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2025

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    初めてのおしゃれ――フォークバンドの結成と坊主頭からの脱却

    初めてのおしゃれ――フォークバンドの結成と坊主頭からの脱却

     中学生の頃に洋楽のサウンドに衝撃を受け、音楽に強い興味をもつようになっていました。そんな折、学校の音楽の授業で、自分の好きな楽器を演奏できる機会に恵まれたのです。例えばピアノ、ギター、歌を歌う…といった選択ができたため、各々が好きな楽器に触れ、生徒同士でセッションを行う体験もしました。それが、非常に楽しかったことを覚えています。そのとき一緒に演奏したメンバーと意気投合し、その勢いのままバンド結成へと至ったのでした。

     結成にあたって僕は、エレキギターを強く希望しました。それも、ロックをやりたかった。しかし、ここで大きなハードルがありました。ロックバンドをやるには、かなりのお金がかかるのです。エレキギターは高価ですし、アンプも買わなくてはならず、ドラムも安価ではありません。

     その中で唯一手の届くギターがフォークギターだったため、5人でフォークバンドを結成することを決めました。 高校になっても同じメンバーで続け、実は現在でもバンドは存続しています。15歳のときからなので、結成からおよそ60年になります。活動期間はローリング・ストーンズより少し短いですが、世界のバンドの中では結構長いです(笑)。

     また、バンドを結成したこともあり、身なりに気をつかいおしゃれをしたいという気持ちが芽生えるようにもなりました。僕の中学校では、生徒は坊主頭というのが校則でした。そして、夏期合宿で海へ行くときは、男子は水褌(すいこん)という白褌(しろふんどし)の装いでした。東京の学校なのに、坊主頭に白褌。それが、僕はものすごく嫌でした。思春期の、おしゃれをしたい時期だったのです。合宿で海へ行くと、周りの人たちはみな水着姿の中、僕らだけが水褌。それに対して、反対運動を起こしました。各地の学校で学生運動が流行する、少し前のことです。

     その甲斐あって、僕らの後輩の代からは中学校は坊主ではなくなり、水褌も廃止されることとなりました。今でこそ坊主をおしゃれとしている方もいますが、当時の坊主というと、決してそのようなイメージはありません。

     そして、高校に入学する直前には、坊主のようで坊主ではないと言えるくらい、少しずつ髪を伸ばしていったものです。フォークバンドを作る頃には大分髪も伸びてきて、それが私の人生ではじめてのおしゃれだったと記憶しています。

     当時は、どれほどおしゃれをしたくとも、なかなか難しい時代だったと思います。しかしそんな環境であったからこそ、僕の中におしゃれやファッションへの憧れが強く育まれ、現在の生き方へと繋がっているのだろうと感じています。

     高校に進学し、坊主頭から脱却して、ようやく好きな格好ができることに、とても心が踊りました。当時、お金はありませんでしたが、伊勢丹へ行って小遣いをすべてはたきました。白黒のロンドンストライプのボタンダウンのシャツに短めのチノパン、ローファーを履いてギターケースを持つ。そして頭はアイビー・カットというアメリカで流行していたヘアスタイルにしていました。

     おしゃれへの目覚めは、小学校の高学年や中学生の頃でしたが、坊主頭でおしゃれをしても、なかなか様にならないものです。僕らは、「VANとコカ・コーラがアメリカを教えてくれた」世代なのです。だから、そういうファッションにしたいのに、これに坊主頭か、と思うと、必死に頭を隠せるキャップを探していたものです。それが、高校生になってようやく好きな髪型をすることができ、はじめて納得のいくおしゃれをすることができたのです。そこからは、ファッションと音楽とアメリカ文化に憧れ、夢中で過ごしました。それが後のビームスの原点、創業への想いになるわけです。

     僕が通っていた東京教育大学附属高校は、卒業生の半分弱が東京大学に進学するような進学校でした。僕はその中で成績は下のほうでしたが、もともと学校全体として頭が良いのだから、東大は無理かもしれないけれど、早稲田や慶應くらいには受かるだろう、と高をくくっていました。しかし、高校3年生で受験した大学すべて――もちろん東大は受けませんでしたが、早稲田・慶應だけでなく、すべり止めの大学まで含めて軒並み落ちてしまったのです。

     考えてみれば、ずっとサッカーとバンド、ファッション、すなわちスポーツと遊びばかりに没頭していたので、これは当然の結果です。しかし当時は、「自分はほとんど勉強していないけれど、地頭は良いはずだ」と、勝手な思い込みをしていました。在校生の半分近くは東大へ行くし、「早慶くらいならば、入れるだろう」などと考えていたのが、志望校すべてに落ちたことで、はじめて現実を知ることとなりました。そして1年浪人をして予備校に通うこととなり、浪人を経てなんとか大学へと進学しました。

    #ビームス#BEAMS#設楽洋#タラちゃん#経営#ファッション業界

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