
地球を未来に残すための挑戦(後編)
ビジョナリー編集部 2025/04/24
4/28(月)
2025年
大西 洋 2025/04/06
入社当時、伊勢丹には同期入社の新卒が23人ほどいた。当時の配属は、社内で行われた選考の結果や適性などをもとに決められていた。現在ではより多様な視点での人材配置が重視されているが、当時はそうした方針に基づいて運用されていたものである。私が後に経営の立場となった際には、個々の適性や意欲をより尊重した配属が望ましいと考え、制度そのものを見直すこととした。
配属先にはそれぞれの特性があり、当時は婦人服や化粧品・雑貨部門が“花形”とされることが多かった。私は伊勢丹新宿本店 紳士服営業部(当時の男の新館 1階レジャーウェア/カジュアルウェア)に配属され、販売の現場から社会人としてのキャリアをスタートすることとなった。新人はまず3年間、店頭での接客を通じて現場を学ぶ。それが伊勢丹の基本方針だった。
そこに、女性の上司でSさんという方がいた。Sさんからは、本当に様々なことを学んだ。歳は私の一回りぐらい上で、非常に厳しく、誰もが認めるものすごく販売力のある方だった。今でも当時の仲間で集まると「あの逸材は、二度と伊勢丹には現れない」と話題にあがるほどである。店の閉店時間18時になると、地下の休憩室で、販売データを照合するため、Sさんに受け取った商品のタグを提出するのが習わしだった。当時はPOSシステムが導入されておらず、手作業での管理が中心だった。そこで私は、彼女が自分の3倍もの売上を上げていることを知り、愕然とした記憶がある。数年後には、自分が彼女の上司になる可能性があることを思うと、責任と緊張を強く感じた。土日の勤務は、体力的にも厳しかったが、体調に関係なく常に接客の最前線に立つ姿勢こそが、この仕事の原点であると教えられた。
接客業は当然のことながら、自分の都合で休憩に行くことなどできない。熱があろうがなかろうが、どんなに具合が悪くとも、お客さまがいらっしゃる限り、きちんと店に立って接客をしなければならない。そのような姿勢も、Sさんの背中から学んだ。伊勢丹の現場で繰り返される接客の中で、百貨店にとって、販売こそがもっとも重要だということを学んだのも、この時期である。自分の都合ではなく、お客様が求めるものを察知し提案していかねばならない厳しさと醍醐味を味わえるのは、やはり販売職である。
マーケティングの重要性も、販売の中で学んだ。平日で1日30人、週末には50人以上のさまざまなお客さまと会話をする。相手の表情や動き、言葉にならないニーズを感じ取り、最適な提案をしていく。お客さまがどのようなニーズを持っていて、何に困っていて、それに対して何をしてあげれば一番ハッピーになるのかを考えることが重要だと、肌で感じて学んでいったのである。お客さまが店に来たら「いらっしゃいませ」とは、誰もが言う。重要なのは、その次だ。いきなり「何かお探しですか?」と聞いたり、商品の説明をしたりしても、お客さまは身構えてしまう。表情を見て、「今日は欲しいものを決めていらしているのかな」、「今日は何か迷っていらっしゃるかな」、「今日は少し元気がないな…」といった具合で、お客さまの気持ちを察しながら、会話の中で自然に確認していく。ときに一歩引いて見守ることも、真の接客だとSさんから学んだ。
また、売場づくりの大切さにもこの時期初めて触れた。お客様にとって一番見やすい並べ方とは何かが追求され、色の並べ方にも暖色から寒色へ、など詳細にルールが定められており、伊勢丹の売場づくりは、まさに感性と理論の融合であった。Sさんは、私の社会人としての原点に大きな影響を与えてくれた存在で、とてもパワフルで強烈な方だった。病気を抱えながらも、44歳で亡くなる直前まで杖をついて店頭に立っていた。当時私は海外勤務であったが、帰国して引っ張ってでも、病院へ連れていくべきだったと今でも悔しさが残っている。厳しさの中にあった深いプロフェッショナリズム。その教えと姿勢は、私のキャリアにおける大きな土台かつ財産となった。接客・販売の本質は、机上ではなく現場にある──それを最初に教えてくれたのが、伊勢丹という現場と、Sさんという師だった。