海外事業——「現地を歩き、共に育てる」
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#27東急歌舞伎町タワー 危機下で貫いた構想、まちづくりと「文化」
野本弘文 2026/05/27
2011年、東京急行電鉄(現・東急)の社長に就任した際、私が「三つの日本一」「一つの東急」をビジョンとして掲げたこと。この点はこれまでにも述べた通りですが、同時に、もう一つ強く意識していた時間軸がありました。
それは、およそ10年先、2022年に迎える創業100周年という節目です。
この歴史的な節目に、東急グループとして何を世の中に示すのか。
その問いに対する答えとして構想していたのが、「歌舞伎町一丁目地区開発計画(現・東急歌舞伎町タワー)の開業」と、「東急百貨店本店所在地の開発計画(Shibuya Upper West Project)の発表」。この二つのプロジェクトでした。いずれも、10年単位の時間をかけて実現する長期構想として仕込んでいたものです。
東急グループといえば渋谷という印象が強いかもしれませんが、実は新宿とも深い縁があります。 第二次世界大戦の空襲によって焼け野原となった新宿。その復興を見据え、当時の町会長・鈴木喜兵衛氏が大衆娯楽施設の誘致を構想しました。その計画に歌舞伎座の建設が含まれていたことが、「歌舞伎町」という町名の由来です。
その後、臨時建築等規制や預金封鎖の影響により、歌舞伎座誘致は実現しませんでした。しかし鈴木氏は、まちづくりの助言を東急の創業者・五島慶太に求めます。五島はこれに応え、1956年、映画館や都内初の屋内スケートリンクを備えた「新宿東急文化会館」を開業させました。五島慶太が映画事業に熱心で、外国映画ロードショーの拠点をつくる狙いだったのです。
この施設は形を変えながら、「新宿TOKYU MILANO」として長年親しまれてきましたが、時代の流れの中で2014年の閉館が決まりました。
跡地活用の計画が白紙の中、東急レクリエーションから相談を受け、私は共同で再開発に踏み出す決断をしました。
では、この場所に何をつくるのか――。
思索を重ねる中で中心にあったのは、「歌舞伎町という街の特異性」でした。多様な文化と娯楽が混じり合い、独自の歴史を育んできたこの場所だからこそ、他にはない面白い仕掛けができるのではないか。そう考えたのです。
当時は東京五輪を控え、ホテル需要が高まりつつありました。一方で、「日本にはナイトタイムエコノミーが不足している」という訪日外国人からの不満の声も顕在化していました。
そこで私は、オフィス床をあえて設けず、映画館・劇場・ライブホールといったエンターテインメント機能を集積し、ホテルと融合させた高層複合施設という大胆な構想にたどり着きます。これは国内でも前例のない試みであり、その独自性が評価され、東京圏国家戦略特別区域の認定を受けるに至りました。
しかし突如として、プロジェクトに暗い影が落ちます。
地下工事を終え、これから建物を立ち上げるというタイミングで、未曽有のコロナ禍がはじまったのです。
「コロナによる打撃が大きいものばかり集積させる計画が、本当に成立しうるのか」。社内では懸念の声が相次ぎ、用途の見直しを検討する動きもありました。
それでも私は、この計画を曲げるべきではないと考えました。
国家戦略特区として認定を受けた以上、その本質的価値を信じ抜きたい。何としても今の計画で進められないか――。眠れない夜が続きました。
その中で思い出したのが、かつてメディア事業に携わっていた頃によく使っていた「ワンソースマルチユース」という言葉です。
東急歌舞伎町タワーで興行した演劇や音楽ライブは、スマートフォンやケーブルテレビ、あるいは別の場所の映画館にも配信できる。ここで生まれる演劇や音楽は、空間と時間を超えて国内外に広がっていく。そうした可能性を示しながら、社員に語りかけました。
「インバウンドはコロナが収束すれば必ず復活する。その時にナイトタイムエコノミーを提供できるエンターテインメント施設やホテルは絶対に必要になる。歌舞伎町の新しい象徴となるようなビルを、自信をもって進めていこう」
この方針のもと、施設の随所に映像・通信設備を組み込み、リアルとデジタルが連動する新たなエンターテインメント基盤を構築しました。
同時に、感染症対策も徹底しました。換気、非接触動線、密集回避。それらを一体的に設計に組み込んだ結果、「新しい日常」に適応した都市開発として国土交通省の認定(※)を受けました。 そして2022年4月、施設名称を「東急歌舞伎町タワー」と決定。
外観は、この地にかつて流れていた川、そして歌舞伎町弁財天が水を司る女神として祀られていることに着想を得て、「噴水」をモチーフとしました。日本の伝統的な文様の一つである「青海波」をまとった外装は、水の持つ流動性と重層性をあらわしています。
そして2023年4月14日、開業。
その1か月後、コロナは「5類」へ移行し、世の中が明るさを取り戻し、社会は再び動き始めました。まるでそれを待ち受けていたかのように、多くのお客様がエンターテインメントを求めて訪れるようになったのです。
この施設で特にこだわったのは、シネシティ広場に面した屋外ビジョンとステージです。街に開かれたこの空間から、新しい文化やスターが生まれていく。そんな未来を描いて設計しました。
開業翌年には、タワー内の劇場で「歌舞伎町大歌舞伎」が初上演されました。戦後復興の中で歌舞伎座の誘致を志した先人たちの想いが、実に80年の時を経て結実したのではないかと思います。
私は、まちづくりと文化は不可分であると考えています。
人は「楽しい」と感じる場所に集い、その中で共有された価値が文化として継承されていく。まちは、その文化を育む「舞台」であるべきなのです。
その考え方は、当社の他の地域でのまちづくりにも通底しています。
例えば2026年5月、大田区の「歴史的風致維持向上計画」が都内で初めて国の認定を受けました。
池上本門寺の最寄り駅である東急電鉄 池上駅は、この認定に先駆けること2020年、門前町の歴史を継承するデザインを取り入れながら、商業施設・図書館・保育園等を複合した都市拠点として、リニューアルしました。今後は、駅からまちへと広げることで、歴史性と都市機能を融合させた再整備を行っていきます。
地域と手を携え、今に至る歴史と未来をつなぎながら価値を共創していく。それが私たちのまちづくりです。
東急グループが、この歩みの先に、「文化大国日本」、「国際文化都市東京」の一翼を担う存在となることを願っています。
(※)「新しい日常に向けた対策」が盛り込まれた改正後の地域整備方針に基づく初の民間都市再生事業計画として国土交通省から認定を受けた。
写真:©TOKYU KABUKICHO TOWER


