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2025

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    「実行10割」の先代、借入300億からの社長就任――坂善商事社長が語る「利益と社員還元」、そして100年存続への夢

    「実行10割」の先代、借入300億からの社長就任――坂善商事社長が語る「利益と社員還元」、そして100年存続への夢

    「大きいサイズのサカゼン」として確固たる地位を築いた坂善商事株式会社は、来年、創業80周年を迎える老舗企業。その激動の歴史と共に歩み、2005年にトップに就任した村上隆司代表取締役社長は、バブル崩壊後の苦境を乗り越え、強固な経営基盤を築き上げてきた。先代会長から「往復ビンタ」と共に叩き込まれたという商売の哲学、26歳で任された小売事業での怒涛の日々、そして「会社存続」という究極の夢と次世代へ託す想い。波乱万丈のキャリアを経て今、社長が見つめる未来とは何か。その半生と経営哲学を、率直に語る。

    「トイレの便器の上で出納帳を」――26歳で任された小売事業、怒涛の幕開け

    キャリアのスタートと、竹下通りでのご経験について教えてください。

    会社に入ったときは、兄が社長をやっていたので、自分は気楽なものでしたね。

    ずっと工場にいて、手で皮を縫ったり、ミンクの解析をしたり。その後、栃木の工場で1年ほど勉強して、東京に出てきたんです。

    そこで会長(創業者・故坂本善重郎氏)から、「ゼンモール」という小売を始めるから新宿店の店長をやるように言われました。26歳のときだったと思います。仕入れなども任せてもらい、1年ほどで仕事を覚えました。そうして、竹下通りに第1号店を出したんです。これがもう、大当たりしました。15坪の店舗で、2億7,000万円くらい 売れたと思います。当時は竹下通りのブームが来ていたので、ギフトショーなどでメーカーが残した商品を、端から端まで全て買い占めました。それが、「原宿」というだけで、バンバン売れた。あれは儲かりました。

    当時は経理も全て自分でやっていました。場所がなくて、トイレの便器の上で出納帳をつけたり 。そんなことをしていましたね。毎日毎日楽しくて仕方なかったです。買って置けば、売れるんですから。やはり売れる喜びですよね。

    「実行10割」の先代。往復ビンタと真夜中の電話で叩き込まれた商売魂

    会長は、どのような方だったのでしょうか。

    ある方が「実行9割、戦略1割」と言っていましたが、うちの会長は実行10割です。本当に怖かったですね。

    「飯なんか食ってんじゃねえこの野郎!」なんて怒鳴られたり、ここに座っていると「早く決めろ!」とワンパンチ。車内で往復ビンタされたこともあります。

    真夜中だろうと朝の4時だろうと、電話も来ます。「お前会社潰す気か!」って。最後は私も電話を(耳から離して)置いて、「はい、はい」と聞いているだけでした。それだけ、厳しかったんですね。口で言う100倍、1000倍の圧だったと思います。でも、言っていることは小学生でもわかるように説明する人で、間違ったことはなかったです。

    借入300億からの社長就任。「やることは同じ」と貫いた覚悟

    2005年に社長にご就任されたときのことをお聞かせください。

    正直なところ、そこまで大層な覚悟があったわけではありません。しかし、たまたまバブルですごい借金をしてしまって、会社の借入が300億くらいあったんです。

    それでちょうど株価がゼロになったから、「じゃあ(株を)いただきます」という具合です。そのときです。銀行のものすごく頭が切れる支店長が、会長に「早く社長を変わってください」などと言ってくれました。会長は翌日すぐに、「じゃあお前、社長やれよ」と。そうして、私が就任しました。

    私が社長となっても、会長は変わらず健在でしたし、ああだこうだと言う人でもなかったので、「もう好きにやれ」という形でした。

    「まず利益を出すこと。たっぷりみんなに給料を払いたい」――社長が守るべきサカゼンのDNA

    社長が今、受け継いでいくDNAとして一番大切にされていることは何ですか。

    まず1番は、利益を出すこと。 それがあって初めて「人間性」ということができると思っています。

    人間性とは何かというと、やはり利益を稼いで、たっぷりみんなに給料を払いたい じゃないですか。それが、一番大事なことじゃないかなとは思います。

    それには、動かなければ何もできません。どれだけ素晴らしいことを言っても 絵に描いた餅 になってしまいます。

    「大きいサイズ」事業の苦悩と、3代目COOへの期待。「失敗させないとダメ」

    御社の柱である「大きいサイズ」事業と、3代目であるCOOへの期待についてお聞かせください。

    そもそも、大きいサイズというのは、それほど売れるものではありません。 人口の1%か2%くらいしかいない とも言われています。昔は、チラシを撒けば売れましたが、今はチラシを撒いても砂漠に水を撒くようなものです。

    そのため在庫は揃えたものの、全く売れませんでした。2年目も同じ商品が残ってしまう。それを見切ってまた新しいものを仕入れるのです。 最初の3年は、本当に大赤字でしたよ。 ただ、別の事業が儲かっていたから、まだカバーできました。

    3代目である息子には どんどん失敗させないと いけないと思っています。自分で肌で感じないとだめです。自分は、そうやって教えられてきました。何をやっても怒られなかったです。その代わり、 何もしなかったときの爆発は半端じゃなかった ですけどね。

    3代目は とんでもないことを考える んですね。在庫を背負ってしまったり、それで苦労して仕入れも止めて、まずは在庫を減らす方針をとりました。それで、今年(※2024年9月期決算)に入ってからは、もうすごい売上を出すようになっています。

    会長が残してくれた土地をまた広げて、マンションを建てたり、工場の跡地を太陽光に変えたり、そういった基盤はすでにできているので、 「思いっきりやってみろ」 という気持ちですね。

    会社の「存続」こそが最大の夢。100年先も続く基盤を創る

    最後に、社長ご自身の夢をお聞かせください。

    「大きい服の専門店として日本一になる」というのはもちろんですが、夢となると……。ここまで80年やってきましたが、あと100年は続けてもらいたい というのが、夢ですね。やはり会社として存続することが、一番の夢 であり、願いですね。先代から受け継いだこの会社がなくなってしまったら大変なことじゃないですか。

    そのために、小売以外の基盤を作っています。先程述べた太陽光や不動産もそうです。北海道で林業もやっていて、東京ドーム60個分ぐらいの広さを持っています。

    木というのは、植えてから50年くらい経たないと伐採できないんです。だから 今日植えたとしても、伐採するときにはもう(自分は)生きていない 。そうした取り組みが、さまざまな場所で、どんどん行われていっているんです。そういうことも、夢がありますね。

    #トップインタビュー#村上隆司#大きいサイズのサカゼン#創業80周年#坂善商事

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