「ご飯がススムキムチ」はどのようにして生まれた?...
SHARE
貧しくとも誇り高く——母の教え「天と地と己は知っている」
木村 清 2026/09/04
父の突然の事故死により、巨額の借金を背負うことになった我が家でしたが、生活が困窮しても、母は私たち子供に引け目や悲しい思いを絶対にさせまいと必死でした。
どれほど衣服が古くなろうとも、母は破れた箇所をきれいに洗濯し、丁寧に縫い当ててくれました。
「ツギハギだらけでも、綺麗に洗って縫ってあるんだから何も恥ずかしいことはない。胸を張って、かっこよくいなさい」
そう語る母の言葉に支えられ、私はどれほど貧しくとも卑屈になることなく、誇りを持って生きていく姿勢を身につけました。
母に余計な心配や迷惑をかけたくないという思いから、私は幼少期から自分で買い物をし、身の回りのことをこなすようになっていきました。忘れもしないのは、小学校に入学してすぐの秋のことです。
午後2時頃のバスに乗り、我が家から10キロほど離れた野田の街へ、友達と2人でバナナの買い出しに向かいました。買い物を済ませてバス停で待っていると、友達が「トイレに行く」と言ったきり戻ってこなくなってしまったのです。4時のバスを逃し、6時、そして最終の8時のバスまで、私は友達を信じて4時間もバス停で待ち続けました。
結局、友達は通りかかった親戚の車に乗って一足先に帰宅していたのですが、最終バスも出た夜の8時、私は自力で歩いて帰る決意をしました。
街灯などひとつもない漆黒の闇の中、12キロ以上もある田舎の泥道を、幼い足で一歩一歩踏みしめて歩きました。途中にあるお墓や暗闇への恐怖に怯えながらも必死に歩き続け、夜中の12時近くに我が家の灯りが見えたときの安堵感は今でも忘れられません。この一件は「夜中に何十キロも一人で歩いて帰ってきたすごい子供だ」と、村中でちょっとした話題になりました。
そんな私に対し、普段は温かく接してくれる母でしたが、人としての道に反した時には厳しく私を叱りつけました。
ある時、我が家にトマトがなかったため、近所の畑から出来心でトマトを取り、小川で洗って食べようとしたことがありました。そこを、畑のおじいさんに見つかってしまいます。恥ずかしさと申し訳なさで胸がいっぱいになって家へ帰ると、母は、ほんの出来心からした盗みを決して許さず、すぐに私に代金を持たせて謝罪へ行かせました。そして、私の心に一生残る言葉を投げかけたのです。
「どんなにうまく誤魔化そうとも、後ろ指をさされるような不正をやっちゃいけない。誰も見ていなくても、天と地と己が知っているんだぞ」
誰も見ていなくても、やましい行動をとれば自分の記憶に刻まれ、己の心が傷つき苦しむことになる——。この母の言葉は、私の人生における絶対の教訓となりました。
後年、水産業界に入った際、業界内で横行していた「バックリベート(不正な謝礼の受け取り)」の誘いを私が一切断り続けたのも、この母の教えがあったからです。目先の不正で得をしても、自分の心に嘘をついて弱みを作れば、本当の意味でお客様に質の良い魚を胸を張って提供することはできません。「天と地と己は知っている」という原理原則こそが、実業家としての私の根幹を形作っているのです。


