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2026年

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    「ごぼうをサラダに」なんて誰が想像したのか──発売40年、ケンコーマヨネーズが仕掛けた食の革命

    「ごぼうをサラダに」なんて誰が想像したのか──発売40年、ケンコーマヨネーズが仕掛けた食の革命

     1986年、ケンコーマヨネーズは、冷蔵・未開封で長期間日持ちする「ロングライフサラダ」として、日本初となる業務用「ごぼうサラダ」を市場に投入した。現在ではスーパーやコンビニエンスストアの惣菜売場に並ぶのが当たり前となったごぼうサラダだが、発売当時は「ごぼうをサラダにする」という発想自体が斬新な試みであった。それまで煮しめやきんぴらといった和惣菜の素材として親しまれていたごぼうを、サラダという新たな価値へと転換させたのである。

     そして2026年、業務用ごぼうサラダは発売40周年を迎える。

     なぜ、ごぼうをサラダにしようと考えたのか。どのようにして商品化され、日本の食卓に浸透していったのか。開発当時のエピソードを交え、その40年の歩みを振り返る。

    きっかけは、ドレッシングを活用するためのメニュー提案だった

     創業以来、業務用食品メーカーとして食のプロフェッショナルを支えてきたケンコーマヨネーズ。同社はロングライフサラダのパイオニアであるだけでなく、マヨネーズやドレッシングを活用したメニュー提案にも強みを持つ。

     1980年代、営業担当者たちは、1983年に発売した『コールスロードレッシング』をはじめとする乳化系ドレッシングの新たな可能性を日々模索していた。その一つが、同年に誕生した、だしの旨味がきいたクリーミーな『和風あわせ味ドレッシング』である。

     当時、ドレッシングといえば野菜に“かけるもの”という認識が一般的だった。しかし、同社の営業・開発担当者は「和えることで新しい美味しさを生み出せないか」と考え、試行錯誤を続けていた。

     そんな中、『和風あわせ味ドレッシング』を茹でたささがきごぼうと和えて展示会に出展したところ、来場者の反応は上々で、試食があっという間になくなるほどの好評を博した。その後、きんぴらごぼうに同ドレッシングを和えるというアレンジメニューを学校給食分野へ提案したところ、予想を上回る支持を得ることに成功した。

     さらに試作を重ねる中で、和えた直後よりも一晩置いた方が、だしの風味と旨味が素材に馴染み、より美味しくなることが判明。この発見こそが、同社の主力カテゴリーであるロングライフサラダとしての商品化へとつながる大きな転換点となった。

     ドレッシングをかけるもの から和えるもの へ。その発想の転換と提案型営業への挑戦が、ごぼうサラダ誕生の原点だったのである。

    時代の追い風となった「食物繊維」への注目

     ケンコーマヨネーズがごぼうという素材に着目した当時、ごぼうは若い世代には馴染みが薄く、食卓では脇役的な存在であった。

     しかし1980年代は健康志向が高まり、食物繊維が「第6の栄養素」として脚光を浴び始めた時代でもある。食物繊維を豊富に含むごぼうを手軽においしく食べられるごぼうサラダは、時代のニーズと見事に合致した。学校給食を皮切りに、居酒屋、ファミリーレストランなどにも採用され、ごぼうの新たな食べ方として急速に広がっていった。

    ごぼうのカットサイズの創意工夫

     業務用としての商品化を進める中で、開発担当者を大いに悩ませたのが「ごぼうのカットサイズ」であった。当時、きんぴらごぼうといえばささがきが主流だったが、ロングライフサラダとしてより良い食感を実現するため、あえて新しいカット方法に挑んだ。

     細すぎればごぼう本来の食感が損なわれ、太すぎれば食べにくくなる。見た目のボリューム感や歩留まり、生産時の作業性なども考慮しながら試作を重ねた結果、現在に通じるサイズへとたどり着いた。

     当時の入社1年目の開発担当者は、「マッチ棒を目指せ」という指示のもと、「時速1kg」と自らに言い聞かせながら、切りにくいごぼうを朝からひたすらカットし続けたという。

     最終的に採用された規格は「3mm×3mm×50mm」。ごぼう本来のシャキシャキとした食感を最大限に引き出せるサイズとして導き出されたものだ。

     また、もう一つの大きな課題が「美味しさを保ちながら食品の安全性を担保すること」であった。当時の開発チームは、ごぼうやごま、七味唐辛子などの特性を踏まえ、pHや製造条件を緻密に調整していたという。同社が長年蓄積してきた理化学データや製造ノウハウを総動員し、ロングライフサラダとして不可欠な品質と美味しさの両立を実現したのである。

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    商品化への道のり

     工場での生産プロセスもまた、困難の連続であった。

     当時、同社の工場で製造の中心だったのは、ポテトサラダなどの練りタイプのサラダであった。ごぼうサラダのように、固形の具材と液状の調味液を組み合わせる商品は前例がなく、製造現場にとっても挑戦の連続だったという。

     試行錯誤の結果、まずは下処理したごぼうに味を馴染ませ、その後に具材と調味液を分けてから作業者が手作業で袋詰めするという工程を確立。その後、コンピュータースケールが導入されたことで生産性は飛躍的に向上し、高まる需要に対応できる量産体制が整った。

     商品を安全かつ安定的に届けるため、調味液が漏れにくい包装方法の検証や、流通時の品質を維持する箱詰め方法の工夫など、多くの知恵と努力が結実し、1986年、ようやく業務用ごぼうサラダは完成に至ったのである。

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    ヒットの裏側で続いた、ごぼう探しの日々

     販売エリアの拡大に伴い、新たな課題が浮上した。原料となるごぼうの安定調達である。

     発売当時はごぼうサラダ用に加工された原料はほとんど存在せず、産地や加工業者を一から探し出す必要があった。さらに当時は加工用ごぼうの流通が未発達で、「売れているのに原料が足りない」という事態もしばしば発生した。調達担当者は産地へ直接足を運び、生産者や農協と協力しながら調達先を開拓。年間を通じて安定的に原料を確保できる体制づくりに奔走した。

     こうした努力の積み重ねが、ごぼうサラダの安定供給を支える強固な基盤となった。

    挑戦し続けることで生まれる新たな食文化

     発売当初は手探りだったごぼうサラダの製造。しかし、この経験を通じて得られた知見は、同社の製造技術を飛躍的に進化させることとなった。

     固形原料とソースを組み合わせるノウハウは、後に登場するパンプキンサラダなど、様々なロングライフサラダの商品開発にも応用されている。ごぼうサラダは「ごぼうをサラダで食べる」という新しい食文化を提案しただけでなく、同社のロングライフサラダづくりそのものを進化させた金字塔といえる。

     40年前、一つのドレッシングのメニュー提案から始まった挑戦は、製法や設備、原料調達の進化を経て、今もなお受け継がれている。同社はこれからも、時代ごとの食のニーズに応えながら、新たな価値を創造し続けるだろう。

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    業務用ごぼうサラダ40周年 特設サイトはこちら

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