「日用品メーカー」からの進化。エステーが描く「ウ...
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ご挨拶 ~執筆にあたって~
植山 周一郎 2025/12/01
永年の親友・浅見隆さんのご紹介により、『ダイヤモンド・ビジョナリー』の連載「原石からダイヤへ」で取り上げていただくことになりました、植山周一郎と申します。今月いっぱい、全30回にわたり私の人生を連載していただけるとのことで、そのご期待にどこまで応えられるか、身の引き締まる思いです。
第1回となる本稿では、私の人生を形づくってきた主な転機を、いくつかの場面に絞ってご紹介したいと思います。私は1945年静岡県富士宮市生まれ、現在80歳。「日本から世界へ」という志を胸に、常に海外とともに歩んできました。地方都市で育った一人の少年が、どのようにして世界とつながっていったのかを振り返ってみたいと思います。
1962年、高校3年生のとき、イリノイ州サンドイッチのハイスクールに1年間留学したことが、私のグローバルキャリアの出発点でした。人口約4,000人の小さな町で、本場のアメリカ英語と、アメリカ人の素顔のライフスタイルを全身で吸収しました。「世界は広い。日本の常識は世界の非常識かもしれない」と肌で感じた1年でした。
その体験をまとめた書籍『サンドイッチ・ハイスクール』を、一橋大学2年生だった1965年に学習研究社から出版し、幸運にもベストセラーとなりました。この本の印税で1年かけて世界一周を行い、ヨーロッパや北米の都市を自分の足で歩き、歴史と文化の厚みを五感で味わいました。後年、欧米のVIPと向き合う仕事をするときも、このときの体験が心の支えになりました。
1967年からは大学を1年間休学し、ドイツ・ダルムシュタットの出版社で日本企業の財務データを分析・出版しました。ここでドイツ語と、堅実なドイツ人の生活スタイルを学びました。
1971年にはソニーに入社し、英国ソニーに約9年間出向。販売・マーケティングを担当しながら、イギリス英語とイギリス流のユーモア、フェアプレーの精神を身につけました。
1979年に本社宣伝部に戻ってからは、ウォークマンのブランディングに携わり、盛田昭夫氏や大賀典雄氏から経営哲学を直接学ぶという、得難い機会に恵まれました。「ブランドとは約束である」「ソニーのブランディングの基本は3つのHigh、①High Quality ②High Price ③High Imageである」という言葉はいまも心に刻まれています。
1985年には、快適で恵まれていたソニーのサラリーマン生活を卒業し、株式会社植山事務所を設立。米BBDO社社長付特別顧問として旭通信社との提携に関わりました。スタンフォード・ビジネススクールの夏季特別講座「SEP」で最新の経営理論を学び、テレビ東京『ハローVIP!』では世界各国のVIPを私が直接訪問して、英語・フランス語でインタビューしました。ヴァージン・グループ創立者リチャード・ブランソン氏のアドバイザー、マーガレット・サッチャー元英国首相の日本での代理人として講演会やチャリティーイベントを企画・運営するなど、「人とのご縁」が新しい仕事を次々と連れてきてくれました。2013年4月17日には、ロンドンのセント・ポール大聖堂で行われたサッチャー元首相の葬儀に、妻とともに日本からの唯一の民間人として英国政府から招待され、荘厳で格調高い式典に参列する光栄にも恵まれました。
執筆の面では、1966年から2025年までに著書・翻訳書あわせて57冊を出版し、直近1年間だけでもバイリンガル本を10冊、Amazonから世界同時出版しました。
ビジネスの現場でも人生の局面でも、私が一貫して大切にしてきたのは、「好奇心を失わないこと」と「ご縁を粗末にしないこと」です。思いがけない出会いに全力で応えることで、新しい扉が開き、気がつけば自分では想像もしなかった場所に立っている。振り返ると、その連続が私の80年だったように思います。
こうした波乱万丈の人生を通じて、私を支えてきた言葉があります。
Live for today to the fullest. Yesterday is gone. Tomorrow may never come. 「今日を全力で生きよ。昨日はすでに去り、明日は来ないかもしれない。」
80歳になった今も「死ぬまで現役!」をモットーに、人生の「最後の100メートル」を全力疾走で駆け抜け、笑顔でフィニッシュテープを切ることを目標に日々を過ごしています。この連載が、若い読者の方々にはグローバルなスケールの人生設計に、中高年の方々には自分の人生を振り返るきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。次回以降、それぞれの転機の舞台裏や、そこで出会った人々との物語を、少しずつ掘り下げてお伝えしていきたいと思います。


