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「殺」「刺」などの野球用語の見直し――伝統と時代の中で求められる議論
ビジョナリー編集部 2026/07/11
「刺す」「殺す」――これらは長年、野球の世界で日常的に使われてきた「れっきとした用語」です。しかし今、その言葉遣いを教育現場や現代の社会通念にふさわしいものへと見直そうという、新しい動きが始まろうとしています。
宮城県高野連の方針
この動きの火付け役となったのは、宮城県名取北高校の生徒たちによる「野球用語について考えよう」という探究活動でした。これを受けて宮城県高校野球連盟は、野球用語に含まれる「物騒な表現」を精査する検討委員会を今秋に設置し、代替案を策定した上で来春に各校の指導者へ共有する方針を明らかにしました。
改めて見渡すと、野球用語には「殺」「刺」「死」「盗」「犠」など、現代の日常感覚からすると穏やかではない漢字が散見されます。
たとえば「刺す」は、ランナーをアウトにするプレーで使われます。守備側が「刺せ!」と叫ぶのは、「ランナーをアウトにしてくれ」という意味です。
「殺す」も、アウトになる場面でよく登場します。ダブルプレーは「併殺」、フォースアウトは「封殺」。どちらも進塁が失敗した結果を表しています。
「盗む」は、投手の投球モーションの隙を突いて次の塁へ進む「盗塁」に使われます。英語では“Steal”とも呼びますが、日本語訳では「盗む」という表現が選ばれました。
「死」は、デッドボールの「死球」、アウトカウントの「一死」「二死」などで使われています。
「犠」は「犠打」や「犠飛」として、自分がアウトになることで味方の走者を進めるプレーを指します。直訳すると“いけにえ”という意味の漢字が選ばれているのです。
なぜこのような言葉が選ばれたのか――明治時代の名残
そのルーツは、明治時代の日本に遡ります。今から約130年前、野球はアメリカから伝わり、英語でプレーされていました。当時の知識人たちは、野球のルールや用語を日本語に訳そうと知恵を絞りました。
先駆者として知られるのは、中馬庚(ちゅうまん かなえ)と正岡子規(まさおか しき)です。
中馬庚は、「野原で行う球技」という意味から“Baseball”を「野球」と訳し、正岡子規も「打者」「投手」「走者」など今でも使われる多くの日本語用語を生み出しました。
当時は、戦いのイメージが強かった時代です。剣道や柔道、武道の精神が残る明治の空気の中、英語の“Out”は「死」や「殺」と訳され、“Steal”は「盗」、"Sacrifice"は「犠」といった、戦いや犠牲、勝負を象徴する漢字が選ばれました。
こうした表現が現代まで受け継がれ、「日本の野球文化」として定着していったのです。
なぜ見直しが検討されたのか――時代の要請と背景
見直しが検討される背景として、第一に、スポーツ現場での「暴力的な言葉」やパワーハラスメントに対する社会の目が、かつてないほど厳しくなっていることが挙げられます。「殺せ」「刺せ」といった言葉が、例えルール用語であっても、日常的に叫ばれる環境は今の時代にはそぐわないという意識もあります。
第二に、高校野球は教育活動の一環として行われています。学びの場である学校で、一般的な価値観や道徳観と異なる言葉が使われることが、問題視されるようになってきました。
最後に、野球人口の減少と“新しいファン”獲得への焦りも見逃せません。不慣れな子どもやその保護者が、グラウンドで飛び交う過激な用語を耳にしたとき、「怖い」「古臭い」と感じてしまい、敬遠するきっかけになるのではないかという危機感が関係者の間に広がっています。
時代の変化に応じて、誰もが安心して参加しやすいスポーツへと進化していくため、用語の見直しは避けて通れないテーマとなったのです。
乗り越えるべき課題
100年以上続く伝統を変えるのは簡単なことではありません。新聞や公式記録、さらには長年親しんできたファンや指導者の間で、新しい用語が浸透するまでには相当な時間と労力が必要です。
また、表現を変えることで「野球の本質が損なわれる」「言葉狩りではないか」といった批判や混乱もあります。グラウンドの言葉遣いが変わることで、熱い勝負の雰囲気まで薄れてしまうのでは、という戸惑いも見られます。
終わりに
今回の改革は長い伝統に挑戦する第一歩ですが、その先にあるのは「すべての人が安心して野球を楽しめる未来」です。伝統に敬意を払いつつ、時代に合わせた言葉を検討することは、大きな意味があります。
今の用語をただ批判するのでもなく、新しい方針を完全に拒絶するのではなく、新しい言葉にするなら何が良いかと考えてみることが、学生の学びにもなるのではないでしょうか。


