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#08B to Bの先にある「個人の喜び」――エンタテイメントシティSHIBUYA構想を育んだ映画と歌の記憶
野本弘文 2026/05/08
仕事をするとき、私はいつも「最後に誰がお金を払うのか」を考えるようにしています。
世の中には企業同士で取引するB to Bのビジネスが数多くありますが、その先をたどっていけば、最終的に対価を払ってサービスを受け取るのは、ほとんどの場合「個人のお客さま」です。航空機の部品メーカーがどれだけ取引を重ねても、実際に座席に座るのは一人のお客さまです。結局は、その人が満足しなければビジネスは続きません。
だからこそ、目の前の相手が企業であっても、その向こうにいる個人のお客さまを想像し、「どうすれば喜んでもらえるか」を考えることが欠かせません。私が渋谷や歌舞伎町の街づくりでエンターテインメントを重視しているのも、突きつめれば「楽しさ」こそが人を動かし、街の価値を高める原動力だと思っているからです。
こうした感覚は、やはり幼少期の環境によって培われたものだと思います。
私の実家の前には映画館があり、当時10代だった美空ひばりさんが来たこともあるような、町の娯楽の中心でした。私はその映画館には、よく父や母について行き、内容は分からなくとも、大人たちがスクリーンに夢中になっている様子を眺めていました。また映画館の外に流れる小林旭や石原裕次郎の歌を聴き、その熱気を肌で感じていました。
ある時、映画の中で「接吻」という言葉を聞いたとき、隣にいた母に「接吻って何?」と大声で尋ねてしまい、周囲の大人たちにどっと笑われたことを覚えています。恥ずかしい思い出ですが、幼いころから映画というものに日頃より親しんでいました。
父もまた、芸事を好みました。戦前は商売の傍ら、小笠原流生け花の師範をしていたそうで、家にはいつも花が飾られていました。もっとも、わんぱくだった私と弟は、その大切な生け花の師範免状の巻物を勝手に持ち出し、口にくわえて「忍者ごっこ」の道具にして遊んでいました。
そろばん塾では先輩とそろばんで殴り合い、習字塾では墨を塗り合って孫悟空ごっこをするなど、じっとしているのが苦手な子どもでした。
小学3年生のときには町の「のど自慢大会」に誰にも告げず応募しました。父が股旅ものを歌って喝采を浴びている姿を見て「自分もやりたい」と思ったのでしょう。そのとき歌ったのは曽根史郎『若いお巡りさん』。「もしもし ベンチでささやく お二人さん…」いい気持ちで歌ったにもかかわらず、結果は無情にも鐘1つ。
「坊やには早かったね」と言われ、ひどく悔しかったのを覚えています。
そのときのトラウマか、今でもカラオケは苦手です。それでも、あの舞台から見た「人が喜んでいる姿」が、ずっと心の中に残っています。
店先では、よく弟と、母の着物を着ておどけていました。商店街の旦那衆の集まりの場があると、酒宴が始まった頃を見計らって潜り込み、父の黒田節の歌に合わせて踊ってみせ、お小遣いをもらったこともありました。
映画館での経験、のど自慢の悔しさ、余興を披露してお小遣いをもらったこと。それらの体験は、すべて「人が楽しむ姿」に直に触れた記憶でした。
今の私が「エンタテイメントシティSHIBUYA」や「東急歌舞伎町タワー」の構想を語るとき、根っこにはあの頃の体験があります。自分が楽しいと思うこと、そしてお客さまが喜ぶこと。どちらが欠けても、街は活気を失います。B to BであろうとB to Cであろうと、最後に価値を決めるのは「個人のお客さま」です。幼い頃に味わった熱気やワクワク感は、今の私の仕事の判断基準となり、人の「楽しさ」をつくるという視点を支え続けています。


