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創業200年、日本最古のメイクメーカー「伊勢半」が勝ち続ける理由。江戸の「紅」から「ヒロインメイク」へ繋ぐ革新の系譜
ビジョナリー編集部 2026/02/06
昨年、2025年に創業200周年を迎えた株式会社伊勢半は、日本一長い歴史を持つメイクアップ化粧品メーカーだ。そのはじまりは江戸時代の1825年に創業した紅屋にまで遡る。
日本伝統の化粧品「紅」を現代まで守り継ぐ一方、戦後は総合化粧品メーカーへと本格的に舵を切り、確かな品質の商品と先駆的でユニークな宣伝販促により、「キスミーシャインリップ」など数々のヒット商品を世に送り出し、「キスミー」ブランドを世に広めてきた。
現在も「ヒロインメイク」「ヘビーローテーション」「キスミー フェルム」「キス」などのブランドを展開し、 市場の最前線を常に走り続ける伊勢半が歩んできた200年の道のりとは。 創業200周年のその先へと新たな一歩を踏み出した今の想いについて、代表取締役社長の澤田晴子氏に話を伺った。
「最後の紅屋」であり、日本で1番長い歴史を持つメイクアップ化粧品メーカー 伊勢半グループ創業200周年
▲代表取締役社長 澤田晴子氏。
江戸から変わらぬ「紅」の製法を現代へ受け継ぐ最後の紅屋「伊勢半」
江戸時代後期の1825(文政8)年、初代・澤田半右衛門は江戸の日本橋小舟町に紅屋「伊勢屋半右衛門(通称:伊勢半)」を創業した。伊勢半が創業したころは、活気にあふれた江戸の町で町人文化が花開き、化粧も身分の高い一部の人のものから、広く庶民にも広がった 時代だという。
澤田社長: 伝え聞く話では、川越で生まれた半右衛門は13~14歳で江戸へ出て、奉公を始めました。その時から「いずれは自分の店を持ちたい」という高い志を抱いて励み、36歳で江戸の商業の中心地であった日本橋に伊勢半を創業したのです。熟練の職人がつくり上げた伊勢半の「小町紅」は、高品質の証とされる玉虫色の光沢を放ち、それが江戸の町で大きな評判を呼んで、商売は非常に順調な滑り出しだったといいます。
紅花の花びらにわずか1%だけ含まれる赤色色素を、職人が手間暇かけて抽出し作られる日本伝統の化粧品「紅」。お猪口ひとつ分の紅を作るのには、 紅花の花びら約1,000輪分 が必要とされる。
純度の高い紅はうつわに塗って乾くと、赤色が緑に輝く玉虫色に変化し、使用する際に水を含ませた筆で取ると、再び赤色となる。この神秘的な紅の不思議は、現代の科学をもってしても解明されていないという。
▲紅花の花びらから作られる日本伝統の化粧品「紅」。
澤田社長: 紅づくりの製法は代々、伊勢半の当主にのみ口頭で伝えられてきた「門外不出」のものです。職人の極めて繊細な感覚が必要とされる紅づくりは、マニュアル化や機械化が一切不可能です。現在も、当主に認められたわずか3名の職人にのみその技術が継承されており、江戸時代から変わらぬ製法を現代に至るまで守り続けています。
時代が江戸から明治に変わると、海外から安くて扱いやすい化学染料が輸入されるようになり、かつては数々の店が名を連ねていた紅屋も相次いで閉店に追い込まれた。 そんななか、 伊勢半は時代の煽りを受けながらも、実直に紅づくりを続けた結果、気づけば伝統の紅づくりを継承する唯一の紅屋となっていた。 同社は令和となった現在もなお、 最後の紅屋として江戸時代から変わらぬ製法で、紅づくりを守り続けているのだ。

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紅づくりの技術をはじめ、日本の化粧史や明治以降のレトロコスメなどを展示
紅ミュージアム(表参道)
https://www.isehan-beni.co.jp/museum/
10:00~17:00 日曜・月曜休館 入場無料
総合化粧品メーカーへの舵取りと、昭和を彩った「キスミー」の誕生
最後の紅屋としての使命感のもと、伝統的な紅づくりを守り継ぐ一方で、伊勢半は西洋風の油性口紅の研究開発にもいち早く取り組んだ。そして昭和の初めには、戦後ヒット商品を次々と送り出すことになるブランド「キスミー」が誕生 し、口紅だけでなくファンデーションや香水など多岐にわたる商品を展開。総合化粧品メーカーとして時代の流れに合わせ、その姿を柔軟に変化させていったのである。

澤田社長: 昭和の初めという時代背景を考えれば、「私にキスして!」という刺激的な意味を持つ「キスミー(KISSME)」をブランド名に冠したことは、極めて先駆的な挑戦だったといえます。戦後、ユニークな宣伝販促も相まって口紅を中心に数々のヒット商品を連発し、日本のメイク史にその名を刻むブランドへと成長を遂げました。
最初のヒット商品となったのは、戦後まもない1946年に発売された「キスミー特殊口紅」だ。まだ食糧が不足していた時代に、唇の荒れに効果のある成分を入れた口紅を 「口唇に栄養を与える」 というコピーをつけて宣伝したところ、栄養という言葉に敏感だった当時の人々の心をとらえヒットした。
▲キスミー特殊口紅の広告「口唇に栄養を与える」のコピーが世の心をとらえた。
澤田社長: 戦前、連日連夜にわたる試行錯誤の末、ようやく海外製品にも引けを取らない渾身の口紅を完成させ、発売に至りました。品質そのものは申し分のない出来映えだったのですが、結果として売れ行きは芳しくなかったといいます。その最大の理由は、圧倒的な「宣伝力」の不足にありました。そこで「製品がいかに優秀であっても、効果的な宣伝が伴わなければ世には広まらない」という痛切な教訓を得たのです。この学びがあったからこそ、戦後にユニークな宣伝広告を次々と展開し、日本中に「キスミー旋風」を巻き起こすことができたのだと考えています。
その後、1955年に発売された「キスミースーパー口紅」は、落ちない口紅として支持を得たことはもちろん、 「キッスしても落ちない」 という大胆な宣伝コピーと、映画のワンシーンのような刺激的なビジュアルで一大センセーションを巻き起こした。これにより世の中の圧倒的な支持を集め、 「口紅といえばキスミー」 と言われるまでになった。
▲キスミースーパー口紅の広告は、そのインパクトで議論を巻き起こすも結果的に多くの支持を獲得。
そして1970年、今も日本の化粧史にその名を残す、ギネス級の大ヒット商品「キスミーシャインリップ」が誕生 する。まだリップグロスというものが日本に存在していなかった当時、 日本初の唇のつや出し専用口紅 として発売。パールのような輝きとはひと味違う、濡れたような透明感が人々の心を鷲掴みにしたのである。
▲キスミーシャインリップ。
当時、カラーテレビの普及によりテレビに映る芸能人の明るく輝く唇が、人々の目に魅力的に映った。憧れのアイドルに近づきたい気持ちと、ちょっと背伸びしたいおしゃれ心がくすぐられ、当時のOLから火がつき、瞬く間に中高生にまで人気が広がった。当時高校生だった澤田氏も「クラスみんなが必ず1本は持っているようなマストアイテムだった」と懐かしむ。
澤田社長: 当時、画面に映し出される芸能人の輝くような唇は、人々の目に非常に魅力的に映ったのです。「憧れのアイドルに近づきたい」という願いや、少し背伸びをしたいおしゃれ心が刺激され、まずはOL層から火がつき、瞬く間に中高生の間でも爆発的な人気となりました。私自身も当時は高校生でしたが、クラスの誰もが必ず一本は持っているような、まさにマストアイテムでした。私にとっても、キスミーというブランドを強く意識するきっかけとなった、非常に思い出深い商品です。
その後、キスミーシャインリップは 1976年に年間販売本数1,300万本超を記録 し、日本のメイク史にその名を刻む大ヒットとなったのだ。
いつの時代も変わらず、私たちが大切にしていること
江戸時代に紅屋としてスタートし、その後も口紅を中心とした数々のヒット商品を送り出してきた伊勢半。現在ではマスカラ・アイライナーが人気の「ヒロインメイク」や、眉マスカラのパイオニア「ヘビーローテーション」など、その展開は多岐にわたる。
日本一長い歴史をもつメイクアップ化粧品メーカー として、江戸から令和まで人々の「美しくありたい」という不変の願いに応えてきた同社には、いつの時代も変わらず大切にしている3つのこと があるという。
それは 「品質」「遊び心」「革新」 だ。

澤田社長: 職人気質ともいえる「妥協のない品質へのこだわり」は、創業以来、脈々と受け継がれてきた当社の魂です。先代から聞いた話ですが、戦後の焼け野原で口紅づくりを再開した際、世の中は粗悪なものであっても飛ぶように売れる物不足の時代でした。しかし先代は、「いずれ品不足が解消されれば粗悪品は淘汰され、良質なものだけが生き残る時代が必ず来る」と信じ、原料の質に徹底してこだわり抜いたといいます。そして、その確信が正しかったことは、間もなく訪れた時代の変化が証明することとなりました。
品質や機能性へのこだわりは今なお、耐久アイメイクブランドとして支持を集める「ヒロインメイク」をはじめ、伊勢半のものづくりの基盤となっている。
そして、伊勢半らしさを表すパーソナリティに掲げられている 「小粋な遊び心」 も欠かせない要素だ。
澤田社長: 「次は何でお客様を驚かせ、喜んでいただけるか」――私たちは常にそのことばかりを考えています。商品を通じて、心躍るような体験を届けていきたい。高い耐久性を誇るマスカラを発売する際、往年の少女漫画を彷彿とさせるキャラクターを起用し、「少女漫画のヒロインのような魅力的な目もとになれる」という独自の世界観を打ち出した『ヒロインメイク』も、当社の根底にある「遊び心」なしには決して誕生しなかったはずです。
▲2005年に誕生し、昨年20周年を迎えたヒロインメイク。
伊勢半が長きにわたり業界の最前線を歩んでこられた最大の理由は、 伝統を大切にしながらも、変化を恐れず常に「革新」を重ねてきたこと にあるだろう。200年におよぶ道のりのなかでは、数々の日本初・業界初の商品や取り組みが誕生している。
そのなかでも、 1966年に日本の化粧品業界にはじめて導入したPSP(パーフェクトセルフパッケージ)システム は特筆すべきだ。現在ではドラッグストアなどで一般的になった、個包装された商品をフック付きの棚に並べ、お客様が自由に手に取れる販売方法を定着させた。
▲今では当たり前となった化粧品のセルフ販売を伊勢半が日本の化粧品業界にはじめて導入。
澤田社長: 化粧品のセルフ販売を可能にした「PSPシステム」が日本で導入されるまで、化粧品選びといえば百貨店や専門店での「対面販売」が主流でした。日本人の奥ゆかしさゆえか、当時は店員の方に気を遣ってしまい、本当に欲しいものや好みを言い出せず、勧められるがままに購入して後悔するケースも多かったといいます。そんな折、アメリカ視察で訪れたスーパーマーケットにおいて、人々が食品や日用品と同じように 自分で自由に化粧品を手に取って買っていく姿を目にしました。その際の感動と衝撃を日本にも取り入れたいという強い想いが、それまでの業界の常識を打ち破り、日本の化粧品市場に大きな革新をもたらしました 。
現在の商品開発においても、その革新的な姿勢は健在だ。 まだ世にない物を真っ先に生み出そうとする熱い想いは、化粧品市場に驚きを与え、新たなメイクの常識を提案してきた 。
高耐久マスカラにあわせた「マスカラリムーバー」や、眉マスカラを市場に根付かせた「カラーリングアイブロウ」など、新たな価値を提案しようとする情熱はとどまるところを知らない。
▲まだ世にない物をいちばんに生み出そうとする「ものづくりへのひたむきさ」が実を結んだ人気商品。
「The 1st Cosmetics. 伊勢半 いちばんほしいを、いちばんに」
創業200周年を機に、伊勢半は伝統を守りつつも革新への努力を尽くしてきた先人たちに想いを馳せ、その先の未来を見据えたパーパスを発表した。

澤田社長: 現存する最後の紅屋として、江戸の創業以来変わらぬ「紅」の伝統を絶やすことなく、後世へと繋いでいくこと。そして、日本で最も長い歴史を持つメイクアップ化粧品メーカーとして、いかなる時代も市場の最前線に立ち、お客様がいま「いちばんほしい」と願うものをどこよりも早くお届けしたい。そうして、皆様に「いちばんに」選ばれる存在であり続けることを目指してまいります。
伊勢半グループは、これからもメイクを楽しむ人々の気持ちに寄り添いながら、世界中の人々を喜ばせ、驚かせ、輝かせて、沢山の美と幸せを紡いでいく。


