
なぜオタフクソースは「お好みソースの代名詞」とな...
6/26(木)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/06/25
「日常を忘れ、心を開放できる場所を作りたい――」。そう語るのは、株式会社グローバルダイニングの代表取締役社長である長谷川耕造氏だ。同氏は高田馬場の喫茶店の経営を経て、1976年に六本木でレストラン「ゼスト」をオープン。全国および海外で「ゼスト」「ラ・ボエム」「モンスーンカフェ」「権八」「レガート」「タブローズ」……といったレストランを数多くの形態で店舗展開している。長谷川社長は、たった一代で同グループを立ち上げ、規模を拡大してきた。「お洒落な飲食店」「スタイリッシュな演出が魅力のダイニングレストラン」として知られるグループを、どうやって作り上げてきたのか? 長谷川社長が歩んできたこれまでの人生と経営者としての独自のマーケティング理念を伺った。
私は大学を中退して、本当は「絵描きとかになれたら、最高だな」と考えていました。変化があり、波瀾万丈な人生を歩んでいけそうだなって。
その後は「自分探しの旅」という感じでしょうか、シベリア鉄道に乗って、スウェーデンへと渡り、首都のストックホルムを基点にヨーロッパ全土を放浪して回りました。1972年に帰国した翌年、23歳で商売を始めました。東京・高田馬場にある小さな喫茶店です。有限会社長谷川実業を創業して、東京の高田馬場に喫茶店「北欧館」を開きました。
ヨーロッパを旅している間に自己分析をして「この先、どうやって生きていこう」と考えました。日本人は勤勉だし、あくせく働いて……。そうしているうちに時間が過ぎて、気付いたらおじいさん、おばあさんになっているわけです。
そんな時にふと「人生を夏休みにしたい」と思ったのです。「自分が好きなことだけやって、過ごしていけたら最高だな」という感情です。
「北欧館」をオープンしたのは、そういった気持ちからでした。
銀行に信用してもらう――。基本的にはここです。商売を始めたばかりの頃は、銀行からお金を借りるのは簡単ではありません。けれど銀行はお金を貸すのが商売なので、相手が「返す」と分かっていたら、銀行は必ずお金を貸します。
その時、銀行が何を望んでいるのかを分析したのです。要は「私がお金を預けている」ということで、私が「貸し主」で銀行が「借り主」になります。
ビジネスにおいて強いのは、絶対的に「お金を貸す側の人間」なのです。銀行にとって、「貯める」ということは「返済する」ことよりも難しい。そのためにCMを打ったりして、預金者を募っているわけですから。
私は23歳当時、2人暮らしで、家賃込み10万円程度で暮らしていました。そこで私が考えたのが「あ、簡単だ。じゃあ、お金を貯めてやろう」ということでした。当時は、ノウハウもネットワークもありませんでした。そんな中で、生活費以外の残りのお金は全部、貯金です。その結果、2年間で1,300万円も貯めました。
ビジネスをしながら口座に1,300万円が貯まったとき、先方から「当行から2,000万円設定でご融資します」という話になったのです。
私には大した才能もなかったのですが、こういった「分析力」「先を読む能力」といったところが、私の才能だったのかもしれません。
今、考えるとゲーム感覚に近かったのかもしれません。「レストラン経営という山を登っていこう」という感じでした。「北欧館」を出店した後、1店舗ずつ展開していくうちに、そういった感覚が自然と芽生えてきました。
まず、最初から目標を設定して「5年以内に3店舗を出そう」と決めました。いろいろ苦戦はしましたが、3店舗目を出した後に、ようやく年商1億円を達成しました。
次の目標は「年商10億円」に設定です。単純に言うと、その時の10倍です。「1億円から10億円」となれば、差額は9億円にもなりますが、自分としては「すぐに達成できる」という気がしていました。
その後、年商10億円企業になった時に「これは、100億円も行けるな」と思いました。
私は、目標設定を常に「10倍」しています。要は「山登り」と一緒で、「この山を登れたから、次はもっと高い山に」「高い山を登り切ったら、さらなる高みへ」といった感覚なのかもしれません。とてつもない目標でしたが、「何をどうすれば目標にたどり着ける」という自信がついていきました。
そういった一歩一歩の積み重ねで、弊社の「ゼスト」「ラ・ボエム」「モンスーンカフェ」「権八」「レガート」「タブローズ」……。気付けば、数多くのコンセプトで店舗を展開することができました。まさに「山登り」と一緒ですよね。
私たちの考える外食産業とは、ただ「料理や飲み物」を提供するだけのビジネスではありません。お客さまに喜んでいただける空間を創造しつつ、最高のサービスと最高の料理や飲み物を提供する――。つまり「エンターテインメントとしての食事」を創り出すのが我われの仕事だと考えています。
そういったコンセプトのもと、すべての店舗にブロードウェイの舞台のような空間を作りたいと思いました。この舞台の主役は、もちろんお客さまです。お客さまに、いかに満足いただけるか、スタッフたちはサービスに走り回ります。皆さまが、テーブルを囲んで話が弾む。ウェイターのお薦めしたワインでのどを潤し、食事に舌鼓を打つ。趣向を凝らしたインテリアと温かみのあるライティング、活気のある店内。「なかなかいい店だな、もう一度来ようか……」と、お客さまに感じていただけることが、私たちの何よりの喜びです。
食事も、単にお腹を満たすだけの物とは考えておりません。食事を通じて、楽しさと健康を提供することが我われの使命だと考えています。だから「食べて美しく健康になる!」ことも大事で、食材選びやメニュー開発にも取り組んでいます。
ベジタリアンやビーガンの方にもお食事を楽しんでいただけるよう、野菜を中心としたメニューも多数取り揃えていますし、食材を置き換えてお客さまに対応したメニューをお作りすることも可能です。
また、何よりお客さまを喜ばせるにはスタッフの情熱がなければいけません。各店舗がある現地での採用とスタッフの教育にはかなり力を入れています。中にはわざと負荷をかけ、私に向かってくるメンバーもいて、さながら猛獣の調教師ですが、その中で質の高いスタッフが残ってくれていると感じます。
こうした、時代の流れの中でも風化しない「本物の店の価値」を確立することを目指していますが、その一方で現状に満足せず、メニューや食材、内装設備、そしてサービス水準など、あらゆる角度から貪欲に改善、改良を重ねてこだわりを持って取り組んでいます。この地道な作業こそが、お客さまの満足につながっていくと考えています。
一方で、オフィスについてはそこまでこだわっていません。お店がアートだとすると、オフィスはアトリエだと考えているからです。
「那須パラダイスヴィレッジ」は、弊社が約10年の構想をかけて実現した、当社としては一大プロジェクトです。これまで弊社のサービスとしてはレストラン、飲食店を手掛けてきましたが、自社の展開する店舗を一カ所に集め、同施設では宿泊も可能となっています。 単なる食事や宿泊ができるだけではなく、訪れる方々が「日常を忘れ、心を開放できる場所」を目指しています。
夜にはイルミネーションを灯した幻想的な演出も用意しています。開放的な中庭には、ファイヤーピット(囲炉裏、薪をくべる炉)もあり、那須の澄んだ空気の中、ファイヤーピットを囲んで過ごす時間は、特別な癒しと温もりを届けます。焚き火の音に耳を傾けながら、大切な人との会話を楽しんだり、静かに自分自身と向き合ったり……。ここでしか味わえない贅沢なひとときを、お楽しみいただければと思っています。
ヴィレッジ内は、パリのパサージュをイメージしたアーケード空間になっていて、そこにお店が並んでいます。私は長年、独自のレストラン街をつくりたいと考えていましたので、ある意味で集大成といえるかもしれません。
実は那須を選んだ背景には、ある1人のスタッフの存在がありました。優秀な人材で、東京に連れてきたのですが、家庭の事情で勤務が難しくなってしまった。であれば、地元の那須で活躍してもらえればと。また、さまざまな失敗も経験しながら、地域性や客層、業態を戦略的に考えた結果でもあります。
現在はインバウンド需要が大きなものになっていますが、私は「那須パラダイスヴィレッジ」を、地元の方々に愛される空間に育てていきたいと思っています。はじめから外国人観光客を狙うのではなく、地元の方たちに愛されて、そこで培養されて育っていった成果が、観光客も引き寄せる。そういった循環が必要だと感じています。
遊び続けます。人生にはいつかは終わりがやって来て、それがいつ来るかはわからないですから。
私たちは誰も、自身の選択で生まれてきたわけではなく、英語でいうと「be born=生まれてきた」(受動態)のです。宇宙は137億年もの時の流れがあり、その中で、私たちが今、生きている。同じ時間を共有している。この事実は、極めて奇跡的なことです。そうすると、与えられた命の中で今、存在していることをどう自分で判断するか、が大事になる。だから私は「自分が存在していることを、奇跡だと思う」と考えるようにしています。自分ができる限り、1回しかできない人生を「楽しく、太くより長く生きていきたい」と思っています。
いつ、終わりが来てもいいという覚悟――。そんな中で、仕事という遊びを楽しんでいます。