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10/15(水)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/10/15
「ノーベル賞」と聞いて、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか。世界最高峰の栄誉、科学や人道の発展を称える夢の舞台。毎年秋になると、その発表に世界中が注目します。けれども、そもそもこの賞は、どのようにして生まれたのでしょうか?
その答えは、一人の発明家、アルフレッド・ノーベルの波乱に満ちた生涯に隠されています。
アルフレッド・ノーベルは1833年、スウェーデン・ストックホルムで生まれました。父イマヌエルは発明家かつ実業家で、幼いアルフレッドにも科学の面白さやものづくりの精神を惜しみなく伝えました。家族はイマヌエルの事業の成功と失敗によって、貧困と繁栄の両方を経験します。サンクトペテルブルクに移った後は、家庭教師からフランス語やドイツ語、さらに化学の基礎を学び、若きノーベルは五か国語を操る教養人へと成長していきます。
ノーベルが本格的に化学の道へ進むきっかけとなったのは、爆薬への興味でした。当時、爆薬として主流だった黒色火薬に代わり、イタリアの化学者ソブレロが1845年に発明したニトログリセリンが注目を集めていました。しかし、その爆発力は強大である一方、ほんの僅かな衝撃や温度変化で暴発してしまうため、産業利用は夢のまた夢でした。
「1000個のアイデアがあったとしても1個実現したら良い方だ」
ノーベルは失敗を重ねながらも、諦めることなく新しい爆薬の開発に没頭しました。
1862年、ノーベル家はストックホルム近郊にニトログリセリン工場を建設しました。しかし操業まもなく、爆発事故が発生。弟エミールや多くの従業員が命を落とし、父イマヌエルもほどなく世を去ります。
この悲劇が、ノーベルを「安全な爆薬」を生み出す決意へと駆り立てました。彼は湖上での実験や、紙や木炭、さまざまな素材を使った研究を続け、遂に1866年、珪藻土にニトログリセリンを染み込ませることで安定性を飛躍的に高めることに成功します。
その爆薬は「ダイナマイト」と名付けられました。ギリシャ語で「力」を意味する“dynamis”に由来しています。
産業革命の波が押し寄せ、鉄道や鉱山開発、インフラ整備が急速に進むヨーロッパ。ダイナマイトは瞬く間に世界の現場で重宝され、ノーベルは巨万の富を手にします。
一方で、ダイナマイトや後に開発したバリスタイト(無煙火薬)は、軍事分野でも利用されるようになり、戦争の形を一変させました。
ノーベルは豊かな資産を前に、社会や人類のために何ができるかを常に自問していたのです。
1888年、ノーベルの兄が亡くなった際、フランスの新聞が誤ってアルフレッドの訃報を掲載します。その見出しは「死の商人、死す」。自分の発明が破壊と死をもたらす象徴とされることに、ノーベルは大きな衝撃を受けました。
彼は改めて、自身の業績が人類に与える影響を深く考え始めます。科学の発展が必ずしも幸福をもたらすとは限らない。その矛盾と葛藤の中で、ノーベルは“人類のためになる業績”を称える仕組みを遺そうと決意するのです。
1895年、ノーベルは心臓病の悪化を受け、人生の終わりが近いことを悟ります。彼はパリのスウェーデン・ノルウェー倶楽部で、自らの手で遺言状を書きました。そこには、全財産の大部分を安全な有価証券に投資し、その利子を「人類のために最大たる貢献をした人々」に分配すること、すなわち「ノーベル賞」の創設が明記されていたのです。
賞は
の5部門とし、国籍や人種を問わず授与することが定められました。
物理学と化学は自身の研究分野、医学はノーベル自身が関心を持っていた分野、文学は戯曲や詩作に勤しんだ経験、そして平和賞は平和運動家のベルタ・フォン・ズットナーとの交流が反映されています。
ノーベルの死後、遺産を巡るトラブルや遺言執行の困難を乗り越え、1901年に第1回ノーベル賞の授与が実現しました。その後も、経済学賞が加わり、今日まで続いています。
ノーベルは「尊敬されるには、尊敬に値するだけでは不充分である」とも語っています。ただ偉業を成すだけではなく、社会や人類への“よりよい影響”を与える人物を称えること。それが彼の願いでした。
彼の人生は失敗と挫折、そして再起の連続でしたが、だからこそ「ノーベル賞」は、世界中の研究者や活動家に「挑戦し続けよ」と勇気を与え続けています。
また、「幸せを祈る気持ちだけでは平和は保障されない」と、具体的な行動の重要性も強調しています。単なる理想や願いだけでなく、現実的な仕組みづくりを求めたノーベルの精神は、いまなお私たちに多くの示唆を与えてくれます。
「死の商人」とも呼ばれたアルフレッド・ノーベル。彼の人生は決して順風満帆ではありませんでした。爆薬の発明によって富と名声を手にする一方で、葛藤や社会的な非難、家族との別れ、多くの失敗も経験しています。
それでも、ノーベルは「自分の仕事が世界をより良くするための一歩である」と信じ続けました。
彼が遺したノーベル賞という遺産は、科学・人文学・平和の分野で人類の未来を切り拓く“挑戦者”たちに、今も光を投げかけ続けています。
ノーベルの人生を振り返ることで、私たちも「自分の仕事がどんな価値を生むのか」「社会にどう貢献できるのか」を問い直すきっかけになるのではないでしょうか。
そして、たった1つのアイデアや行動が、やがて世界を動かす原動力となる――その事実に、改めて気づかされます。
あなたが今、取り組んでいることは、未来の誰かの希望につながるかもしれません。ノーベルが遺した“挑戦と理想”のバトンを、私たちも受け継いでいきたいものです。