アジア太平洋小売業者大会(東京大会)
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#28海外事業——「現地を歩き、共に育てる」
野本弘文 2026/05/28
1984年、私が厚木事務所で係長をしていた頃、東急では新たな長期計画をつくる準備がなされていました。私はそのワーキンググループの一人として参加し、海外事業について、こんな趣旨の資料を経営企画室に提出していました。
「発展途上のアジアにおいても、いずれ経済が成長し、人々の生活が豊かになるにつれ住宅問題が発生する。…衣食から住へ。東急の多摩田園都市開発の経験が活かせるのではないか」と。
若い係長の提案ですが、将来の選択肢を広げたいという思いは、今も鮮明です。
かつて東急は、当時の社長である五島昇が1970年代に「環太平洋構想」を掲げ、海外での事業展開に強い意欲を持っていました。しかしバブル崩壊後は「選択と集中」を迫られ、海外事業の多くから撤退せざるをえませんでした。
その後2000年代初頭、国内の人口減少と高齢化がいよいよ現実味を帯びるなかで、私たちは改めて「これからの成長の芽」を海外にも求める必要がある——そう考えるようになりました。
そんな折、2011年。社長に就任したばかりのころ、これからのベトナムは政情の安定を迎え、成長期に入ることから、まちづくりが求められています。けれど現地は、どうつくればよいか分からず困っている。ここにこそ、沿線で培ったノウハウで役に立てるのではないか等、議論をしていました。
ちょうどそのタイミングで、海外に興味を持つ若手社員有志が、自らベトナムへ視察に行き、住宅団地をつくろうとしている現地企業から案内を受けたというのです。その上で、「ここがもっとも適地となる場所ではないか」という情報を持ち帰ったとの知らせが入りました。
私は、すぐさま現地へ赴き、他の場所も合わせて、ベトナム国内を視察しました。その中でも、若手が見てきた場所こそが、将来の可能性を最も感じる適地である。当時の会長にもそのように報告しました。
彼ら若手の時宜を得た情報がなければ、私たちの初動はここまで円滑には進まなかったでしょう。
ホーチミン市から北へ約30キロのビンズン新都市。都心から少し距離を置いた立地は多摩田園都市を思い起こさせます。1,000ヘクタールの計画地に住宅だけでなく商業、行政、病院、大学まで描かれている。ここは単なる分譲ではない。都市そのものを育てる仕事だと直感しました。
ほどなくしてベカメックスIDC社から事業参画の打診をいただきましたが、当初は思惑の違いもありました。同社は東急の住宅開発ノウハウに期待してくださっていましたが、私たちは“助言して終わり”にしたくなかった。住宅を建てて売ることは手段であって、目的は「住み続けたいと思える街」をつくることです。
そこで私は、ベカメックス社トップにこう伝えました。
「責任を持って将来にわたって長く関わり続けたい。全体の1割程度の土地を取得させてください。得た利益は地元に循環的に再投資し、街の価値を高めていきます」
交渉を重ねるうちに、お互いの想いが通じ、合弁会社を設立。土地を事前に取得することで合意できました。「東急ビンズンガーデンシティ」として開発を進め、住民の足となるバス路線のため共同でバス会社も立ち上げました。街は建物だけでは成り立たず、暮らしの動線がつながって初めて「生活の場」になります。
ベトナムに続く展開となったのがタイです。チョンブリ県シラチャは日系企業の進出が活発で、現地の大手財閥系企業サハ・グループが一帯開発を進めていました。2014年に合弁でサハ東急コーポレーション社を設立。現在に至るまでに住宅・商業の複合開発を行っています。
サハ・グループの会長、ブンヤシット・チョクワタナー氏も、商人の息子です。
同じ商人の家に育った者同士、初めてお会いしたときから不思議と心が通じた気がしました。現場で学ぶ大切さや、お客様を一番に考える姿勢、変化に合わせて工夫することの大事さなど、言葉にしなくても目指す方向が同じだと感じました。
そして、西豪州。パース北西約50キロのヤンチェップ地区で、東急は高度成長期に大規模な土地取得をしていました。ところが、インフラ整備の遅れや需要の立ち上がり不足、景気変動などが重なり、開発は長年停滞しており、土地の売却を加速し撤退することも、会社としては視野に入っていました。
売却することが本当に正しいか。現地を見て価値を見定める必要があると思い、社長就任後、私は初めて同地に赴きました。
ヤンチェップの現地に立った瞬間、目に飛び込んだのは自然の美しさと、山手線の内側を凌ぐ広大な原野でした。
「この土地をこのまま売却するのはいかにも惜しい。この土地だからこそできる何かがあるはずだ」
思索の末に、閃いたのが「インターナショナルキャンパスシティ」構想です。
教育こそが、未来に向かって無限の付加価値を生む。アジア太平洋地域の留学生がこの地に集い、国際連携によりイノベーションが生まれる。若い世代の交流は、将来の平和にもつながっていく。各国大学のサテライトキャンパスが集積する街。——そう考えたのです。
共同事業者ともこの想いが一致し、実現に向かって一気に話が動きはじめました。豪州の日本大使や、豪州政府・西豪州政府にも働きかけ、全面的な支持を得ることができました。これを機に、パースと開発地域を結ぶ州政府の鉄道延伸計画が加速。その後10年の時を経て2024年に開通を迎えました。
さらに、広大な土地では牧畜や太陽光発電にも取り組んでいます。
海外事業の要諦は、派手な一手ではありません。短期利益を優先せず、現地パートナーと手を携え長期に関わり、利益を循環的に再投資して街の価値を高めていく——この着実な姿勢に尽きるように思います。これは、およそ100年前に田園都市の開発を始め、沿線で積み重ねてきた「まちづくり」と通底しています。
完全な確信がなくとも、まず現地へ行き、自分の目で見て、対話してみるということの大切さ。そこで得た小さな実感が、机上の正しさよりも、次の一歩を支えてくれます。焦らず、驕らず、けれども諦めずに。この姿勢が、明日の街の輪郭を少しずつ形づくっていくのだと思います。
写真:ベトナムにおけるまちづくり


