「ご飯がススムキムチ」はどのようにして生まれた?...
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「人を喜ばせる」原点と日本初の24時間寿司——「すしざんまい」が起こした奇跡のイノベーション
木村 清 2026/09/10
私が人生において何より大切にしてきたのは、「人に喜んでもらい、笑顔にすること」です。
その原点は、私の幼少期にあります。父を事故で亡くした母は、幼い私たちを養いながら借金を返すため、私たちが目覚める前の朝4時ごろには田んぼや畑に出て、夜は遅くまで藁や縄を編む過酷な内職をしていました。夜中にふと目を覚ますと、母が暗がりでひとり涙を流している姿が見えたのです。
何とか母を笑わせたくて、私は夢中でひょうきんな振る舞いをしておどけてみせました。私の姿を見て母がパッと笑顔を取り戻したあの瞬間の喜びが、私の「人を喜ばせたい」という情熱の、絶対的な原点となりました。
バブル崩壊後、すべての事業を清算して手元に残った300万円のうち200万円で再スタートを切った10坪の小さな「喜よ寿司」から4年。年間600万人から150万人へと急激に来街者が激減し、更地や空き店舗が目立つようになっていた築地場外市場に人を集めるよう頼まれ、私は大きな賭けに出ました。
「築地の窮地を救い、街に昔のような活気を取り戻すには、やはり魚であり、すしだろう。これまでにないすし店で築地に人を呼び込んでやる」
そうして2001年4月に誕生させたのが、日本初の年中無休・24時間営業寿司店「すしざんまい本店」でした。
当時の業界や周囲からは、「寿司店なのに、ピンクを基調とした派手な店構えは下品だ」「すしざんまいという店名はおかしい」「24時間営業なんて、築地は朝が早いだけで、夜中に寿司を食べに来る客などいるわけがない」と猛反発を受け、無謀な試みだと笑われました。
しかし、私には勝算がありました。これまでの寿司屋が抱えていた業界の問題点——不定休、ネタの少なさ、職人の横柄な接客、そして最大の壁であった「時価」という不透明な価格設定——をすべて解決すれば、必ずお客様に喜ばれるという強い確信があったのです。
「1貫98円(税別)からの明朗会計」「150種類以上のメニュー」「明るいガラス張りの店構え」「エンターテイナーとして笑顔で接する職人」。 常識外れの仕組みを次々と導入しました。
しかし、開業直後に思わぬ壁が立ちはだかります。昼や夕方の客足は順調だったものの、一番期待していた深夜から早朝にかけての店内がガラガラだったのです。当時、全国から集まる5,000台のトラック運転手の方々をターゲットにしていたのですが、バブル崩壊後の物流現場は過酷で、運転手の方々は「すぐ次の市場に向かわないとラッシュに巻き込まれる」と、のんびり食事をする余裕などないとのことでした。
「深夜の築地に人を呼ぶにはどうすればいいか——」
必死に知恵を絞る中で頭に浮かんだのが、かつてお世話になった銀座の高級クラブの「アフター(閉店後の同伴食事)」でした。藁にもすがる思いで、親しいママ3人に電話をかけると、律儀なママたちが即座にお客さんや店員さんを連れて来店してくれたのです。ママ同士の競争心も手伝って、瞬く間に評判は広がり、深夜の築地にドレスや着物姿の女性と紳士たちの大行列が出現しました。
深夜の都心に現れた異様な大行列は、テレビや新聞、雑誌で一気に取り上げられました。さらに海外のガイドブックにも掲載され、「成田空港のトランジット(乗り継ぎ)の間に『すしざんまい』へ行く」という新たな国際的ムーブメントにまで発展したのです。
自分が信じた熱意とアイデアで、衰退しかけていた築地に再び世界中から人が集まり、活気があふれ出していく。お客様の「美味しい」という笑顔に支えられ、小さな街の寿司店は世界の食文化を変えるイノベーションの舞台へと飛躍していきました。


