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2025

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    すべての点がつながった日——「カフェ理論」の原点

    すべての点がつながった日——「カフェ理論」の原点

    少年時代に、私の頭の中にはアメリカの風景がありました。その後世界史で海外の歴史に触れるたび、「もっと世界を知りたい」と夢中になって歴史本を読み漁っていました。その後、社会にはリクルート事件のような不条理な出来事もあることを知ります。そして、大前研一さんの元で日本全国に出張し、地域多様性とともに対人コミュニケーションと社会構想力を学びました。

    異なる価値観を持つ人々が集い、時にゆるやかに、時に本気で開発や議論に取り組む——そんな空間から、新しいイノベーションが起きると思っていました。

    それぞれのバラバラな体験を経ていた当時は、器用貧乏で雑多な仕事に追われ気がつけば何一つスキルを習得することができない焦りの毎日でしたが、

    ある日、そういった今までの全ての経験と学びが全てがつながったのです。「“カフェ”だ!」と。

    “カフェ”は、ただの飲食店ではありません。人が集まり、会話が生まれ、イノベーションの種が芽吹く場所。それを社会のさまざまな場に広げていけばいいのではないか。街も、商業施設も、道路も、学校も、オフィスも、果ては家までもが、カフェのような「サードプレイス」になったらどうだろう。

    「カフェ化したらいいんじゃない、日本の社会構造全体を」——これが、私の中で一つのコンセプトとして固まっていったのです。

    今でこそ当社は飲食店の経営が中心になっていますが、私はもともといたずら好きで、不動産の企画プロデュースや集合住宅の設計デザイン、店舗設計などもやっていました。街づくりや地域活性も手がけ、「C・A・F・E=Community Access For Everyone」という装置を通じて人がつながり、風景が変わることに没頭していったのです。多店舗展開をしたかったわけではありません。カフェはあくまで手段であり、目的は風景を変えることでした。

    「カフェだ」と思った瞬間、スティーブ・ジョブズの“Connecting the Dots”の話がよぎりました。リクルート事件に巻き込まれたこと、大前研一さんの事務所での修業の日々、「これが自分のビジネスにつながるのか?」と疑問を抱えていた経験——それらが突然、一本の線になったのです。「ああ、全部これにつながっていたんだ」と。そのとき、飽きっぽくてミーハーな私が、「これは一生変わらない目標だ」と確信しました。

    私は20代の頃、よく器用貧乏だと言われました。「このままだと、何も極められずに終わるんじゃない?」と。自分でも「そうかもしれないな」と思っていた反面、「じゃあ、自分は何者なんだろう?」というモヤモヤも抱えていました。

    でも、そのモヤモヤに対して、すぐ答えを出すのは、違う。言語化されていない世界というのは、まだ誰も手をつけていない未踏の領域。だからこそ価値がある。焦って言葉にしてしまうと、何かが削ぎ落とされてしまう気がします。だから私は、モヤモヤをモヤモヤのまま大事にしたい。言語化出来なければビジュアルで表現してみる、あるいは旅に出てコンセプトのヒント・道筋を探求する。安易に言語化せず、あきらめないで思索する努力を続けた結果、新しく見える景色があると思うのです。まるで、そのプロセスは「ブラウン運動」の様に。

    ブラウン運動——つまり、あちこちにランダムに動きながら、自分の形を見つけていくプロセス。止まっていては固まりようがありません。そうやって動き続ける中で、少しずつ自分が見えてきたのです。

    私は「自分探し」という言葉があまり好きではありませんでした。若いうちから、何も極めずに内向きになって「自分は何者か?」とばかり探しても、何かを掴むのは難しい。まずは目の前の相手のことを徹底的にやり切ること。その中にこそ、自分が見えてくると思っています。

    私は、特別な才能があったわけでもありません。ただ、あちこち動いて、壁にぶつかって、学んできました。「相手になりきる」という姿勢も、そのひとつです。相手の立場に立つのではなくて、その人になりきることで、ようやく何かが見えてくるのです。

    だから、弊社があるキャットストリートを歩く多様な人々を一人ひとり観察しながら、「何を話しているんだろう?」と想像します。歩くスピードや顎の角度、仕草の一つひとつからライフスタイルが見えてくる。そうやって相手の世界に憑依していくと、その人から見える風景ーつまり、その人の潜在的ニーズが立ち上がってくるのです。

    接客にも同じことが言えます。みなさんも飲食店に行って経験したことがあるかと思いますが、一流の接客とは、「そろそろ注文しようかな」と思った瞬間に、自然と来てくれるようなサービスです。まるで相手の心を読んでいるように見えますが、実は経験と訓練の積み重ね。ある接客のプロは言います。「そろそろオーダーしたいな。お店の人来てくれないかな。という情報が、向こうから飛び込んでくる」と。でもそれは、彼が何度も失敗を繰り返し、身体で覚えていく中で会得したスキルなのです。

    「天才だからできるわけじゃない」。日本には、一流の接客をする人がたくさんいます。それは才能ではなく、トレーニングで磨かれた感性です。設計ができるわけでも、料理が飛び抜けてうまいわけでもない私ができるのは、「相手に憑依し、ライフスタイルと心の中の風景を編集すること」だけ。でも、それを続けることで、社会を少しでも素敵にできたら。そう信じて、今日も街を見つめています。

    #楠本修二郎#食産業#foodbusiness#コミュニティ#zeroco#一次産業

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