に響きました。
現代の企業でも、対立や分断が生じたとき、リーダーには「どちらにも寄らない」のではなく、「自分なりの信念を持って決断する勇気」が求められます。リンカーンはまさに、困難な状況下で自らの信念を貫いたリーダーでした。
1860年、ついにリンカーンは共和党から大統領に選出されます。しかし、彼の当選は、奴隷制存続を主張する南部諸州にとっては衝撃でした。南部11州は連邦から脱退し、アメリカは南北戦争という未曾有の内戦に突入します。
「国家の分断をどう乗り越えるか」
リンカーンは当初、あくまで「連邦の維持」を軸に戦争を指導しました。しかし、戦争が長引く中で、戦う目的を「奴隷制の廃止」へと昇華させます。1863年1月1日、「奴隷解放宣言」によって、南部の奴隷を解放することを全世界に宣言しました。
この決断は、国内外からの支持を得る大きな転機となりました。ビジネスの現場でも、組織が危機に陥ったとき、「なぜ自分たちはこの戦いをしているのか」という目的を明確に示すリーダーの存在が不可欠です。
南北戦争の激戦地、ゲティスバーグ。ここでリンカーンは、わずか2分間の短いスピーチを行います。
「人民の、人民による、人民のための政治」
この有名な言葉は、民主主義の本質を見事に言い表し、今なお世界中で引用されています。当時の新聞は「実になっていない話」と酷評していました。しかし、時を経てリンカーンの演説は、歴史に残る金字塔となります。
1865年4月、南軍の降伏によって南北戦争は終結します。
「これからが本当に自由な国家をつくる新しい始まりだ」——そう思った矢先、リンカーンは劇場で南部派の男に銃撃され、56歳の生涯を閉じました。
あるとき、リンカーンが町を歩いていると、通行人に「なんて平凡な男だ」と言われたそうです。リンカーンはこう応えました。
「その通りだよ、神様は平凡な人が好きなんだ。だから平凡な人をたくさん作ったんだ」
リンカーンは、どこまでも「民衆の一人」であることを誇りにしていました。
「リーダーは特別である必要はない。皆を平等に大切にできる人こそが、本当のリーダーだ」——その姿勢は、現代の組織やチームにも深い示唆を与えてくれます。
リンカーンは今もアメリカ国民に敬愛されています。なぜ、彼の生き方がこれほどまでに語り継がれるのでしょうか?それは、彼が「失敗から逃げず、苦難に耐え、信念を持って行動し続けた」からです。そして、「誰もが特別でなくていい、正直に誠実に生きること」そのものに価値を見出したからです。
現代のビジネスシーンも、決して平坦な道ではありません。新規事業の失敗、理不尽な評価、時に裏切りや誤解。それでも
「転んだことに関心はない。そこから起き上がることに関心があるのだ」
と、リンカーンは言います。
もし今、あなたが困難の中にいるなら、リンカーンの次の言葉を思い出してください。
「ほとんどの人は、自分が決意した分だけ幸せになれる」