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8/2(土)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/07/31
「なんでも酒やカクヤス」を東京都内中心に展開し、創業100年を超える株式会社ひとまいる。2025年7月1日には社名を「株式会社ひとまいる」に変更し、大きな変革期を迎えている。バブル崩壊や酒類販売の自由化、そしてコロナ禍といった数々の荒波を、同社はいかにして乗り越えてきたのか。45年にわたり変革をリードしてきた取締役会長・佐藤順一氏に、その軌跡と未来への展望を伺った。
私が入社した当時、カクヤスはまだ地域に根差した小さな酒販店でした。経営は安定していましたが、当時はメーカーや組合など強いられるものが多く、営業の自由度が低かったため、正直なところ、攻めの経営は難しい状況でしたね。既存の取引先がある飲食店に対し営業することが難しかったため、新規出店店舗の情報アンテナを張り、積極的に新規開拓へ乗り出したことで、バブル景気の波にも乗り、売上は15億円規模にまで拡大しました。
バブル崩壊の影響は甚大で、飲食業界全体が冷え込み、多くの取引先が経営難に陥りました。当社も例外ではなく、非常に困難な時期を迎えました。業務用一筋だった我われが、この危機を乗り越えるために下した大きな決断が、一般消費者向けの販売、つまり酒類のディスカウントショップの開店でした。 1990年代初頭のことです。さらに、単に安く売るだけでなく、「配達」という新たな付加価値を加え、地域密着の姿勢と競合との差別化を徹底しました。この戦略がお客様からの支持に繋がり、活路を見出すことができたのです。
ディスカウント業態で顧客の支持は得られましたが、市場では当然ながら価格競争が激化していきます。さらに1990年代後半には酒税法が改正され、酒類販売が自由化されたことで、その流れは加速しました。社内では次第に 「価格だけでは勝てない」 という認識が強まっていきましたね。 そこで、価格以外の価値で競争優位を築く「価値競争」へと大きく舵を切りました。2000年には、配送品質や顧客対応を磨き上げると同時に、組織風土そのものを変革する必要があると考え、以下の5つの文化を会社の新たな柱として据えたのです。
この風土改革が、次の飛躍の土台になったと感じています。
次なる大きな転機は、物流拠点「平和島センター」の設立でした。これにより効率的な配送体制が確立され、株式上場への道が開けました。同時に、個人のお客様のご自宅へお届けするサービスを強化できたことで、業績を下支えする盤石な基盤が整ったのです。 市場は常に変化しています。その変化を恐れず、スピード感を持って対応することが何よりも重要だと、私は常に考えています。
ありがたいことに、CMをきっかけに当社の認知度は大きく向上しました。特にコロナ禍においては、ご自宅での需要が急増し、個人宅向けの売上は一時4割増にまでなりました。 ただ、我われはその状況に甘んじることなく、コロナ明けを見据えて次の一手を打っていました。実は、会社が赤字の状況で、サテライト拠点の増設を指示したのです。外部からは 「正気の沙汰ではない」 との声も聞こえてきましたが、私の中では都内に20数カ所の拠点を展開できるという明確な算段がありました。結果として、この時の先行投資が、今の成長に繋がっています。
2000年に定めた組織風土を大切にしながら、現在の我われの使命を「地域の人々の願いを叶えること」、そして「“1歩先の便利さ”を提供すること」と再定義しました。 この理念を実現するため、親会社の社名を「カクヤスグループ」から「ひとまいる」へと変更しました。これは、我われの強みである東京23区内に張り巡らされた毛細血管のような配送網を、酒類販売だけにとどめず、地域のライフラインとして進化させていくという決意の表れです。有償配送を行う大和輸送(現 ひとまいるロジスティクス)を買収することで配送力を強化しており、今後は酒類以外の様々な商品を扱い、お客様一人ひとりの元へお届けするプラットフォームを構築していきます。
以前、当社の基幹システムが一時停止するという大きなトラブルがありました。その際、誰かの指示があったわけでもなく、自然と社員たちが受注センターに集まってました。システムが止まったのだからアナログで注文を受けるのに人手が必要だろうと集まって来たのです。お客様からのご注文を全て手書きのメモで受け付け、現場が一丸となって危機を乗り越えたのです。これには驚きました。 どれだけ技術が進化しても、最後の拠り所は人と人との繋がりです。自分たちで助け合い、地域の役に立つ。そこに我われの揺るぎない強みがあります。 今後は、この想いを新たな行動指針として社内に浸透させながら、地域社会に必要不可欠な「まちのライフライン」へと進化を遂げていきたいと考えています。