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2025

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    大局さえ見失わなければ、大いに妥協して良い──第71~73代内閣総理大臣・中曽根康弘に学ぶ大目的を果たすために大切なこと

    大局さえ見失わなければ、大いに妥協して良い──第71~73代内閣総理大臣・中曽根康弘に学ぶ大目的を果たすために大切なこと

    「妥協」と「信念」。このふたつの間を絶妙に行き来しながら、日本の戦後を大きく動かした稀有なリーダー──それが中曽根康弘でした。彼の人生を時系列にたどることで、「大目的」を果たすための本質的な考え方が見えてきます。

    少年時代──戦争が教えた「国家」と「責任」

    1918年(大正7年)、群馬県高崎市に生まれた中曽根康弘。少年時代、彼は満州事変や二・二六事件といった激動の時代を目の当たりにし、仲間と新聞を片手に日本の行方を語り合っていたそうです。

    「日本が軍国主義に入ろうとして、ある意味で騒然としておった。五・一五事件、二・二六事件がその後に起きて、日本が一番荒れた時代でしたからね。大学でも出て、将来になったときの日本はどういうふうになっているんだろうかと一生懸命見つめておって、子ども心にも、やっぱり心配であったと思いますね」

    東大法学部を経て内務省に入りましたが、太平洋戦争の勃発とともに海軍へ。フィリピンや台湾で戦闘を経験し、多くの仲間や弟を戦争で失いました。

    「なんとか日本をもう1回再建しなければ、死んだ人に申し訳ない。私の弟も戦死していましたからね。ですから、死んだ者に申し訳ないと。生きて帰った者にはそうした感慨、責任感がありましたよ。私が政治家になったのは、その責任感によるところが非常に大きい」

    この「国家への責任」と「死者への誓い」が、中曽根政治の原点となったのです。

    占領下の屈辱──「独立国家」への執念

    戦後、内務省に復帰し、米軍との折衝を重ねるなかで、中曽根はこう感じたといいます。

    「占領というのは、われわれ、戦争をやってきた若い者にとっては屈辱でしたからね。いつまでこんな占領の状態が続くのか。なんとか早くここから脱却して、日本を独立国家にしないと、『われわれの祖先にすまない』、『日本の歴史にすまない』、そういう気がして、早く占領軍をかえして、独立させようという気持ちに燃えていましたね」

    この思いから、1947年(昭和22年)、28歳で群馬3区から衆議院選挙に出馬し初当選。以来、連続20回、半世紀以上にわたり国政の最前線に立ち続けました。

    占領政策に強く反発し、吉田茂内閣を痛烈に批判。マッカーサーに対しても「5年以上にわたり占領政策を継続するのは不可能」と建白書まで提出しました。改憲や首相公選制を訴えたのも、「独立国家」への執念からでした。

    「自主憲法をつくれというのがわれわれの根本だった。アメリカから与えられた憲法ではいけないと。そういう根性を国民が持っている限り、独立国家にはなれない」

    大局を見据えた「独立への道筋」を、常に追い求めたのです。

    科学技術立国への道──「原子力の平和利用」

    戦後の日本を「科学技術立国」へと導くため、中曽根は若手議員時代から原子力政策に取り組みました。エネルギー資源が乏しい日本が世界有数の経済大国となるには、科学技術の力が不可欠だと考えたのです。

    社会党とも協力して「原子力基本法」を制定。原爆の記憶が鮮明な中、あえて原子力の「平和利用」を掲げて前進しました。

    「原子力をやる場合には、人間の生命、あるいは倫理観が非常に大事だ。宇宙やら、世界をぶっ壊す力を持っているわけですから」

    中曽根は常に「技術」と「倫理」の両立を求め続けました。

    「風見鶏」との批判を乗り越えて

    1960年代、佐藤栄作内閣を厳しく批判しながらも、沖縄返還の実現を目指して運輸大臣として入閣。「反佐藤」から一転したこの行動は「風見鶏」と揶揄されましたが、本人は意に介しませんでした。

    「沖縄を本当にやるというのなら、私も入閣しましょうと。命がけでやると、そういう話だったんで、じゃあ、応じましょうと言って、運輸大臣になったんですね。しかし、佐藤を批判しておった人間が入閣したもんだから、『風見鶏』というあだ名を付けられたわけです。だけど、国家のために一生懸命やろうというのであって、そんな毀誉褒貶なんかにとらわれるべきではないと。国家のために命がけで一緒にやるんだという考えでおりました」

    大目的が国家の発展である限り、妥協すらも辞さない。そのスタンスが、中曽根らしさでした。

    長期政権への道──「戦後政治の総決算」とトップダウン改革

    1982年(昭和57年)、ついに第71代内閣総理大臣に就任。ここから「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄分割民営化、電電公社・専売公社改革など、聖域なき行財政改革に挑みます。

    「行政改革、財政改革をやらないと日本は死んでしまう」

    これまでの日本の「軽武装・経済優先」路線にあえて異を唱え、防衛費のGNP1%枠突破や日米安保の再強化にも踏み出しました。

    この時期の中曽根流は、まさに「大統領型」のトップダウン型リーダーシップ。自ら「指令政治」と呼び、閣僚や与党幹部を個別に呼びつけて、行革の実現のために総理の指示に従うことを強く約束させました。

    「総理大臣の一念は一種の“狂気”だ」

    この強烈なエネルギーと意志が、5年におよぶ長期政権と多くの成果を生み出しました。

    日米関係と「手づくり外交」──「ロン・ヤス」時代の舞台裏

    中曽根政権といえば、「ロン・ヤス関係」に象徴される日米同盟強化が大きな特徴です。冷戦下、西側同盟の結束が最重要とされる中で、彼は信頼関係の構築にこだわりました。

    「外交は手づくりである。現代は特に、その手づくりによる首脳間の信頼とリーダーシップによって、世界は動いている」

    有名なのが、1983年、東京郊外・日の出山荘でのレーガン大統領との「山荘会談」。古民家を改装した素朴な空間で、囲炉裏を囲んで日本酒を酌み交わし、さらには中曽根自らが練習していた「ほら貝」を披露した逸話も残っています。

    「普通はシャンデリアの下で、シャンパンで乾杯だが、当方は貝の笛で歓迎するんだから大受けだったよ」

    レーガン大統領は引退後に在任中のビデオを時々みていたそうですが、一番楽しそうに見ていたのがこの時の日の出山荘での会談だったそうです。

    この信頼関係が、G7サミットなど国際舞台での日本の存在感向上につながり、冷戦終結への流れの一翼を担いました。

    アジア重視の外交と靖国参拝

    中曽根政権のもう一つの特徴は、アジア重視の外交です。就任後すぐに韓国を訪問し、冷え切っていた日韓関係を劇的に好転させました。また、中国とも緊密な関係を築き、胡耀邦総書記による初の日本訪問を実現させました。

    「中国、それから韓国というのは一番大事な近隣外交ですからね、そこに魂が入ってなきゃだめなんです。魂という意味は、要するに人間的なふれあいですよ。お互いに国家を背負っている人間どうし、本当にお互い連携しあって、アジアのために、子孫のために仕事をしていこうという基本をつくることを考えてやった」

    一方、戦後初の現職総理として靖国神社を公式参拝。周辺国の反発を知りつつも、「国家として英霊に感謝を表す責任」を感じての決断でした。ただし、その後の参拝は中国への配慮から控えたという柔軟さも見せています。

    「妥協」と「大局観」──政局運営の巧みさ

    「風見鶏」と揶揄された中曽根ですが、彼の妥協は「大局」を見失わないための戦略でした。田中角栄との関係や派閥運営、時に政敵との連携も、すべては「国家の大目的」のためと割り切っていました。

    「犬の遠ぼえでは政治は変えられない。剣先の届く所に入って批判するのが政治だ」

    どんなに妥協しても、目的さえ見失わなければいい。この柔軟な現実主義が、彼を長期政権へと導いたのです。

    中曽根康弘から学ぶ「大目的を果たすために大切なこと」

    中曽根康弘の政治人生は、時に妥協し、時に批判を浴びながらも、「大局」を見失わずに突き進んだものでした。彼が体現したのは、「手段を問わず、国家のための大目的を果たす」という覚悟と、時代の変化に即応する柔軟性です。

    私たちが今、彼から学ぶべきは、「目先の利害や評価にとらわれず、長期的な視点で大きな目標を持ち続けること」、そして「必要なときには思い切って妥協する勇気」ではないでしょうか。

    「大局さえ見失わなければ、大いに妥協して良い」──この言葉の重みを、ぜひ噛みしめてほしいと思います。

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