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「健康情報は自分から探さない」若者をどう動かす? キユーピーと慶應大、「ナッジ」で挑んだ野菜摂取向上プロジェクト
ビジョナリー編集部 2025/11/28
キユーピーは、創業以来、食を通じて健やかな生活を支えることを目指してきた。日本で初めてマヨネーズ・ドレッシングを製造・販売し、当時、日本ではまだ一般的でなかった、野菜をサラダで楽しむ食文化を広めてきた企業だ。サラダは、健康的な食材である野菜を食生活に手軽に取り入れられるとともに、野菜のおいしさや彩りを楽しめるメニューとして提案を続けている。2023年からは、キユーピーグループが一丸となってサラダファーストを推進している。
健康的な食事はしたい。でも、情報は探しにいかない若者たち
「健康的な食事を心がけたい」。その意識は、多かれ少なかれ誰もが持っているものだろう。2025年5月に実施されたキユーピーの調査でも、健康のために意識していることとして、全年代で「健康的な食生活」が最も重視されていた。
一方で、特に若い世代のデータには気になる傾向が見られたという。健康情報の入手源について尋ねたところ、20代の約4割、30代の約3割が「健康に関する情報は入手しない」と回答したのだ。健康への意識はあるものの、自ら積極的に情報を得ようとはしない実態が浮き彫りになった。
厚生労働省の調査が示すように、野菜の摂取量は全世代で目標量に届いておらず、特に若い世代は最も低い。同社は、この「意識と行動のギャップ」こそが、若者の野菜不足という社会課題の一因ではないかと分析した。
情報発信をしても届かない層がいる。「健康のために野菜を摂らなければ」と頭では理解していても、日々の行動変容には繋がらない。そんな現状を打破するため、新たなアプローチが模索された。
「そっと後押し」でサラダを。行動経済学への着目
プロジェクトメンバーが注目したのは、心理学と経済学を融合させた行動経済学、とりわけ「そっと後押しする」アプローチである「ナッジ」だった。
キユーピーの田中氏は、「お客様には、ふと手に取ったサラダを心からおいしく味わっていただくことで、心身ともに健やかになっていただきたい」とした上で、こう語る。
「『義務感や強制をあおるのではなく、あくまでそっと行動を促す』というナッジの概念は、キユーピーが推進するサラダファーストの考え方と非常に親和性が高いと考えています」
専門的な知見と、ターゲットである学生のリアルな感覚を取り入れるため、慶應義塾大学・星野崇宏教授の研究室との共同研究がスタートすることとなった。
慶應大生との約1年にわたる共創
パートナーとなった星野研究室は、計量経済学や行動経済学の専門家であり、企業のマーケティング分野でも多くの実績を持つ。
2024年10月、調布市の「仙川キユーポート」でプロジェクトが始動。学生と従業員が顔を合わせ、キックオフが行われた。
参加した学生の動機は様々だ。プロジェクトリーダーを務めた慶應義塾大学の児島さんは、幼少期からの食への関心と、周囲の野菜嫌いな状況を変えたいという思いで参加。大学院生の上地さんは、自身の研究とは異なる因果推論の実践の場として参画したという。
星野教授によるレクチャーを受け、キユーピーメンバーも共に学びを深めながらプロジェクトは動き出した。
学生の「本音」を探る地道なディスカッション
プロジェクトは「仮説立て」「検証」「エビデンス化」の3ステップで進行した。
仮説立てのフェーズでは、まず学食での行動観察やインタビューを行い、ペルソナとカスタマージャーニーを作成した。
児島さんは、「学食でのインタビュー調査が最も印象に残っています。一連のプロセスは大変でしたが、学生に直接インタビューする機会が得られたことが楽しかったです」と振り返る。
こうした地道な調査から、興味深い実態も見えてきた。例えば、「一人暮らしの学生は学食でサラダを食べる機会が多いが、実家暮らしの学生は家で野菜を摂取するため学食ではあまり選ばない」といった発見だ。
キユーピー側もチームをつくって並走し、時にはマーケティング担当者が、生活者の深層心理を聞き出すインタビュー手法について具体的に助言する場面もあったという。双方が施策案をプレゼンし、議論を重ねて検証するナッジ案を選定していった。
金銭的インセンティブなし。「ナッジ」を実装したポスター
ディスカッションの末、学食にポスターを掲示し、「デフォルト効果」と「クレンジング効果」を検証することになった。

- デフォルト効果 :最初から設定されている選択肢(デフォルト)が人々に選ばれやすいという心理的傾向。
- クレンジング効果 :不快な経験や望ましくない行動のあとに「汚れを落としたい」「リセットしたい」という欲求が強まる心理的傾向。
ポスターでは、サラダを組み込んだおすすめセットメニューを提示して選ぶ手間を省かせ(デフォルト効果)、「最近、野菜いつ食べた?」という文言で野菜への欲求を喚起した(クレンジング効果)。
特筆すべきは、サラダの割引といった金銭的な動機づけ(インセンティブ)をあえて排除した点だ。また、提示メニューの選定には、サラダと一緒に購入されやすい商品を探索する「アソシエーション分析」も活用するなど、データに基づいた工夫が凝らされた。
ポスター制作も学生が主体となって行った。上地さんは「重要な情報のみを絞り込む作業が大変でした」と語り、児島さんも「自分の感覚とアンケート結果が異なることに気づき、デザインを試行錯誤しました」と、その苦労を明かしてくれた。
サラダ購入率が増加。学会での発表へ
検証は、慶應義塾大学日吉キャンパスの食堂(介入群)と、施策を行わない三田キャンパス(対照群)の売上データを比較する「差分の差分法(DID)」を用いて行われた。
その結果、今回のナッジ施策介入によって、日吉キャンパスの食堂(介入群)のサラダの「購入率」(購入数/来店者数)が統計的に有意に増加したことが確認された。この成果は、2025年8月の日本行動計量学会第53回大会にて「ナッジを用いた、大学生がサラダを摂取するきっかけの探索と検証」として発表されている。
上地さんは「野菜不足のデメリットや食べるメリットを再認識し、一人暮らしで野菜をほとんど食べていなかったのが、積極的に摂取するようになりました」と、自身の行動変容も実感しているようだ。

▲左から4番目:上地さん、右から3番目:児島さん
すべての人の健康な食生活へ
キックオフでの目的共有から始まり、学生が自然にサラダを食べる方法を模索し、検証、分析、そして学会発表まで。プロジェクトは一つの成果を残して収束した。
今回の共同研究は、キユーピーにとっても、若者へのアプローチを見直す貴重な機会となったようだ。食品そのものを深掘りする従来の視点に加え、行動経済学というマクロな視点に触れたことは大きな刺激になったという。
同社の田中氏は、「商品だけでなく、人の行動やその奥にある心を見つめる大切さを改めて痛感しました。学生とのコミュニケーションを通じて、何気ない行動の背景にある機微や本音に触れることができたのも大きな収穫でした」と振り返る。
学生にとっても、学会発表や協調性など多くの学びがあった今回のプロジェクト。キユーピーは今後も多様なパートナーとの「共創」を通じ、この結果を社会へ展開していきたいとしている。

▲前列右から2番目:キユーピー田中
慶應義塾大学 大学院経済学研究科委員長 星野崇宏教授(経済学部)からのコメント
今回の共同研究では弊学の2食堂を介入条件と対照条件にするという大規模なものです。私も企業様と様々な共同研究をしておりますが、なかなか実証実験を生協食堂のような第三者を含めて行うことは困難です。様々な交渉の末、学生とキユーピー様のプロジェクトメンバーの熱意および協力によって学術的に確かな研究デザインでフィールド実験を行えたことに感謝いたします。

野菜の彩りで、食卓はもっと華やかに。 栄養バランスは理想に近づきより健康的な食生活に。 野菜にふれる楽しさに包まれて、心はもっと豊かに。 私たちはこれからも、 サラダの魅力を発信し続け、 世界の食と健康に貢献していきます。


