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「ご飯がススムキムチ」はどのようにして生まれた?「漬物屋」から「ソリューション企業」へ——会社設立50周年を迎えるピックルス影山社長の挑戦
ビジョナリー編集部 2026/09/11
スーパーやコンビニエンスストアの棚に当たり前のように並ぶ、カップ入りの浅漬け。実はこの「当たり前」の売り場をいち早く切り拓いたのが、株式会社ピックルスコーポレーションだ。同社は、大ヒット商品「ご飯がススムキムチ」を筆頭に、伝統的な漬物業界に次々と革新をもたらしてきた。1983年に当時の親会社である東海漬物製造株式会社(現・東海漬物株式会社)へ入社し、同社に出向して以来、商品開発から全国網の工場設立、そして自社農場の立ち上げなどの新規事業まで、同社の成長を最前線で牽引してきた影山直司社長。2027年に迎える会社設立50周年を前に、イノベーションを生み出す組織の文化や、日本の農業に対する強い危機感、そして海外展開への挑戦について話を伺った。
業界の常識を覆した商品開発と、強固な全国インフラの構築
コンビニ向けの「カップ入り浅漬け」の開発から全国的な生産網の構築まで、漬物業界の常識を次々と覆してこられましたが、どのような経緯があったのでしょうか。
私が親会社である東海漬物に入社したのは1983年のことです。翌年、子会社の東海デイリー(現・ピックルスコーポレーション)へ出向し、そこから大手コンビニエンスストア様向けの商品開発に関わることになりました。
当時、スーパーマーケットで売られているお漬物といえば、袋の中に液がたっぷりと入っていて、きゅうりが丸ごと2本入っていたり、白菜が大きく切られて入っているものが主流でした。しかし、そうした商品は持ち帰る際に手が濡れてしまうなど、コンビニで手軽に買ってお弁当と一緒に食べるようなニーズには合っていません。そこで私たちが開発したのが、カップ入りで個食サイズにした浅漬けや、液が入っていないお新香の盛り合わせ です。デスクでも手軽に開けて食べられるこの商品は、お客様から「便利だ」と非常に高く評価されました。今でこそ当たり前の商品ですが、当時は画期的なアイデアだったのです。
その後、コンビニエンスストア様の店舗数が急速に拡大し、全国へとドミナント出店していく流れに合わせて、我々も生産拠点を全国に整えていきました。自社でお金をかけてすべての工場を建てるのではなく、地元の企業様と協力したり、全く別の食品メーカー様にノウハウをお伝えして工場と従業員を用意していただいたりしながら、北海道から九州まで全国どこでも同じ品質の商品を供給できるインフラ を構築しました。この全国対応できるベンダー機能と生産体制こそが、他社には真似できない大きな差別化となり、その後のスーパーマーケット様などとのお取引拡大にも繋がっていきました。
「キムチが苦手な社員」が開発した大ヒット商品と、現場主義の組織づくり
貴社がこれほどまでに新しいアイデアを形にし、イノベーションやヒット商品を生み出し続けられる源泉は、どこにあるのでしょうか。
一言で言えば、「課題解決(ソリューション)」に取り組む姿勢 から生まれています。そして何より、現場で働く「人」の力がすべてだと考えています。
例えば「ご飯がススムキムチ」は、実を言うと入社1年半ほどのキムチが苦手な女性社員が開発した商品なんです。それまでのキムチといえば、辛くて酸っぱくてにんにくが効いているのが当たり前でした。しかし、「自分が食べられないから、食べられるものを作りたい」という発想から、辛くなくて甘みがあり、お子様やキムチが苦手な方でも美味しく食べられる商品が生まれました。結果として、これまでキムチを食べてこなかった層を取り込み、全く新しい市場を創り出すこと に成功したのです。
また、全国に十数カ所ある私たちの工場の責任者は、学歴に関係なく現場からの叩き上げで育ってきた人材がほとんどです。工場の運営はマネジメントであり、現場でしっかりコミュニケーションを取りながら物事を進められる人が求められます。現場の社員たちが「お客様に美味しいものを届けたい」「安全なものを作りたい」というルールを徹底して守り、自ら考え行動する。そうした現場の意見を大切に拾い上げ、新しいことに挑戦させる文化 が、私たちの事業を力強く支えています。
持続可能な食の未来を守る「ピックルスファーム」の設立
食の課題解決という点では、自社農場である「ピックルスファーム」を設立されたことも大きな話題となりました。どのような背景や危機感から、農業への参入を決められたのでしょうか?
私たちの商品は白菜が主要な原材料であり、日本で作られる白菜全体の生産量から試算すると、国内で流通する約3%を当社が使用している計算になります。そのため、持続可能な農業ができている農家の方々としっかり取り組んでいかないと、メーカーとして原料調達ができなくなる という非常に強い危機感を持っています。現在、日本の農業従事者の平均年齢は68歳とも言われ、農業人口は激減しています。市場で野菜を買うだけでなく、契約農家の方々がどうすれば長く作り続けられるかを真剣に考えなければなりません。
そこで立ち上げたのが「ピックルスファーム」です。自社で農場を作ったのは、我々が自ら野菜をすべて作るためだけではありません。野菜を作る技術を学び、将来的に農家の方々の重労働を我々がお手伝いするため です。農家の高齢化が進むと、最後に最も厳しくなるのは「1玉3キロほどにもなる白菜を収穫し、箱に何個も詰めて道路まで運ぶ」という重労働です。ゆくゆくはプロの農家の方に野菜を育てていただき、収穫などの負担が大きい作業を我々が受託する仕組みを作れないかと考えています。
工場を建てる際にも、工業団地ではなくあえて農地を転換して工場を建てさせてもらい、地元の野菜を積極的に活用する取り組みを行ってきました。行政とも連携し、地域の高齢者が健康のために畑で働き、そこで収穫された野菜を私たちが買い上げる仕組みを作った町もあります。単なる仕入れ先としてではなく、地域社会や生産者とWin-Winの関係を築きながら、持続可能な食の未来を守っていくこと が私たちの大きな使命です。
伝統からの脱却と、次の50年に向けた果敢な挑戦
2027年には50周年という大きな節目を迎えられます。次の50年に向けて、現在どのような展望や目標を描いていますか。
まずは、社内の働き方や生産の仕組みを抜本的に改革していきます。実を言うと、私は今、社内で「40年以上前に私が作った製造ノウハウを変えていい」と言っています。現在、工場には漬物を漬ける大きなコンテナが2,500個ほどあり、女性従業員が多い中で重い重石を載せたり運んだりする作業は怪我のリスクも伴う重労働です。これを5年以内に新しい技術へ置き換え、大きなコンテナでの手作業をゼロにする という目標を掲げています。伝統を守るだけでなく、今の時代に合わせて従業員が安全で働きやすい環境を作ることが不可欠です。
そして事業面では、ホールディングス体制へと移行したことで、各事業会社が自立し、社会の課題解決に向けた新たな提案を加速させていきます。スーパーやコンビニだけでなく、外食、給食、配食といった業務用商品の展開や、未利用の農産物を活用した食品ロス削減など、我々が貢献できる領域はまだまだ広がっています。
さらには、海外展開へのチャレンジも大きな目標です。日本の漬物マーケットが縮小していく中で、日本を代表するトップブランドのキムチとして、私たちの商品が世界で認められる可能性も十分にあります。実際に社員をアメリカに派遣して試食会を行ったところ、大きな反響を得た事例もあります。
失敗を恐れずに行動すれば、そこに必ず改善のヒントがあり、次の成功へのチャンスが生まれます。50周年という節目を一つのきっかけとして、全従業員が経営視点を持ち、一緒に知恵を出し合いながら、野菜と発酵と健康をキーワードにした新たな価値 を世界へ向けて発信し続けていきたいと考えています。


