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なぜ日本人はパンダを愛してきたのか──半世紀にわたる飼育の歴史と社会の記憶
ビジョナリー編集部 2025/12/30
「パンダ」と聞いて、どんなイメージが思い浮かびますか?白と黒の愛らしい姿、のんびりと竹を食べるしぐさ、そして動物園にできる長い行列…。日本におけるパンダの存在は、単なる動物の枠を超え、時代や社会の空気を映し出してきました。しかし、上野動物園のパンダが来年返還され、日本でパンダが見られなくなる日が来るかもしれません。
なぜ日本人はこれほどまでにパンダを愛し、またその飼育の歴史はどのように刻まれてきたのでしょうか。今回は、半世紀以上にわたる日本のパンダ飼育の歩みを、時代背景や社会との関わりとともに紐解いていきます。
パンダの歴史(発見から人々に愛される存在になるまで)
パンダが世界に知られるようになったのは19世紀後半のことです。中国南西部の深い山林に生息し、紀元前からその存在が一部で記録されていたものの、人間が実際にその姿を捉えることは長らくありませんでした。1869年、フランス人宣教師のダヴィド神父がパンダの毛皮を持ち帰ったことで、初めて西洋に「ジャイアントパンダ」が紹介されます。その珍しい白黒模様と、クマに似て非なる骨格は、瞬く間に欧米の関心を集めました。
ところが、最初の関心は保護ではなく「狩猟熱」でした。1920年代から30年代にかけては、毛皮や骨格標本を求めてパンダハンティングが過熱します。1936年、アメリカ人探検家ルース・ハークネスが生きたパンダ「スーリン」を初めてアメリカに連れ帰ると、パンダはその愛らしさから一躍動物園のスターとなり、世界中の人々の心をつかみました。ぬいぐるみやキャラクターグッズが爆発的に売れる一方、生きたまま国外搬出する試みは多く失敗し、多くの幼いパンダが命を落とす悲劇も生まれます。
この状況を見かねて、中国政府は1939年にパンダの国外持ち出しを原則禁止とし、以降は国家的な保護体制を強化していきます。やがてパンダは、中国の“国宝”として保護対象となり、国際的なシンボル動物、そして“外交使節”としての役割を担うようになっていきます。
日本に初めてパンダがやってきた日
日本にパンダが初めてやってきたのは、1972年10月28日。日中国交正常化を記念して中国から「カンカン」と「ランラン」という2頭が上野動物園に“贈り物”として届けられました。このニュースは瞬く間に全国を駆け巡り、公開初日にはパンダを一目見ようと2キロにも及ぶ行列ができたといいます。
なぜ、ここまでの熱狂が生まれたのでしょうか。実は前年、昭和天皇がロンドン動物園でパンダをご観覧され、その様子が日本でも大きく報道されました。「天皇陛下がご覧になった異国の動物が、ついに日本でも見られる」――そんな期待が高まっていたタイミングでした。さらに、若者文化や流行を牽引する存在であったファッション誌『anan』がパンダを表紙に採用し、「パンダ=カワイイ」というイメージが一気に定着していきます。
「カンカン」と「ランラン」は国民的アイドルとなり、映画やパンなど“パンダ商品”が続々と登場。日本社会はパンダブームに沸きました。この2頭の存在は、昭和の高度経済成長期の象徴でもあり、パンダは「平和」や「友好」のシンボルとして親しまれるようになったのです。
パンダがいなくなる危機と新たなブームの到来
しかし、パンダブームにも浮き沈みがありました。「ランラン」が亡くなった後もパンダの入れ替わりや飼育困難などの課題が続きました。1980年代には新たに「ホァンホァン」や「フェイフェイ」が来園し、1986年には待望の子パンダ「トントン」が誕生。赤ちゃんパンダを一目見ようと再び多くの人が動物園に押し寄せ、第二次パンダブームが巻き起こります。
しかし、パンダの飼育は決して順風満帆ではありませんでした。1984年、中国がワシントン条約に加盟したことで、パンダの贈与はできなくなり、以降は「貸与」という形式になります。これにより、日本は中国に年間100万ドル規模の「レンタル料」を支払う必要が生じました。(実際には、繁殖に成功した場合の追加費用や研究・保全協力費を含め、年間100万ドル規模になる可能性がある、という仕組みです。)
2008年、「リンリン」が亡くなり、上野動物園から一時パンダが姿を消します。しかし「子どもたちのためにパンダをもう一度」という市民の強い要望や、当時の東京都知事の尽力もあり、2011年に「リーリー」と「シンシン」が中国から貸与され、上野にパンダが帰ってきました。公開初日には多くの人々が詰め掛け、再びパンダフィーバーが巻き起こります。2017年には上野で「シャンシャン」が誕生し、最大240分待ちの行列ができるほどの人気を集めました。パンダが生まれることで、動物園の入園者数や関連商品の売上が急増するなど、その経済効果も絶大です。
パンダ飼育、全国各地へ
日本のパンダ飼育は、上野動物園だけにとどまりません。1994年、和歌山県のアドベンチャーワールドでは、世界初のブリーディング・ローン方式による日中共同繁殖研究がスタート。「永明」をはじめ多くのパンダがここで生まれ、育ちました。永明は日本で16頭もの子どもをもうけ、パンダ繁殖研究の成功事例として国内外から高い評価を受けました。
神戸市立王子動物園にも「タンタン」が長年暮らし、多くのファンに愛されました。阪神淡路大震災の復興のシンボルとして日本へやってきたタンタンは、2024年3月に国内最高齢の28歳で亡くなりましたが、彼女の存在が神戸市民に与えた癒しや勇気は計り知れません。
近年は環境問題や絶滅危惧種保護への意識が高まる中、パンダ飼育の意義も変化しています。パンダは「保護の成功例」として世界的に注目されており、パンダを通じて自然環境や生物多様性の大切さを学ぶ機会が増えています。実際、パンダの個体数は保護活動の成果もあって徐々に回復しつつありますが、それでも生息地の減少や気候変動など、解決すべき課題は残されています。
パンダが教えてくれたこと――未来への期待
パンダの歴史を振り返ると、そこには日本社会の変化や国際関係の揺れ動き、そして何より「人々の幸せを願う気持ち」が映し出されています。パンダの存在は、どんな時代でも人々に笑顔と癒しをもたらしてきました。パンダが日本に戻ってくる日を心待ちにしつつ、私たちは今、パンダが暮らしやすい地球環境や、動物と共生できる社会を目指すべき時なのかもしれません。
動物園でパンダと目が合ったら、それを支える多くの人々、そして50年以上にわたり紡がれてきた物語に思いを馳せてみてください。きっと、パンダはこれからも、私たちの未来を見つめ続けてくれるはずです。


