「最初の3年は頭を横に置け」——JACリクルート...
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「餌」から「フード」への転換と、16獣医大学を回った草の根の啓発活動
越村 義雄 2026/07/08
1985年からペットフード事業に専念することになった私ですが、当時の日本ではまだペットの食事を「餌(えさ)」と呼ぶ時代でした。私たちはまず、その呼び方を「フード」に変えていくことから意識的に始めました。
当時の日本のペットフード市場は、まだ国内企業が主流でした。予算を投じて華やかなテレビコマーシャルを打つ競合他社が多いなか、私たちは全く違う戦略をとることにしました。それは、飼い主から最も信頼される「獣医師の先生方に推奨してもらえる仕組みづくり」への投資です。もともとアメリカの本社では、第三者機関の明確なデータをもとに「米国の獣医師がナンバーワンに推奨」というタグラインで展開していたため、日本でも同様に、獣医師の先生方と太いパイプを築いていこう、と考えたのです。
当時はまだ私たちの会社も人が少なかったため、総代理店に販売をお願いすることにしました。アメリカの事情をよく知るモートン・アングリスト氏が社長を務めていたセルウェルさんに、健康な犬猫用の「サイエンス・ダイエット」を、そして療法食に強い興味を持ってくださった森乳ペットフードさん(現・森乳サンワールド)には、療法食の販売をお願いしました。
そして森乳さんと一丸となり、開業獣医師の先生方を集めた地道なセミナー活動を全国で開始しました。アメリカからマーク・モリス研究所のマーク・モリス博士を招いて講演会を開き、その後の懇親パーティーの費用は森乳さんがサポートしてくださる形で、丁寧に製品の価値を伝えていきました。サンプルを差し上げ、説明を尽くす。これが、日本における最初の導入時点で非常にうまく機能しました。
さらにこの流れを決定づけたのが、1985年に東京の京王プラザホテルで開催された世界小動物獣医学会でした。この機を捉えて、私は当時日本にあったすべての獣医大学(当時は16大学、現在は17大学)の先生方を近くのホテルにお招きし、マーク・モリス研究所の専門家の先生による大規模な小動物臨床栄養学セミナーを開催したのです。
大学の先生方に製品の価値を深く理解していただいくからには、さらに次世代を見据えたアプローチをスタートさせました。「将来、獣医師になる学生たちに、今のうちから療法食を知ってもらおう」と考えたのです。私はアメリカから来日した研究所の先生とともに、毎年全国16の獣医大学をくまなく回りました。当時は私がスライドを投影する係を務めながら、手探りでセミナーをサポートしていたのをよく覚えています。
毎年、全国の大学を回ってセミナーを行い、シンポジウムを開催し続ける。この地道な草の根活動の積み重ねによって、ヒルズの製品は日本の獣医師の先生方の間に、確固たる信頼とともに、少しずつ、しかし着実に浸透していきました。自分たちが「良い製品だ」と叫ぶのではなく、プロフェッショナルが納得し、自らの言葉で勧めてくれる。この本質的な仕組みをつくり上げたことこそが、私たちが日本市場で大きくシェアを拡大していく強固な土台となったのです。


