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2026

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    豪雪の地が育んだ健やかな身体と、挫折から切り拓いた英語の道

    豪雪の地が育んだ健やかな身体と、挫折から切り拓いた英語の道

     私は新潟県十日町市で生まれ育ちました。そこは、国内でも有数の豪雪地帯。冬になれば積雪で1階が完全に埋まり、家の2階から出入りしなければならないという環境でした。

     そんな大自然のなかで、私は文字通り泥だらけ、雪だらけになって遊ぶ子供でした。夏になれば山へ分け入って木を切り、チャンバラごっこに興じる。蝶やセミ、カブトムシを追いかけては夢中で昆虫標本を作る。冬になれば、学校の体操の時間はおろか、毎日の通学もスキーを履いて行うのが日常でした。豪雪の合間に友達と「ほんやら洞(かまくら)」を掘り、その中でちいさな炭火を囲んでお餅を焼き、冷えた手を温めながら他愛のない話に花を咲かせたりしました。

     この豊かな自然環境と並んで、私の人生の土台を作ってくれたのが、「動物たちとの触れ合い」です。当時、親戚が農家を営んでおり、牛や豚、鶏など、たくさんの家畜を飼育していたのです。私は用もないのにその農家へしょっちゅう出向いては、動物たちと触れ合って過ごしていました。

     欧米の研究データに「乳幼児期に動物と触れ合うと、アレルギー疾患や感染症のリスクが下がる」というものがあります。その恩恵を授かったのかは分かりませんが、振り返ればこれまで花粉症とは全く無縁で、大きな感染症に脅かされることもなく、健やかな身体を保ち続けてきました。ありがたいことに、新型コロナウイルスにも一度も感染していません。「あの幼少期に、大自然と動物たちに育まれた経験が、私の身体に一生モノの免疫力を授けてくれたのではないか」――今では確信を持って、そう故郷に感謝しています。

     そんな十日町市は、私にとって大きな誇りでもあります。日本一のブランドである魚沼産コシヒカリの中心地であり、当時は京都に次ぐ全国2位の生産高を誇る着物の街でもありました。私の父はその着物の卸問屋に勤めており、東京の三越など一流のデパートへ十日町が誇る織物を売り込みに行っていたと、よく誇らしげに語ってくれたものです。食を語れば、乾麺の分野で日本一を連続で獲得する「へぎそば(妻有そば)」があり、歴史を紐解けば、国宝である「火焔土器(深鉢形土器)」が発掘された地でもあります。かつて東京オリンピックの際には、この火焔土器をモチーフにした聖火台を作ろうという壮大な計画が真剣に検討されました。実現こそしなかったものの、それほどまでに深い歴史と、独自の文化が息づく街で育ったことは、私のアイデンティティの根底にあります。

     そんな自然と動物の温もりの中で育った私が、中学に入学して没頭したのが、卓球でした。高校、そして大学の1年生まで卓球に打ち込み、毎日泥臭く汗を流し、学校対抗の試合にすべてを賭けていました。中学時代に一度だけ、数学の試験で「全校生徒の中で100点を取ったのは私一人だけ」というような一コマもありましたが、基本的には勉強の記憶はあまりありません。

     しかし大学1年生の時、私のそんな「卓球一色の人生」を一変させる出来事が訪れます。

     代々木体育館のコートで私が対峙したのは、当時の日本チャンピオンであり、国内不動のナンバーワンだったシチズンの高橋浩選手でした。結果は、まさに「こてんぱん」。手も足も出ないとはこのことで、圧倒的な実力差を前に、私は完膚なきまでに打ちのめされたのです。「卓球で飯を食っていくのは不可能だ」と、私はこのとき悟り、潔くラケットを置く決意を固めました。

     卓球という生きがいを失い、「これからの時代、語学だけは武器にしておかなければならない」と感じた私は、大学2年生でいわば背水の陣で英語研究会(ESS)に飛び込みます。それまで全く手をつけてこなかった英語を、ゼロから必死に這い上がるようにして学び始めたのです。卓球に向けていた熱量をそのまま注ぎ込んだ結果、気がつけば東京都の大学対抗英語弁論大会で優勝を飾り、聖心女子大学で行われた関東大会でも4位に食い込むところまでいきました。あの惨敗という挫折がなければ、今の私の語学の道は絶対に拓かれていませんでした。

     私の学生時代を支え、導いてくれたのは、新潟時代の中学・高校の担任の先生方でした。教育者である先生方は、多感だった私に人生の根幹となる心構えを植え付けてくれました。

     「努力をすることは、何よりも重要なのだ」

     先生がよく口にされていたその教えは、松下幸之助氏の「成功とは成功するまでやることだ」という言葉とも重なります。そして、こうも言われました。

     「本当に自分がやりたいことを目指すのであれば、常に強く、その未来を念じ続けなさい」

     自分が進むべき道を強く思い描き、成功するまで泥臭く努力を重ねる。恩師から授かったこの強い意志の力は、その後の私のビジネス人生において、あらゆる困難を突破するための最大の武器となったのです。

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