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2025

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    人はなぜ学ぶのか――福澤諭吉の色褪せない考えと生き方

    人はなぜ学ぶのか――福澤諭吉の色褪せない考えと生き方

    昭和59年に発行が始まり、令和6年に渋沢栄一が新たな肖像になるまで、40年にわたり一万円札の顔として親しまれてきた福澤諭吉。しかし、その人物や考えについて、詳しく説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか。
    福澤諭吉が、日本社会や現代のビジネスパーソンの生き方に、どのような問いを投げているのか――その本質にせまってみたいと思います。

    少年時代――学びの原点

    1835年、大阪・中津藩の蔵屋敷で一人の男の子が生まれました。名前は諭吉。わずか1歳半で父を亡くし、母と5人の兄弟とともに大分・中津へ引っ越します。下級武士の家で、生活は決して豊かではありませんでした。

    幼い諭吉が見ていたのは、身分や権力で人の価値が決まる理不尽な社会でした。しかし、諭吉はただおとなしく生きることを選びませんでした。18歳の時、黒船が来航し日本中が大騒ぎになった時代、「なぜ自分は貧しいのか」「なぜ身分で人生が決まるのか」と、答えの見えない問いを心に抱えていました。

    この「問い続ける力」こそが、後に日本の近代化や、多くのビジネスリーダーに影響を与える原動力になったのです。

    学びで自分の限界を越えた瞬間

    青年になった福澤は、蘭学を学びたい一心で長崎に遊学します。その後、蘭学者の緒方洪庵の私塾「適塾」に入り、寝る間も惜しんで勉強しました。先輩が後輩を教える独特の学び方は、後の慶應義塾にも受け継がれています。

    23歳で江戸に蘭学塾を開きますが、時代は大きく動いていました。ペリー来航後、横浜の外国人の館を訪れた福澤は、オランダ語がまったく通じないという現実に直面します。「自分の武器が全然通じない」。その挫折は、今のビジネスパーソンがグローバル化の波にのまれ、これまでのやり方が通じなくなる瞬間と重なります。

    福澤はすぐに英語の勉強を始めます。辞書も手に入らず、手探りで学び始めた彼の姿勢は、変化を恐れず自分から動くことの大切さを私たちに教えてくれます。

    世界に飛び込んで気づいた本当の危機

    1860年。福澤は幕府の使節の一員として、サンフランシスコを訪れます。さらに翌年にはヨーロッパ各国を巡る大旅行にも参加します。アジアの各地で欧米列強に支配され苦しむ人々を見て、福澤は強く感じました。

    「このままでは日本もいずれ同じ運命を辿る」

    そこで福澤がとった行動は、ただ危機を叫ぶのではなく、現実をよく観察し、記録し、自分の言葉で伝えることでした。メモを片手に現地の人と話し、本を買いあさります。その成果が『西洋事情』というベストセラーになりました。西洋の経済や教育、病院、電信やガス灯まで、様々なことを日本に伝えたこの本は、日本人の西洋に対する理解を深めるだけでなく、徳川慶喜の大政奉還のきっかけにもなったと言われています。

    こうした現場主義と情報を集める力は、今のビジネスでも極めて重要です。現地で自分の目で見て判断する――福澤の行動は、グローバル時代を生きる私たちが忘れてはいけないことです。

    独立自尊――肩書きや組織に頼らない生き方

    明治維新という大きな変化の中で、福澤の生き方は異質でした。新しい政府から何度も役職を頼まれましたが、福澤はすべて断りました。

    「爵位、勲章、学位などの噂がたてば、すべてあらかじめ辞退の意をあきらかにして、政府から何も受けなかった」

    福澤が選んだのは、名誉や権力にしがみつく道ではなく、自分の信念と学問を社会のために使う道でした。自分の財産も惜しまず、慶應義塾の設立に使いました。
    「独立自尊」――自分の足で立ち、他人や組織に頼らないこと。これは、今のビジネス社会でも、肩書きや会社のブランドに頼らず、自分で動く力としてますます大切になっています。

    「学問のすすめ」――知識こそが人生を切り拓く武器になる

    福澤諭吉の考えを語るうえで欠かせないのが、明治5年に出版され300万部を超えるベストセラーとなった『学問のすすめ』です。

    天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

    この一節はとても有名ですが、以下のように続きます。

    かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

    つまり、生まれや身分で人の価値が決まるのではなく、学ぶことで人生は変えられるという強いメッセージがこめられています。
    江戸時代の身分社会では、農民や商人、職人は士族より下とされていました。ですが福澤は「学びさえすれば、誰でも自分の人生を豊かにできる」と言い切りました。読み書きやそろばん、帳簿のつけ方、地理や物理、経済や歴史――こうした実用的な学びが、個人の自立だけでなく社会全体の進歩につながると説きました。

    現代にも通じるのは、「知識を得るだけでなく、それを使いこなすことが大切である」という考えです。知識を武器にして、主体的に仕事や生活に活かすことで、個人も会社も成長できます。AIやDXの時代に「学び直し」が大事だと言われている今こそ、この精神が求められています。

    自由と分別――自分の責任で社会と向き合う

    福澤は、自由とはわがままや好き勝手することではなく、分別をもって他者を尊重しながら自分の道を選ぶことだと強調しました。
    たとえば、手元のお金を好きに使うのも自由ですが、その行動が周りや社会にどう影響するかも考えるべきだ、と言っています。個人の自由と社会の秩序、そのバランスを保つ「分別」がビジネスでも不可欠です。

    また、ビジネスパーソンにとっては「独立自尊」の精神と同時に、「他者との協調」も重要です。自分の意見を持ちながらも、他人の意見にも耳を傾ける。多様な価値観がある今の社会だからこそ、福澤の教えはさらに重要になっています。

    大樹の陰に寄らず己の信念を貫く

    福澤諭吉の魅力は、権力や古い決まりに頼らず、「独立自尊」の精神を守り続けたことです。
    時には政府のやり方や世間の流れに強く反対し、時には孤立を恐れず自分の考えを主張し続けました。たとえば、三度目のアメリカ渡航の帰り道、船の中で幕府の腐敗を厳しく批判し、帰国直後に謹慎処分を受けたこともありました。周りに合わせず、自分が正しいと思う道を突き進んだのです。

    「健康な精神」は時代を超えて受け継がれる

    福澤を研究した思想家・丸山眞男は次のように言っています。

    「福澤は、日本の病理に侵されない『健康さ』を持っていた」

    激動の時代、多くの偉人が時代の流れや伝統のしがらみに縛られていた中で、福澤は、常に自分の頭で考え、行動し続けました。

    今は情報があふれ、SNSで「分かったつもり」になる人も多い時代です。「賢い」だけで「気概のない」人が多いとも言えます。しかし、それでは何も変えられません。自分の考えや行動の根幹に何があるのか、問い続ける勇気を持ってほしいと思います。
    今、福澤が生きていたら、世間に流されず、鋭い言葉と行動で社会を動かしていたでしょう。その姿は、とてもさわやかで、むしろ痛快に感じられます。

    ビジネスパーソンへのメッセージ――「学び直し」と「自分の軸」を持ち続けよう

    最後に、現代を生きるビジネスパーソンへの提案をまとめます。
    時代はいつも変化します。昨日までの常識が、明日には通用しないこともあるでしょう。しかし、福澤諭吉の「学び続ける姿勢」と「独立自尊の精神」は、どんな時代でも色あせません。

    • 自分の専門や業界の常識に満足しない。
    • 現場に足を運び、自分の目で確かめ、自分の言葉で考える。
    • 学んだ知識を使い、行動する勇気を持つ。
    • 肩書きや組織に頼りすぎず、自分自身の軸を鍛える。
       

    福澤諭吉の生き方をたどることで、あなた自身の「学び直し」や「変化への一歩」が、きっと見えてくるはずです。
    あなたは今日、何を学び、どんな行動を起こしますか。

    #ビジネス#自己啓発#学び直し#福澤諭吉#歴史#リーダーシップ#教育#一万円札#キャリア#慶應義塾

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