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30年間の赤字企業を黒字転換へ――「安定」よりも「挑戦」の道へ
浅見 隆 2025/11/04
私が35歳でスポルディングに入社してから、わりとトントン拍子に部長、本部長、取締役と昇進し、8年後の43歳の時にスポルディングジャパンの社長に就任しました。
43歳というのは早いと思われるかもしれませんが、これには事情があります。外資系企業というのは恐ろしいところで、パフォーマンスが悪かったり、ガバナンスに違反したりすると、解任されてしまうケースが結構あるのです。当時55歳だった前の社長が解雇され、ナンバー2か3の方が社長になるのかと思っていたところ、本社から「お前が社長をやれ」と。ノーとはなかなか言えませんから、43歳で社長を拝命したわけです。
社長としては若かったですが、様々な仕事をさせてもらい、多くの修羅場も経験しました。最終的に7年間社長を務め、50歳の手前になりました。そのままスポルディングにいても良かったのですが、スポルディングが、ゴルフクラブで有名なキャロウェイに買収されるという話を耳にしたのです。グローバル企業ではよくある話です。
そうこうしているうちに、おかしなもので、自分から転職活動をしたわけではないのですが、運というか、たまたま2社からオファーをいただきました。1社はスイスの会社、もう1社が、私が行くことになったジョンソン・エンド・ジョンソンです。
ジョンソン・エンド・ジョンソンは今でも素晴らしい会社で、アメリカのMBAの講座にも出てくるほどの優良企業です。非常に安定しています。私はそこの取締役上級副社長という役職で入社しました。ジョンソン・エンド・ジョンソン ジャパンという大きな括りの中に5、6社の子会社のようなカンパニーがあるのですが、私はその中の一つ、コンシューマーカンパニーの責任者(カンパニー・プレジデント)を拝命しました。
給料やボーナス、車や家の手当といった「フリンジ・ベネフィット」の条件も良く、もちろんクビになるような心配もない。長く働ける会社です。しかし、どうも安定しすぎていて面白くないのです。
とんでもなく大きな会社で、絶対に潰れない。けれど、エキサイティングなこともないし、危険もない。もちろん、本当に自分が危なくなるような危険は誰も望みませんが、もう少しチャレンジングで面白いことがあってもいいな、と思い始めていました。
そんなことを考えていた53歳の時、ジョンソン・エンド・ジョンソンに4年ほどしか在籍していませんでしたが、アメリカの化粧品会社レブロンからオファーがありました。レブロンも極めて大きな会社ですが、日本では30年間ずっと赤字の会社でした。なおかつ、労働組合もある。これはかなり困難が多い会社だと直感しました。
アメリカ本社での面接を経て、条件が整えばということで交渉しました。世界では儲かっていても、日本では30年間赤字です。私が社長をやっても、例えば半年後に「やはりこの会社は文化が合わないから日本から撤退する」となれば、私は仕事を失うわけです。危ないですから、いわゆる「ゴールデンパラシュート」を付けてもらいました。万が一、本社の都合で日本から撤退するような事態になった場合は、2年間の給料を保障してもらう、というような条件です。
様々な条件を整え、私はレブロンに乗り込みました。日本の会社と違い、何の知り合いも元部下もいない中へ一人で入っていくのですから、日本の企業の方は理解できないくらい大変だったと思います。
労働組合があって、30年赤字。そして、私が3年、4年といてパフォーマンスが悪かったらクビになる。こういう厳しい条件でしたが、ある意味では、これ以上ない「ものすごいチャレンジだ」と思い、引き受けました。
話が長くなるので割愛しますが、最終的に労働組合は1年半ほどで円満に解体することができました。そして、1年10ヶ月後にはレブロンの利益をブレークイーブン、つまり30年続いた赤字からゼロに戻すことができたのです。その後は圧倒的な高い利益を出す経営ができ、結果として、外資系の社長としてはかなり長いほうだと思いますが、10年半務めさせていただくことになりました。


