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2025

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    【独自解説】「ベストドレッサー賞」とは? 歴代首相も歓喜した50年の軌跡。錚々(そうそう)たる歴代受賞者たちが語る「装い」の本質

    【独自解説】「ベストドレッサー賞」とは? 歴代首相も歓喜した50年の軌跡。錚々(そうそう)たる歴代受賞者たちが語る「装い」の本質

    『今年の顔』を照らすアワード特集

    1972年の創設以来、日本のファッションシーンを牽引し続けてきた「ベストドレッサー賞」。 MFU(一般社団法人日本メンズファッション協会)が主催するこの賞は、第1回の開催から今年で54回を迎えた。これまでの受賞者はのべ318名。

    景気の動向や自然災害、そして近年のコロナ禍においても万全の対策を講じて途切れることなく開催されてきた本賞は、単なる「着こなし」のコンテストではない。その歴史を紐解くと、日本の高度経済成長、ビジネス用語の誕生、そして歴代首相たちの知られざる素顔が見えてくる。 本記事では、半世紀にわたり日本の「格好いい大人」を定義し続けてきたベストドレッサー賞の淵源と、その変遷をレポートする。

    「TPO」「コンセプト」もここから生まれた。ビジネスとファッションの黎明期

    ベストドレッサー賞の歴史は、日本のメンズファッションの成熟と深く結びついている。 その立役者が、MFU創立の仕掛け人であり、“VAN”ブランドで高度成長期の若者に一大ブームを巻き起こした石津謙介氏だ。石津氏は単に服を売るのではなく、ライフスタイルそのものを包み込む文化を創出した。

    1960(昭和35)年には、MFUの前身ともいえるジャパン・メンズ・ファッションユニオンが設立され、新たな時代の感性創造について議論が重ねられた。今やビジネスの現場で当たり前に使われている「TPO(時・所・場合)」や「コーディネート」「ポリシー」「コンセプト」といった言葉は、実はこの時期のファッション界から生み出されたものだ。

    また、1970年代に入ると、若者向けだけでなく「大人の男のファッション」を志向する動きが加速する。1971年に発売された「D'URBAN(ダーバン)」のスーツは1着3万円。当時の大卒初任給の1か月分に相当する価格設定であったが、既製服にファッション性を持ち込み、ビジネスマンの装いを大きく変えた。こうした時代背景の中、「お洒落の真髄を極めた人」「人格・教養・識見ともに優れている人」を称える場として、ベストドレッサー賞は誕生した。

    波乱の第1回と、サントリー創立者・佐治敬三氏の「傑作スピーチ」

    今でこそ華やかな授賞式として定着しているが、その船出は難航したという。 第1回選考会にはファッション評論家やマスコミ関係者など錚々たる顔ぶれが集まったが、一家言あるメンバーによる議論は紛糾。結果として10名もの受賞者が選出された。

    会場は千鳥ヶ淵にあったフェアモントホテル。現在の規模とは異なり、マスコミ30社程度、本人出席もわずか4名というささやかなスタートだった。しかし、その後の祝賀会で、受賞者の一人であるサントリー(現・サントリーホールディングス)の佐治敬三氏が残したスピーチは、今も語り草となっている。

    「ワテ酒屋ですネン。そやからこういう賑々しいノン大好きですワ。日本で初めてのベストドレッサーに選ばれて光栄だス。私がヨウケ(沢山)服持ってるせいでっしゃろか。ホンマにうれしいデスワ」

    日本を代表する経営者の、飾らないユーモアと喜び。この賞がビジネスリーダーたちにとっても特別な意味を持ち始めた瞬間だったと言えるだろう。

    髭の殿下から歴代首相まで。「権力者」たちが垣間見せた素顔

    ベストドレッサー賞の権威を裏付けるのが、皇族や政界からの受賞者の多さだ。

    第4回受賞者の三笠宮寬仁親王は、「髭の殿下」として親しまれたが、表彰状を持参した石津謙介氏に対し、「俺のところに今頃ベストドレッサー賞を持ってくるとは……遅いッ! 遅すぎるヨッ!」と一喝したという。当時、VANの服を愛用し、石津氏と昵懇(じっこん)の間柄だった殿下ならではの、ファッションへの強いこだわりを感じさせるエピソードだ。

    また、総理大臣経験者もこれまでに6名が受賞している。

    佐藤栄作氏:「政界の團十郎」と恐れられたが、受賞時には相好を崩し、フランクに感想を語った。
    麻生太郎氏: 第5回(1977年)に受賞。当時は麻生セメント社長であり、財界きっての洒落者として選出された。
    橋本龍太郎氏: 大蔵大臣時代に受賞。父・隆吾氏の最期の言葉がネクタイの曲がりを戒めるものだったという逸話を持つダンディズムの持ち主。
    細川護熙氏: 現職総理として受賞。55年体制の終焉を象徴する存在だった。
    安倍晋三氏: 官房副長官時代と、歴代最長在職日数となった総理時代の2度にわたり受賞している。

    一方で、小池百合子氏は環境大臣時代と東京都知事時代に2度受賞しているが、そこには皮肉な側面もある。環境大臣時代に提唱した「クールビズ」により、ネクタイ業界は大打撃を受けた。さらにコロナ禍においては、アパレル業界への特例支援がなく、大手企業の倒産も招いた。ファッションと政治経済の複雑な関係性が垣間見える。

    100歳超の受賞者からeスポーツ選手まで。進化する「ドレッサー」の定義

    50年の歴史の中で、受賞者の顔ぶれは多様化の一途をたどっている。 当初は男性のみの受賞だったが、第4回で木原光知子氏が初の女性受賞者となり、2002年には男女の部門区別も撤廃された。 記事内画像 ▲今年もプレゼンターとして活躍された、日本メンズファッション協会(MFU)理事長の八木原 保氏。

    年齢層も幅広い。自称106歳児の教育者・曻地三郎(しょうち さぶろう)氏や、100歳で受賞した報道カメラマン・笹本恒子氏など、年齢にとらわれない輝きを放つ人物が選ばれている。職業も同様で、20年前には想像もできなかった「プロeスポーツ選手(ときど氏)」が2020年に受賞するなど、時代を映す鏡となっている。

    選考基準も、「格好よく着こなす」ことから、「その人となりを表現する個性を重視する」方向へと変化してきた。 2013年に受賞した作家の百田尚樹氏は、取材時に「服や持ち物にこだわり、髪形を気にするような奴は気色が悪い」と語っていたが、実際の授賞式ではこうスピーチした。

    「やっぱり男は恰好よくせなあかん。きちっとした格好したら気も引き締まる」

    50年の時を経て、形式にとらわれない「個」の時代へ。しかし、「装うこと」が人の心に自信と活力を与えるという本質は、いつの時代も変わらないのかもしれない。

     
    ベストドレッサー賞を主催するMFU理事長 八木原 保氏の半生を綴った連載記事「原石からダイヤへ」はこちら

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